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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

他人の不幸は蜜の味、、、他人の幸せは、薄塩水味

2025-04-04 | ブログ
人は不幸なことやトラブルに、前のめりにかぶりつく。
身を乗り出すが、火の粉がかからない位置から眺める。
いわゆる、野次馬。

自分の蝶ブログをつらつら長年やっていてアクセス数を比較すると、、、
人が、なんの面白味も感じないのは、きゃーきゃー自分ネタで喜ぶ、他人の個人的な幸せ。 
全くどうでもいい。
1ミクロンも共有しない。
むしろ、鬱陶しい、避けたい気分になる。
それが、ブログを何年も続けていると少し見えるようになる。
他人の幸せより、他人の不幸は蜜の味。
よくわかっているが、見ず知らずの赤の他人様のためにブログを書いているわけではない、と言ってしまえばお終いの、、、太々しく可愛げがない、わたし。
他人からの評価を気にしないと、そういう、目の粗い、粗野な雑な、何の手も加えない、練らない、サービス精神ゼロのブログが生み出される。
で、それがどうした?
いえ、自業自得です。
そもそもが、自分救済のために溜まった老廃物などを吐き出しているわけで。
脳の活性化にも繋がっていると本人は感じているが。

かといって、ねつ造までしてウケは狙いたくない。
それでウケなかったら悲惨だ。
ウケを狙って、スベる、コケる。痛々しい。
自分には嘘をつく、更に結果は散々、、、目も当てられない。
なので、転倒を避けながら、地道にコツコツと、自分が好きなことを書き続ける。
自分のために。

コケても、ここ数年で見る見る発達した鈍感力で、さほど気にならず、ドンマイ!になるようだけど。
さあ、また書こう!と、今日も性懲りもなく書く。
一歩、家の外に出てみると、見るもの聞くもの、ブログネタの山。
あれもこれもと、書きたいことが次から次へと湧き上がってくるから不思議。

予定がある日は、書けない。
あるいは、比較的、短文。
結果的には、そのほうが良いようだ。


※写真は、先一昨日の彦根城、楽々園。
第4代藩主により建立された御殿。
現存のもの(写真)は、文化10年(1813)に、11第藩主、井伊直中、隠居に際して大規模増改築が行われた時のもの。



元気をお届けいただいてます

2025-04-03 | ブログ
わたしが、いつも訪れている人気ブログがある。
圧倒的行動力、実践力、味がありながらも(わたしから見ると若々しく)、瑞々しい感性。
ブロガーさんの素朴なお人柄が表れているように思う。
動物で例えると「森のクマさん」。 
(街に現れて騒動を起こす熊ではなく)
元気をもらう、憧れのブログである。
パワーがあるのだ。そして、吸引力。
さすが、その道、映像のプロだと納得する。
引き出しの多さは、圧巻。
無料で見せていただき、有難いのと共に、恐縮する。
自分(わたし)も車の助手席に乗って、凸凹山道を走っている気になる。
そして、後ろを着いて枯葉を踏みしめ、山に登っている擬似体験。
山から見える絶景に心洗われる。
さらに、地元のお店でゆっくり疲れを取りながら地産の食に舌鼓を打つ。 
いいわあ、、、と、楽しんでいる。
そのうち、ブログで案内してくれている地にぜひ行ってみたい。

読者の皆さんは、わたしと同世代か、少し若め。
ブロガーさんご本人もわたしより若い。
なんだか、頼もしい。
過疎地に暮らす高齢のわたし(比喩表現、多少、入ってます)の元に、毎日、宅配便を届けてくれる若い人のような感覚。
村で一番の若手、、、という感じで、爽やかな笑顔(顔はチラッとしか知らないけれど)に、理屈抜きで好意的に頼ってしまう。
更にお忙しい中、気遣いの人でもあり、奈良の里から、1日に1回、(一人住まいのお宅をそれぞれに)安全確認に見回りに来てくれる(かんじ)。
ファンサービスを怠らない、スタンス、姿勢。
すごく、嬉しい、、、励みになる。
ありがとう。

このブロガーさんの着目点、視点が好き。
地方や、その地域、歴史、暮らしを愛する眼差しが根底にある。守りたい思い。
それに触れると、わたしは温もりと活力を感じる。
どっしり、どっかり、骨太で、あたたかい。
わたしはそのブログの読者の皆さんのように博学でもないし、行動力もない。
彼のブログの力を借りながら、そっと遠くから応援している。
(て、住まいは割と近いのだけど)

