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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

2015-07-29 | 交友

ちょっと、自惚れたり、自慢したりしてみようかな、と、ふと思う。

しかし、このブログ、リアル人も複数お読みなので、書きたくても書けない。
だが、リアル人の皆さん、くまなく、わたしのブログを読んでいるわけではない。
だから、そう目くじらを立てて、綿密に細心の注意を払わなくてもいいかも?
でも、そういう時に限って、1年に1回しか読んでいない人が、たまたま、読むコトもある。
まあ、どうでもいいや~、の気持ちです。

と、ここまで書いて、やっぱり書くのはやめました。

で、自慢を行間に臭わせることになるのだが、そっちのほうがずっと臭って、クサイ。
いっそ、ばしっと明白に言い切ったほうが、書くほうも、読むほうも、すっきりするだろう。
この煮え切らなさを、「奥ゆかしさ」というのか、はたまた、「イヤミったらしい」と言うのか。

ちなみに、わたしは、嘘は言わない、書かない。
たとえば、陰で努力しているのに「ぜんぜんやってない」とか、言わない。
相手を騙して油断させたスキに、自分は頑張って相手を抜かすなんて、卑怯だ。
ただ、どっちとも取れるような、
相手が勝手に解釈して誤解してしまうかも知れないようなことを、におわせるかも知れない。

「美しい肌ね。どんな化粧品、使ってるの?」
と仮に聞かれ、実際は、超高級化粧品を使っていたとしたら、
「なんにも。牛乳石鹸で、体ごと、洗ってるだけよ」
なんて言わない。
「母が使ってたモノと同じもの。おばあさん用」
と言うかも知れない。
それは、そうとう高いものかも知れないが、めちゃくちゃ安いのかも知れない。
相手の想像に任せる。
わたしの場合、実際は、大手薬局でも大手スーパーでもどこでも売っている、安い化粧品を使っているが、
そこまで、正直に言う必要もない。
(安いが、粗悪品ではないし、30年間、なんのトラブルもない)
あくまでも、相手に想像させる。

仮に、家に掛けてある絵画が、安モノだとする。
「この、絵、お高いんでしょう?」と聞かれたとする。
高いとも、安いとも言わず、
「どうなんでしょう。実家にあったものなので」
あるいは、「ご縁あって頂いたものなので」
と答える。
高モノとも安モノとも答えていない。
実際は高い場合もあるし、安い場合もある。

高いものなら高いで、自慢たらしいし、高いものを安いと、嘘をついてまで言う必要はない。
要は、相手の判断に、おまかせする。

目なんて、ほんとうにホンモノを見極めることができる人なんぞ、そういない。
ほとんどが、先入観や、雰囲気、周りの状況で判断する。
ゴミ箱の中に、ホンモノの宝石や、名のある名画は捨てていない、と考える。

モノの場合はそうであるが、努力の場合は?

高石ともやの「受験生ブルース」に、

テスト終われば 友達に
全然あかんと 答えとき
相手に優越感 与えておいて
後でショックを 与えるさ

こういう歌詞があるが、わたしだったら、相手にショックを与えたい気持ちは別にない。

テスト前に、友達に
勉強しているかと 聞かれたら、
ぜんぜんしてないと 答えとき
陰でこっそり しているよ

てなもんである。
(そっちのほうが、よけいかんじ悪いか?)

「ぜんぜんしていない」というのは、嘘ではない。
パーフェクトな人や素晴らしい人の努力の質に比べると、「ぜんぜん」である。
「まあまあ」「そこそこ」しているという答え方もあるが、結果が出る前に、そう言ってしまうと、
なんだかプレッシャーになる。
成功してからでは、さすがに「ぜんぜん」とは(嘘になるから)言えないので、
「たいして、してなかった」と、言いたい。

与えたいとしたら、油断、与えたくないとしたら、敵対心とか、そういうものか。
相手がこっちに対して勝手に張り詰めてくる、緊張は、苦手だ。

話す相手を見て言う。
相手が、同じ目的を持ち、努力している人で、なにをどうしたか具体的に聞かれたら、
質問に対しては、少しは答えるかも知れない。
あまりがんがん言うと、イヤミになる。

事実を否定したり、捏造したりするのはどうかと思うが、
ありのままの事実を伝えても、どんな相手か、接する相手による。
イヤミと受け取られる相手に、わざわざ伝えない。
同じ土俵にいて、お互い、相手のことは良い意味で刺激を受けたり、参考にするけれど、
嫉妬したり(されたり)ライバル視したりする相手には、オブラートに包んで逃げるほうが得策である。

立場はまったく違っても、「自分を確立している人=自立している人」であれば、
さばさばと、爽快な関係が築ける。

他人と自分をいっしょくたにする人は、厄介である。
他人は他人。自分は自分。
他人がそうだからといって、自分もそうでなければならないことは、ない。


べたっとした、人に寄りかかる人は、重くて、面倒だ。
家族であっても、ある程度の節度は必要。
わたしは、家族は、「最悪の場合の砦」、ぐらいに考えている。
とは言いつつ、実際は、寄りかかっているんだとは思うけれど、お互い様だ。
家族以外の人も、そうなのかも知れない。

「人」という文字は、支えあって、成り立っているそうだ。
でも、支え方が人によって違うから、ややこしい。


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ああ、だらだらだらだら長文になってしまった・・・。

 

 


合格速報

2014-02-09 | 交友
知人のA女史。
社労士の資格に加えて、行政書士の資格試験に合格されたご様子。
喜びの合格報告メールをいただいた。

苦節何年か・・・?
けっこう、長い間、頑張っておられた。
とくに、社労士の仕事をしながら、行政書士の勉強をされていた時期は、何度も試験に落ちて、嘆いておられた。
もう、あきらめたころかな~と思っていた矢先、合格メール。
ご苦労様でした。

社労士は、40歳を過ぎてから、行政書士は、50歳を過ぎてから。
彼女は、専業主婦時代、近所のファミレスでアルバイトをしながら、専門学校の学費を蓄えた。
その時、下のお子さんは、まだ幼稚園ぐらい?
とにかく、頑張り屋さんである。

わたしとは、下のお子さんが生まれる前に、仕事で知り合った。
最初は、同じ外部ブレーンという立場だったが、その後、わたしは立場が変り、彼女に発注する側になった。
そして、会社を変ってからも、彼女にお手伝いしてもらった仕事の案件もある。

彼女は、ちゃんとお給料を運んでくれる、薄給ではない(想像です)ご主人がいて、やりくりに困っているわけではない。
が、彼女自身の収入の少なさが、夫に養われているような感覚にとらわれていたのではないかと思われる。
夫に不満を持ったとしても、平等にものが言えないと、感じたのかも知れない。
不満や、もやもやを、実践力、実行力、努力で昇華した。

ぶつくさ不平をたらたら言うだけなら、誰でもできる。
自分の理想や目標に向かって、あきらめずに努力し続けてこられたことには、ほんとうに頭が下がる。

わたしは、少しだけ彼女と似ているところがあるが、他のほとんどは、似ていない。
猪突猛進型なところは、似ている。
ただ、努力方面が、わたしの苦手分野となり、わたしにとっては、お勉強方面は、地獄の苦しみとなる。
受験勉強など、トライするだけで寿命を一気に30歳や40歳は下げることになるだろう。


下のお子さんが2歳か3歳ぐらいの時、お会いした場面を思い出す。
お子さんは、小さな手さげバッグに、電車のオモチャを入れて持ってきていた。
わたしたちが、喫茶店でオシャベリしていた間も、彼は大人しく電車のオモチャで遊んでいた。
あのベビーも、わたしより背が高くなり、もう高校生。
その期間に、彼女は、バイトをし、資格試験に向けて猛勉強。

・・・

わたしに話をしてくれる彼女であるが、わたしは聞く一方。
たいしたリアクションもない。
わたしは、退屈なわけでも、興味がないわけでもなく、ただただ、すごいな~と、うなずいている。
彼女には、のほほんの、わたしとは違う、刺激を受ける立派な先輩や知人の方々も、おられるらしい。
彼らからは向上への刺激を受け、情熱や、やる気をもらっているようだ。
わたしからは、・・・べつになにも受けるものはないだろう。
ただ、わたしが彼女を受け入れる、というかたちか。
少しわたしの方が年上で、人生ではちょっとだけ長く生きていることもある。


わたしは、それでいい。
頑張ってくれている人が、休憩できでばそれでいい。
もう、いっしょに、頑張るライバルではなく、わたしは、いつの間にか、応援する側になっている。
また、一息入れて、頑張ってもらいたいと思っている。


彼女は、これからの道もまた険しいだろう。
わたしだけでなく、お子さんたちも、彼女の頑張る姿を見て大きくなっている。
(子育てには、至れり尽くせりの母親ではないだろうけれど)
ご主人との、今後はどういう歩みになっていくのか。
ご主人がそろそろ定年を視野に入れる頃、彼女は、仕事に突進。
仕事エネルギーが、ご主人と交差する時点が来るだろう。