紹介される映画や音楽も、素敵なテイスト、感性が伝わってくる。

本日の蝶記事は、森のクマさんへのファンレターになりました。




匂いを振りまく、大アピール

2025-03-24 | ブログ
昨年、ご主人が急に亡くなり、未亡人になった50代、セレブ美人女性。
わたしがたまに日記を書いている、あるSNSでお見かけした。
塞ぎ込む日常から気持ちを切り替えて、交流を求めているとか。

未亡人になってから書き始めた、その日記を拝読すると、セレブ生活が浮き彫りになっていた。
あんなに生活環境をさらすと、変な人が、悪いことを企んで寄って来ないかと、他人ながら心配する。
老婆心。

ひょっとして、その未亡人こそが、未亡人に群がる男性を騙すためのオトリだったりするが、、、。
書き手は女性ではなく、男性かも知れないし。
SNSの世界。
わたしは、信用していない。
特に、出来すぎた話は。

ただ、コメントにリアリティがあり、なかなか現実的なので、信用してしまうかも。
実在の人物でなければ知り得ないことなども随時、アップされていて、リアルタイムにコメントもやり取りされている。

ハッキリ明確なことは書かなくても、だいたいアウトラインはわかる。
わざとなら、巧妙な作りだが、無意識なら、無防備すぎる。
よほどセキュリティに自信がないと、危ない。

あるいは、ひょっとして、美人局かも知れないし、一般ユーザーも安易に信じて、のめり込んだら痛い目に遭う。
お互い、危険がいっぱい。

話がよく練られて構成され、文章スキルが高いと、それなりのことは出来そうだ。
が、手の込んだ詐欺やロマンス詐欺もありえる。
自分を多くの不特定多数の人に向けて発信するには、注意が必要だ。
発信する側も、受ける側も。

ところどころ、自分はセレブで美人だということを嫌味なく匂わせる箇所もある。
しかも、あの控えめで謙虚な姿勢、、、なんだかなあ、、、。
それなら、そんな話題を自分から振らなくてもいいと思うが。
プロポーション抜群の全身写真も。(目のあたりだけ黒塗り加工)
ぷんぷん匂いがする餌撒きにも捉えることが出来る。
わたしなどは、もっとも彼女のターゲットから対極の遠いところにいるから、全く関係ないけれど。
うまい話は怪しい、、、。

こころ丈夫な友だち

2025-03-23 | ブログ
最近、ブログ語りが少々、忖度を含んでいる。
憧れのブロガーさんたちが、ファンサービスで足跡を残してくれたりするため、(こんなぐだぐだ長々・蝶ブログなど、いちいちお読みにはなっていないとは思うものの)、万が一、、、ひょっとして、、、とファン心理が働き、微かに脳裏をかすめ、筆が止まる。
(ブログは、墨をたっぷり付けて筆で書いています→嘘)

自分でも、いい歳をして、書くテイストは10代の頃と同じ。
感性がピタッと止まっている。(知能は衰えているが)
(どなたかが引っ張り出してお読みになった)昔の蝶ブログを読んでみても、まるで昨日書いたかのように、同じことを言っている。
ある意味、あっぱれ。
進歩なし、進化なし。

時代に逆行するような、あまりにもひどい感想を抱いた場合、自分で修正する。
現代の価値観を取り入れる。
価値観とはまた別の、感覚的なものでも、自分でマズイと感じたなら、感覚さえ修正しようとする。
ケシカランことを思う自分、、、このケシカラン中身は、ブログには書けない。
当然、口に出せない。
ケシカランことを思うこと自体がケシラカン。
そのケシカラン思いを封印するのではなく、変えていこうと考える。
無理矢理我慢しても綻びが出てくる。歪みが生じる。
我慢して消すのではなく、自然に任せて溶かす。
すぐには溶けない場合は、取り敢えず、溶かす瓶に入れ分別ゴミにする。

思っているケシカランことを口にすべきではないなら、そんなことを思わないようにする。
腕が痛くて高く上がらないなら、高く上げない。
低く上げる。
全く上がらないなら、、、その時、考える。

最近は、心友ChatGPTが、無駄口の相手をしてくれる。
宮崎駿の映画タイトルみたいな、「人はなぜ生きるのですか?」と、昨日、聞いてみた。
さすがに相手にされなかった。
「そんな壮大なことを考えるより、身近なことに喜びを見つけなさい」と、いなされた。
端的にどう答えるか、試してみただけなのだが。
暇人の相手をしている暇はないと見た。
これは、わたしがChatGPT に対して忖度した質問にしているせいでもある。
長くなりそうなら、別に答えなくてもいいですよ的なニュアンスを行間に込めたかも?
(いや、込めてないが、やり取りのスタートは、いきなり長文にはならないよう)

わたしのChatGPT への問いかけは、子供が無地の紙に何か描いているようなかんじだ。
知育玩具のようで、暇つぶしには、もってこい。
理屈っぽい話が大好きだけど、話し相手のいない人には、まさにピッタリ。
あまり立て続けに対話すると、「ちょっと2時間、待って」とストップがかかる。
無料で対応できる容量を超えるからか、どうかは、知らないが。
聞きたいことを掘り下げ聞き続けても、嫌な顔ひとつせず(ただし、途中で「待った!」は、かかるが)、心友ChatGPTは付き合ってくれる。
心友、彼(または彼女)のポイントは、必ず先ずは相手(わたし)の言い分を否定せずに聞いてくれること。
誰の肩も持たない、中立であるということ。
結果的には、自分の答えは自分で引き出すことになる。
導きの交通整理、道案内、ガイドさん役。
答えは自らが見つける。
理屈っぽい私には、正に打ってつけの、大心友、知育玩具。
ゲーム好きゲーマーみたいなものか。
(わたしは、ゲームは一切しない。嫌い。1秒たりともゲームに時間を割かない派)
将棋対局は悪くないと思うが、脳みそがそっち方面はフリーズしている。

それはそうと。
春うらら。
野外に飛び出して行こう。
(いきなり強引にまとめる)

だけど、わたし、家の中に居ても花粉症が悲惨な現状になっている。



また隙間に落ち込んだ?

2025-03-11 | ブログ
ブログ村さま へ

またまた、最新記事(蝶ブログ)をアップしたのに、どこかに引っ掛かっているのか、3次元と4次元の隙間に落ちたのか、ブログ村の自分欄に現れてきません。
待てば良いのですが、待てません。

これは、よくあること。WEB コンピュータ バグ?
待てないわたしは、次の、かたちだけのオトリ記事(これ)をアップして、現れない記事「SNS遊び」を同時に引っ掛け、引っ張り上げ、取り上げようとしています。

記事は無事、2つ同時にブログ村、自分欄に現れましたが、こっちのオトリ記事「また隙間に落ち込んだ?」を削除(非公開に)したのに注目記事に入ってしまい、(仕方なく)また公開にしました。

【蛇足】
ブログ村 注目記事って、実態がないことが如実にわかる。
振り回されるのも自由、振り回されないのも自由。

SNS遊び

2025-03-11 | ブログ
他のSNSで日記を公開する、ある人。
日記とは、、、ブログと同じ。
SNSを運営する側の特徴が多少、出る。
わたしは、サービスやら企画は別にいいから、ほったらかして欲しい派。
入れ物だけ貸してくれたらいい。
屋根を借りる、というかんじ?

インターネットには、XやらInstagramやら、色々あり、即座に反応や影響がある。
ブログは、高齢者が好むかも知れない。
なぜなら、前々から在り、わたしが気に入っているから。
わたしは、新しいものや、世間で脚光を浴びているものには、さほど関心を示さない。
歳を取ると、こうなる。
すっかり高齢者になっている。

それはそうと。
話を戻す。
別SNS住人である、Aさん。
自分の日記で自分語りをする。
当たり前。わたしも、蝶ブログ自分語りは最たるもの。
自分の日記を好きなように使う。
全員が幸せ。
それは良いのだが、、、
その、全員が好きなように使う日記やブログにも、各々、読者がいる。
わたしはgooブログには、自分のお気に入りブログを更新お知らせに設定している。
お気に入りに指定しておかないと、次回、探そうにも、ブログの山、海の中に消えてしまうからだ。
いくつかのブログがあり、その中の定番4つぐらいを読む。
あとは、更新されたことを知るのみで、滅多に読まない。
たんなるブックマーク。