まあ、それはそれで、ご夫婦でやっていただければよろしいかと。
不満不平も、家庭内での役割も、年齢や、社会での立ち位置で変ってくることだろう。


だが、一説によると、へんに難易度だけが高くて、役に立たない資格だとも言われているようだ。
社会的にトップに鎮座する資格だとか、そうでないとか、そんなことは、この際、比較する意味がない。

せっかくの思いで取った資格も、(それは、どんなタイプの資格であったとしても)
その後、仕事がうまくいかない、さらに仕事自体を辞めるようなことになったとするなど、
現実の厚い壁にぶち当たったとしても、
達成感を味わった経験や、自信の土台を築いた事実は揺るがないだろう。
不屈の根性は養われていると思う。きっと困難に立ち向かえるのではないかと期待している。


いずれにしても、おめでとうと、わたしはエールを送っている。
といっても、短いメールを一通送っただけだが。

我々は、とても細くて、でも短くはない、切れそうで切れない、不思議なお付き合いである。



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ひとり~(その2)

2013-04-28 | 交友

なんだか、お気遣いコメントをいただいたようで、有り難く、恐縮である。

落ちこぼれ見守りパトロール隊のような、
「目指せ、いじけっ子ゼロ」キャンペーンに関わるボランティアさんのような・・・。


このパターン、どこかで経験した覚えがある。

そうそう・・・
学生時代の友達たち。

なにを隠そう・・・わたしは、学生時代の友達をすべて失っている。
ゼロからの出発なのだ。

なぜ、失ったか・・・・・
自分でそれは、よーく理由がわかっている。
が、書かない。書く必要もない。
身から出た錆、自業自得、の類であろう。

すべてリセットして、一から出直した。
(ブログは、リセットせず、延々、恥ずかしげもなく同じブログをやっているが)

充分、反省もした。
わたしのものの見方、感じ方、考え方が、間違っていた。思い違いをしていた。
人間が出来ていなかった。
だが、新しく友だちを作ろうという気がない。
気付いたのだ。
わたしは、ひとりのほうが向いているって。
気楽だ。

なぜかというと、わたしには気配りが足りない。
気遣ってくれる人は常に気遣う役で、気遣われる側は常に気遣われる側。
こんなのじゃあ、アンフェアである。
一方的すぎて、気遣う側が疲れる。消耗する。やってられない。


ただし、義母とわたしは、この永遠のアンフェア普遍法則(「give&give」 と「take&take」)に則った中にいる。
摩訶不思議。
気遣うのが義母、気遣われるのが、わたし。
彼女は、疲れないのか? 見返りを求めないこころの持ち主だ。
わたしは、「感謝のこころ」で、お答えするだけだ。
しかし、気持ちはそうでも、時折メールでそう伝えるだけで、「糠(ぬか)に釘」、「のれんに腕押し」の、わたし。
義母は、もう、限界にとっくに達していて、諦めているのかも知れない。

とかなんとか言っても、我々には、暗黙のルールがあるのだが。
義母は、わたしに保険をかけていて、わたしは、保険をかけられている。
掛け捨てと貯蓄型のミックス版。(実際の生命保険ではない)
「恩」と、「恩返し」、という、保険の方程式。
恩をあだで返すというような、非人間的なことは、絶対にしたくないと、わたしは思っている。
しかし、この恩(情け、とも言える)、お返しもせずに、どんどん積み重なると、
真綿で首を絞められるように、結構ツライものがある。

まあ、現実的には、経済的な流れがルールの基盤となっている。
なので、一方方向ではなく、バランスは取れている。
口だけではだめ、出すものを出さないと円滑に回らない。


販促システムで、ポイントを有効期限内に使わないと失効する制度があるように、
ある程度の期間がくると、一度、恩を精算しないと、後々、恐ろしいことになりそうな気がする。
これは、家族だけでなく、友人関係においてもだ。

友人関係は、破綻するだけだが、
家族は、破綻しても離散するわけにもいかないし、破綻は絶対に避けたい。
なので、顔を恐る恐る伺い見て、状況をチェックしている。
ほっておいて、大きな請求書が来るよりは、小まめに様子を見たほうが、安全、安心だ。
双方、風通しも必要。



以上は、べつに、今回、言いたかった内容ではなくて・・・
友人としてのお付き合いの話。

わたしは、もともと気遣うということが出来ない性質のようだ。
努力して、最低限度、気遣おうとするのだが、途中で息切れする。
で、グループからは当然、脱落する。
あ・・・ひとり・・・になっている。
協調性が欠如している。

学生時代の仲良しグループが事実上、消滅したあと(決して自然消滅ではない)、
グループ同士でお付き合いしていた別のグループと、わたしはお付き合いをし始めた。
それは、学校を卒業して30年近く経ってからだ。
でも、やっぱりだめだった。
結婚祝い、改装祝い、なんとか祝い、香典、・・・なんやらの会・・・
会う、会わないとは別にした、時間とお金が必要。
そういうお付き合いは、わたしは好きでないことがわかった。
親戚付き合いだけで、充分、こりごりだ。
皆と会うにしても、正統派の皆々様、服装のひとつも気にかけなければならない。
時間を合わせるのもさることながら、めんどくさいのである。
なのに、これといって別に得るものは、ない。
なんのための、お付き合い?


でも、それはそれ。
当然の結果である。
だから挽回しよう、とか、あまり思わない。
自分には自分のスタイルがある。

切っても切れない親戚の冠婚葬祭がらみは、まあ、よしとしよう。
自分の実家サイドなら、喜んで、お付き合いしている場合もある。
が、自由に選択できる友人関係において、
友人たちのお子さんが結婚したり、お孫さんが生まれたり、親御さんが亡くなったり(しかも義理の)
皆、同じようなコースを辿っているのに、いちいちお祝いしたり、されたり、内祝いしたり、
喜びを分け合い、悲しみを半減させ、といっても、気持ちをお金やモノで表すのは、いかがなるものか。
なので、付き合わないほうが、諸々の事情を知らないで、ずっと気楽。
(ひょっとして、「形式的なことは、もうやめましょう」、と、新たなルールが作られたのかも知れないが)

そんな付き合いをしない友人付き合いもある。
背景や家族はまるで関係ない、個人同士のお付き合い。
たまたま、わたしの学生時代の隣グループの友人たちは、めんどうな付き合いをしていた。
それもあって、わたしは、脱落したように思う。


リアルはリアルで、いろいろあり、
ネットは、ネットで、いろいろあるようだけれど。

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人は、見た目が9割

2013-03-08 | 交友

某さまへ
神出鬼没・情報ありがとうございました。
名前を変えて、出没、徘徊、うろちょろは、よくあることのようです。
わたしのブログは、基本的に、人畜無害・仙人ブログにつき、
ニオイのきつい人にとっては、まったくつまらないので、眼中にないと思われます。

自分で言うのも、なんですが・・・
(でも、言う)

わたしが興味あることは、世の中の皆様にはあまり関係ないような、そういうことに注目したりしておりまして、
つまり、仙人的目線でありますので、生ナマなまの現場におられる方にとっては、
じつに臨場感のない、机上の空論的、脳内お遊びとなっているのでありまする。

ということで、
俗世間を卒業したような、腰痛や関節痛などと仲良しになろうとしている、でも、仙人みたいな、
そういう方にしか、蝶エスペラント語は通じないと思っております。


ちなみに・・・
はなしは、ころり変わって・・・

わたしは、自分で書いているほど、カッコよくない。
どれもこれも、目指すことは、すべて道、半ばも行かずして挫折。
これを、「道楽」という。
カッコ悪い限りを尽くしている。
なので、とても恥ずかしい思いをする。
たんなる道楽者の、ほざき、つぶやき、ひとりエールにすぎない。
これは、ホンネ中のホンネである。

時には、不思議なことに、自分では思ってもいないオーラが出ることがあり、、
ニセモノであることを自分で自覚しているので、これまた意外でもあり、驚きでもあり、また、非常に赤面する。


(これ、一度、ブログに書いたけれど)
先日も、面と向かって、「平安貴族みたいですね」と言われ、まじっと相手の顔を見てしまった。

「はあ?」と、なったが、真意が汲み取れなかった。
あとで、よくよく考えてみたが、その言葉を発した人は、カマをかけたに違いない。
そう言うと、相手は、どう出るか?
たいがいの人は喜ぶに違いないし、
(真に受ける人はあまりない、おべんちゃら、お世辞のひとつだったにせよ)、
反応を見て、相手の人となりを想像しようとしたのではないかと。
あるいは、わたしに、お金があるのか、ないのか、どういう背景なのか、チェックしてみたのではないかと。