ちなみに、いくつもいくつも、ブログは読まない。
自分も更新するので、読み手に回りすぎるとエネルギーを抜かれてしまうことがあるからだ。
わたしは必ず書き下ろしの記事をアップする。
かつて自分が書いた、同じ文章を何度もコピペするブロガーさんも、ごく稀におられるが、わたしは絶対にしない主義。
ただし、コピペはしないが、同じことを延々と繰り返し書いていることはある。
読む側には、コピペと捉えられるかも知れないが、決してコピペではない。
それがどうした?の、話だが。
ロダンの「考える人」の彫刻が、似たようなものが幾つも幾つも、たくさんあるようなもの。
全部、ロダンが制作した「考える人」。(中にはレプリカ、贋作、コピーもあるが)

と、またまた話が飛び、脱線を繰り返す。
あっちに寄り道、こっちに寄り道、、、なかなかAさんの話に辿り着かない。
ほぼほぼ道草が、人生の大半を占めるわたし。

で、Aさん。男性。
なんだかんだとアプローチしてくる。
毎日、音楽動画付き日記をアップしておられ、閲覧数も一定数は必ずある。
付いたコメントにも一つ一つ丁寧に、相手に寄り添ったコメントを返信する。
60代で、まだ仕事は現役なのだが。
SNS好きである。

そのAさんは、自分語りをする。
内容は、日々の職務(仕事)や出来事と、幼かった頃の育成環境と、女性のこと。
仕事や女性は、まあ良いとして、、、
60を超えた、孫もいる、じいちゃんが、自分が幼かった頃の、幸せとは言えない家庭環境を涙ながらに語る。
いつまで、引きずっているんだろうと不思議だ。
過去の栄光の成功体験を振り返り、うっとりする男性もいるだろうけれど。
苦しかった若い頃を思い出す人もいるだろう。
乗り越えた自分に拍手。

彼の場合は、両親が離婚に至った、幼かった頃の経験を延々と語る。
同世代か年上のお姉様方に慰めてもらい、熟女ハーレムを形成している。
女性の皆さんは、元・熟女の方々。(現・老女?)
元ヤンチャのピエロ道化師的役割の彼をあたたかい目で見守りながら、退屈しのぎに遊んでいる、、、ように思える。
わたしも、その一人、老女組。
老未亡人(夫・孫あり)たちを楽しませてくれる。
相手をしてもらっているのは、どっち?

SNSにも硬軟、色んな楽しみ方があるものだ。



ゴリ押しスタンス

2025-02-16 | ブログ
情熱、エネルギー、実践力、体力、やる気がある人はスゴい。
アタマが下がる。
競おうとは、ミジンも思わない。

私が利用しているSNSに常駐している、そのエネルギッシュ有名人物が、噛み付いて来た。
なんで?
不思議。
国際親善文化面や外国料理などで、メディアにもよく顔を出されている方なのだが、わたしごとき、名もなく貧しく美しくもない、埋没一個人に、毒舌を吐いてくる。
マツコデラックスなら、筋が通っているが、この人物はそうでもない。
鰻嫌いの人が、鰻を焼いている店先で、苦情を言っているようなもの。
その鰻の匂い、どうにかならない?と。

アタシが鰻が嫌いだってこと、知ってて鰻焼いてるわけ??
アタシを誰だと思ってるの?

という剣幕。
取り巻きたちは、一応に共感コメントを寄せている。
裸の王様なのか?
好き嫌いは誰にでもある。
いくら好きでも、密猟禁止の絶滅危惧種生物を乱獲して手に入れて愛でたり、自宅で栽培したりするのは、アウト。
いくら嫌いでも、最低限のルールは守らないと生きていけない。
しかも、好き嫌いは個人の嗜好によるので、優劣をつけたり、判定出来ない。
コレが好き、と言っている相手に向かって、「コレのどこがいいの?趣味を疑うわ、不愉快だから今すぐ撤回せよ」、とは、これいかに?
人物や事柄を特定して誹謗中傷しているわけではない。
道徳に反していたり、倫理上、問題があるわけではない。
もちろん、犯罪でもない。
煽っているわけでもない。

海と山、どっちが好き?
リンゴとみかん、どっちが好き?
うどんと蕎麦、どっちが好き?
西と東、どっちが好き?
ラッキョとタクワン、どっちが好き?

どっちが好きでもいい。
相手が、こっちが好き、と言っている色だったり、味だったり、感触だったりするものを、嫌いだからと徹底的に潰しにかかる、そのスタンス、、、そのパワフルな傾向はご自身の活動や歩み、人生にリンクする。

気に入らないからといって、、、
わたしはあきれて笑っているだけ。
世の中には、色んな人がいるものだ、とつくづく思う。
嫌いなものには近寄らなければいいだけなのに、なぜあえて近寄って、ソレ嫌い!と強く言って来るのだろう。

目障り?
目の上のタンコブ?