それは、わたしの深読みであって、
ただ、わたしの目が細いこと、日本的な顔立ちをしていることを言っているのかも知れない。
しかしながら、その人は、話の要領はつかめないし、けっこう、何度か無礼な態度を取っていたので、
わたしは、その人の評価を、たいしたことのない人、と、こころのなかでランク付けしてしまった。

せっかく相手を持ち上げたつもりでも、態度とは裏腹だったりすると、逆効果になる場合がある。
もっと相手をよく知る選択もできたが、わたしは、最初のところで、NGサインが出てしまった。
じつのところ、発言は二の次で、態度が気に食わなかっただけだが。

人は、話してこそ、人となりが、わかるというが、話す以前に、態度、行動が、大事、決め手である。
態度で他人に不快感を与える人は、なにを話しても、誤解を解くのが難しいと感じる。
なので、第一印象の大きな要素は、一、態度、二、表情、三、会話内容と、感じる。

自分に振り返っても、言えることなので、よおく注意しようっと。

わたしの場合、見かけからは想像できない、宇宙人的・会話内容のところで、多くの人が、コケるようだが・・・。

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酔っ払わないように、酔う。

2011-07-12 | 交友

昨日、知人プラスアルファ/友人・一歩手前の人、Kさんと、飲んだ。
場所は、大阪・ミナミの居酒屋。

生ビール2杯、焼酎(お湯割り)3杯、焼き鳥、串かつ、シーザーサラダ、
まぐろ細巻、なにかの干物、・・・・

なんやら、かんやら。

この人は、あれこれ食べ物をオーダーするのが好きのようだ。
ほとんど食べないで、飲む一方の人もいるけれど。

月曜日の居酒屋は、ガラン。
お客さんは、従業員の数と、そう変わらない。
まあ、週明けなので、しかたない。あんなもん。

気がつくと、あっという間に、時間が過ぎていた。
飲みだすと、時間の経つのが速いこと、速いこと。
時計の針(アナログ時計)を
ぎゅーーん、ぎゅるぎゅると、ひとさし指で右回りに、くるくる回したかのよう。

飲みながら、お酒が進むと、帰りの電車のホームの隙間から
転げ落ちやしないかと、そればかりが心にひっかかり、
ほどよいブレーキとなる。

問題は・・・
なにを話したか、後半は覚えてないってことだ。
前半も、さしてはっきり、くっきり覚えているわけではないのだが、
もし、失礼なことを言っていたらどうしよう・・・と、ちょっと不安になった。
意見が合わなくて、議論になったような気はするが、
自分の言いたいことだけ言って、押し付けてしまっていたら、どしよう・・・

家に帰って、あれこれ用事をして、
布団に横になってから思い出そうとしても、なかなか思い出せずに、
というより、即、寝てしまった。

ま、相手も酔っ払っている(はず)なんで、話の内容なんて、重要じゃないような気がするが。


帰り際にその人が、「じゃ、お達者で」と、手を振った。
いったい、年、いくつ?と、笑いそうになった。
我々は、お達者倶楽部? (老人会?)

飲み友達って、こんなのかな~
害もなく、損も得もなく、
共有の時間とお酒の、割り勘、割り時間。

わたしは、お達者倶楽部の入り口にいるのかも知れない。

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美味しく、楽しく、時間切れ。

2011-06-27 | 交友

友人のFさんと、心斎橋(大阪市)のフレンチ・レストラン「ル・クロ・デ・クロ」でランチを楽しんだ。

かつての職場でご一緒した、Fさん。
わたしとしては、とても珍しいことに、いつの間にか、お友達になっていた。
彼女は、わたしより、4歳年下。

彼女の下のお子さんが生まれる前から知っている。
お子さんが生まれて、再就職の壁が、どんっと厚くなった。

子育ての合間をぬって、時間を切り張りして、
飲食店でアルバイトで、専門学校の学費を貯めたFさん。

国家試験に挑戦した。
わたしは、なんと高いハードルを課す人なんだろうと感心していた。
何度も何度も失敗したが、挑戦し続けた。
40歳を超えると、さすがにアタマに入らない。
覚えては消え、覚えては消え。それの繰り返し。

よくあきらめずに頑張るなあと思っていたが、
こころのなかでは、気持ちはわかるけれど、無理じゃないかって、感じていた。
(ごめん、Fさん!)

わたしは、試験に落ちることが当たり前みたいに、毎年の恒例行事みたいな感覚でとらえていたが、
彼女は、年々、追い詰められていた。

国試に挑戦するのは、ひとつの頑張りの、目に見える証明みたいなものなのかな・・・、
と、外野のわたしはあくまでも、のん気。

わたしは、お気楽だが、彼女は、勉強に打ち込んだ。
自立への道を一歩一歩、苦しみながら登っていた。

そうして、晴れて合格を勝ち取ったFさん。
その後も、就職先では、またまた苦労の連続で、一時期、ほんとうに参っていた。

1年に1回ぐらいは、自分へのご褒美、気分転換にと、
ミュージカルや、コンサートに、彼女と出かけた。
最近は、お互いの時間が合えば、たまにランチをすることもある。

今は、仕事をしながら、さらに次の国家試験に挑戦中のFさん。
今年で2回目。(3回目だったかな?)
前の資格より、この資格のほうが、おそらく難易度は上がっているだろう。
転職、開業、今後の可能性を広げ、いろんな展開に有利な資格を、さらに追加する。


なんで、そんなに頑張り続けるの? 

目標も持たず、ちゃらちゃら、遊びほうけているのは、性分に合わないようす。
自分へのご褒美で、遊んだり、食べたりするのはいいけれど、
ただただ遊んだり食べたりすることだけでは、あまりにも非生産的で、享楽的で、
建設的でないスタンスは、満足いかないようだ。
ご主人もお子さんもとても優秀だし、それだけでも十分素晴らしく、
それを支えに生きておられるお母さん方もおられるのに、
子供は子供。親は親。

わたしは、Fさんのそういうところに共感を覚える。
とても。

(ちなみに、わたしは、頭脳系は、不得意中の不得意。睡魔が、即、どどっと押し寄せる。
適材適所、各人に応じた方向性で・・・ということで)


自分が置かれた環境に甘んじないところは、とても立派だと思う。
自分の人生を、自分の力で切り拓こうとしておられる。
年齢のハンディに苦しみながらも、あきらめない姿勢。
成功しても、しなくても、彼女の頑張りは、必ずなんらかのカタチで、身となり骨となると思う。

ちゃらちゃら遊んでいるだけの人種は、わたしはどうも接点がない。
(といっても、いまのわたしは、頑張り時期は卒業したので、遊んでる。
次の頑張りまでの、燃料補給時期ととらえている。→自分に甘い)
なんの問題点も感じない人も、首をかしげる。(考える習慣がない?)

Fさん、がんばれ!!と、応援団になりたい心境だ。


ふたりで、遠い遠い将来のことをほんの少し話したが、わたしとかなり共通点があることがわかった。
老後のスタイル、スタンス、今後の課題、・・・似たような悩みや問題点を抱えている。

話し込むまでの時間がなかったのが、とても残念だが、
短い時間で、話はとても弾んで、まだまだいっぱい話したいことがあったけれど、あきらめた。


そうやって、楽しい時間を過ごし、ダンスのレッスンに20分、遅刻した。

で、その遅刻の件で、お局サマに、ねちねちイビられたが
ほとんど、気にしていない、わたし。
時間に遅れて、かぼちゃの馬車で到着し、イジワル継母にイジメられる、シンデレラ。
→自分はいつも、童話のヒロイン


前菜は、ウニの卵クリーム。↓


お魚料理。クリームソースは、相性抜群。パリパリ野菜も食感が楽しめた。


メインは、牛肉赤ワイン煮込み。5時間?8時間?煮込んだそうな。
お箸で挟むと、ほろほろと崩れてしまう、やわらかさ。

デザートのブルーベリーケーキと、キウイのシャーベット。


コーヒーに、パンおかわり自由で、2700円。
プチコースは、1600円で、肉か魚かを選択し、あとは、決まっている(選べない)。
前回は、プチコースを食べて、それでも満足だったけれど、
Fさんが、せっかくだからと、メニューの中からひとつずつ選べる、こっちのコースにした。
トップ画像は、Fさんが選んだ、お肉のメニュー。

 

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お久しぶり

2010-03-20 | 交友
仕事仲間だったFさんと、久しぶりに会った。
Fさんに、私のしょうもないブログの存在を知らせてしまったので、
もし万が一、ご覧になっていたら、失望されること間違いなし。
というか、驚かれるかも??
よくまあ、こんなヒマな、アホみたいなことやっているね、と。
同じB型同志、笑って許してね。

と、最初にこう綴ると、次がちょっとカクン、カクン、ガタピシ、スムーズに進行しない。
まあ、Fさんの眼は意識せずに、好きなように参ります。


「Fさんとのおしゃべり、楽しかった」と素直な感想を、彼女にメールしてしまったけれど
Fさんは、仕事の悩みを抱えていて、その悩み解決や、対策を私たちは主に話していたのだ。
私は悩みを相談されても、核心を突くヒントやアドバイスを発するには程遠い。
ふんふん・・・大変やねえ・・・と、うなずくばかり。
きっと手ごたえがイマイチで、問題解決には導けないことは明白。
まあ、仕方ないです。
しかし答えは、自分のなかにあることが多い。
ただ、客観的に事態を見る手助けを、周りから見て、アドバイスできればいいと思うのだが、
なかなか、それがうまくいかない。

そもそも私は、ガールズトーク(おばさんトーク?)オンリーの キャーキャーおちゃらけ
チャラチャラばかりは、あまり好きではない。
女子高のノリは、NG。(当たり前、年は、いくつ?)
頭の中は、グルメ、ファッション、流行、ゴシップなど、女性週刊誌ネタしかないのも、NG。
(そもそも、そんな人はいるのか???)
でも、おカタイことばかりではなく
楽しい思い出を作ろう!!と、旅行の話もして、楽しい時間を過ごした。

結構食べて、お腹いっぱい。
旅行に行く話、コンサートに行くスケジュール、などなど、楽しい計画を盛り込んで
明日からの励みにした。
Fさん、これから資格試験への勉強、大変だろうけれど、頑張ってね。
応援しています。

Fさんには、私にはない、ガッツ、頑張り、若さ、意地、根気、パワーがある。
いつもFさんに会うと、元気をもらう。


「キミのやる気スイッチどこだ?」というテレビCMがあるが、「やる気スイッチ」って、
意外なところにあったり、自分でよく知っているところにあったり、する。
探しても探しても、見つからない人もいるだろう。
「やる気スイッチ」の使い方が上手な人は、頭の切り替え、心の切り替えがうまい。
私の「やる気スイッチ」は、どこにあるんだろう?

いろんな人、場所、場面、音、味、色、質感、空気、風、温度、、、、、
芸術、旅、いろんなものとの出会い、、、、、、
予期せぬところに隠されているかも知れない。


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骨折れ同級生~一人芝居

2009-12-29 | 交友
先週、クリスマス・イブのこと。
久しぶりに学生時代の友人から、カワイイ動画入りのクリスマス・メール。
多分、多くの人に一斉に送ってるのだろう。

こともあろうに、私は喜んでしまって、メール返信をした。

メールのお礼と、今の私のクリスマス状況をカンタンに伝えた。
そして、彼女のメールに「娘と二人で、自宅でクリスマス」、とあったので、
年齢からして、てっきり上のお嬢さんはお嫁に行ったものだと勘違い。
「上のお嬢さんは、結婚したのかな~?
もし、結婚してたら、ご結婚、おめでとうございます」、の一文を追加した。
よせばいいのに、ちょっと酔った勢いもあって、へんに悪いノリ。(私はこれで、よく、しくじる・・・・)
「かな~?」の表現が、やたら軽くて、ふざけているかんじがして、
自分でミスった、と気になっていた。

で、・・・メールの返事は、ない。
しばらくして、彼女は娘さんの結婚話にはあれこれ手を尽くし、
心を砕いていることを別の友人から聞いたことを思い出した。
ひょっとして私は、またもや無神経なことを発してしまったのではなかろうか。
焦った私は、返事を待たずに、再びメールした。

「子供たちの就職が終わってヤレヤレ。
就職して安堵も束の間、結婚はウチは、まだまだ、だめです」、などと現状をぼやき、
そのときに、「メール、勘違いしてたらごめんなさい」、と(さりげなく)加えた。

あとで、徐々に記憶の糸をたぐると、
彼女のところは、三人とも、大学進学のあたりから、ゴタついていたと聞いたような・・・。
進路は、親の希望通りには行かなかったとか。
ましてやナイーヴな就職話は、NG?

どんどん、自分で自分の首を絞めていく。
墓穴を掘った。

それから彼女からのメールはない。
あぁ、話の話題選びは、骨が折れる。
(というか、私、メール、考えなしで送り過ぎ)

反省して、青菜に塩の一昨日、
メールお預かりセンターに、彼女からのメールが届いていたのを発見した。
メール送信日を見ると、私が一通目のメールを送った直後だった。


相手は正常なのに、私は、まわりを見ずに、東尋坊に身を投げている。
無駄におっちゃこちょい、です、私。

(電話で直に話せばこんなこともないのに、ね。)
(電話は苦手、メールばかりの現代人。一種の現代病に蝕まれているようです。)


それより、こんなことしてないで、
はやく、掃除して、年賀状、書かないと・・・日が暮れる・・・本当に。

オトモダチ・・・お友達・・・おともだち

2009-11-03 | 交友
私は、あんまり群れない。
学生時代、グループ分けする時は、自分が「余りモノ」になっても、つまらないので、
とりあえず、手っ取り早く身近な人と、くっついていた。
この秋、学生時代の友人が、大々的な室内楽コンサートの主催者側で動いているので、
お誘いを受けていた。
まだチケットが100枚以上も残っているとのこと。
クラシックは、私にとっては、爆睡促進効果はなはだしいので、
申し訳ないけれど、丁重にお断りした。
(別の用事があるからと理由をつけて、欠席。ごめん)
またこれに懲りず、お誘いいただきたいのだが、
あまりにも興味ないことであれば、お付き合いしないという、私の付き合いの悪さ。

全く興味がなくても、食わず嫌いは避けたい。
一度、経験してみよう、と、チャレンジ精神でトライしてみるが、やはりダメだった、
という結果がわかれば、その時間は無駄ではなかったと思っている。
コンサートも、前に出席した、酒蔵コンサートのような企画なら、
ちょっと顔を出してもいいかなあ、と食指が動くのだが。
あとになって思えば、あのコンサートは、企画者のU女史(中学同級生)が、
自分の仕事分野である、音楽療法の実験を、地域でトライしてみたかったように感じたが。

友人たちを見ていると、皆さん、それなりに、忙しく、大変そうで、遊んでいる人はあまりいない。
なぜなんだろう・・・???
経済的には、必要性に迫られているわけではないように感じるが、
遊べない環境でもないのに、あえて、遊ぶ道を選んでいない人が多い。

第一線でずっと働いている人もいるけれど、
子育てがひと段落してから、家業を手伝ったり、資格試験に挑戦したり、
出身校の年代表で世話役を引き受けたり、仕事をし始めたり。
同窓会の会報に寄せているお便りも、仕事の話が多い。
ただ、仕事も、生きがいがあるものばかりではない。
むしろ、そういう仕事は少ない。
我慢することや、乗り越えなければいけないこと、避けて通れないことなど
自分中心では、回らない。

人それぞれ、環境によって、方向性は違うっていうことだ。

さて・・・
明日から出発の旅支度があるので、ぐでぐで、うじうじ、
長ったらしく文字数ばかりを増やさず、本日は、このあたりで、オシマイにしよう。
それにしても、足、、、心配だ。




ママたちは、おしゃべり?

2008-04-15 | 交友
子供が小さい頃は、
子供会、PTA,自治会、生協、地域がらみ、学校がらみ、お稽古がらみ、
すべてを巻き込んで、
ご近所のお母さん方たちといっしょに、お付き合いしていた。


子供たちがやがて大きくなると、
ママ友たちは、子供に縛られない、個々のペースで、個々の道に分かれていった。

私立組、地元公立組など、子供の進路とともに、ママ友も変化していく。


ご近所なので、住居としては、どの人もだいたい似たようなかんじ。
今でも、家の近くの道で、元ママ友に会えば、
おしゃべりもするし、車なら駅まで乗せていってもらったりもする。


ママ友たちは、自分のプロフィールを言う人もいるが、言わない人もいる。

言う人は、誰に聞かれても問題ないと自分で思っている人。
言わない人は、なんらかの思いがあって、人に知らせたくない人。

ひとそれぞれ、自由なので、お互い詮索もしない。
皆、嘘も言ってない。
言わない人は、黙秘なんだから、虚偽、偽装はないわけだ。

なので、何十年たっても、プロフィールを知らない人は、そのまんま知らない。


子供の進路も、言わない人と、言う人に分かれる。

特徴としては、公表する場合は、遜色ないコース。
公表しない場合は???コース。
皆、言いたくない人に、無理矢理聞こうとはしない。大人だから。
なぜ言わないか、という意味を、皆、だいたい知っている。

下の子供の進路だけを公表して、
自分自身や上の子供に関しては、一切、非公開の人がいたり、
途中から、公開から非公開に転じたり。
※ちなみにご近所の友人(と思っていた人)は、非公開派(一部公開)。


価値観、人それぞれ。
何に重点を置くか、という基準も人それぞれ。
ただ、同じ価値観を持ち、競い合うと、疲れるだけだ。
世間体という、自らが創った敵を相手にすると、さらにややこしい。

まあ、それはそれとして・・・。

人とのお付き合いは、
付かず離れず、ほどほどの距離感を保つことが大事のようだ。