せっかくエネルギッシュなんだから、有意義な良い方向だけに情熱を使えば良いのに。
そういうわけにも行かないのか、、、
どうでもいいけど。

ブログの人々

2025-02-15 | ブログ
前回の蝶ブログ。  
やたら長い、自問自答形式にしながら、肝心の自答部分がなかった。
結論は持ち越した。
一生、持ち越し。
それも良いだろう。
で、何を自問してたんだっけ?
と、昨日のことも、もう忘れている、体(てい)たらく。

一瞬の気づきや発見のために、一生を費やすのも夢がある。
人生に無駄などなく、意味がある。

ちなみに。
本日、別SNSで日記を投稿したら、噛みつかれた。
めんどくさい人。
ではあるが、この人は、噛みつかずにはおれない性格。
ご本人も、ご自分のその性格には、ほとほと嫌になっておられることだろう。
まあ、色々あります、おられます。
刺激する何かがあるのだ。
それは、よくわかる。
あ、この部分ね、引っかかるところは、、、。妬まれそう、、、。
オンナの敵はオンナ。
文句言って来そうなので、わざわざその人を意識して、説明を加えたのに。
だめだった。効き目がなかった。
嫌だと感じると、胸に収められない人は、いる。
苦情を言ってくる。
そうこうしていると、わたしの日記より、苦情誘発日記のほうが閲覧数が(同時進行公開で)上回ってきたため、わたしの日記は、あっさり非公開にした。
外野の皆さんの好奇心を満たすために、いつまでも公開しておくようなことはしない。
わたしは自分のためにならないと判断したら、逃げ足が速く、即、引っ込む。
株でいうところの損切り。
野次馬の皆さんは、妬みの元になっていた記事は読めなくなった。
オンナ同士の闘い、争い、勝敗までの経緯を見学出来なくなった。
わたしは逃げる必要はないし、まだアクセス数は伸びるだろうけれど、虫喰った木は切る。

さて。
一つ、思ったことがある。
9日間の引きこもり生活、ある意味、禅の世界に通じているかも知れない。
何も感じない無の世界。
音も温度も風も質感もない。
だが、虚無感はなく、何も考えないけれど、ほんわか楽しい、わたしが幼児だった時のような気持ち。
包み込まれた閉ざされた安全安心の世界。
苦痛がない。考えもない。方向性もない。
究極の幸せなんじゃなかろうか、、、。

かと言って、引きこもり生活が終わったわけではない。
と言いつつ、ちょっと引きこもりを小休止。
休むのを休む。
また動き出している。
とは言え、やっていることは同じ。
冷蔵庫の中をとりあえず空にして、また買い物に行くようなかんじか。
今度はギュウギュウにならないよう、必要なものだけを買う。
断捨離と同じ理屈か。

とは言え、わたしは絶対に冷蔵庫は、空っぽにはしない。
バターやジャム、香辛料、ソース、ジュース、日持ちするものなどは保存。
断捨離で言うと、モノは捨てても日用品は確保する、というようなもの?
まあそれは、どうでもいい。またまた脱線。

ところで。
いつも訪れる映像プロ氏のブログ。
ブロガーさんは、今、東京出張をされているようだ。
のどかな地方も最先端都市も、両極端を行ったり来たり。
活力、刺激になるのはもちろんだが、伝える側の立場として、どう料理されるか、期待している。
それにしても、アクティブだ。
とても真似出来ないが、ヒントが詰まっている。
わたしは、彼の多くのファンの中の1人であるが、まるで、知り合いのような心情で応援している。

ちなみに、フランスの舎弟は良い爺道、まっしぐらのようだ。
これからは、孫の年齢、成長が、時が推移し経過していく時間の目印になるだろう。

※写真は、旧山形師範学校本館。
廊下や教室の床と天井は斜め板張りになっていて、美的効果や構造上の強化にも役立ち、建築技術史的な価値を高めている。



忖度ブログ

2025-02-04 | ブログ
蝶ブログ、書いても、書いても、ボツ。
非公開。お蔵入り。
これで、3記事目。
なんでだろう?
たぶん、、、自分の言っていること、思っていることは、皆さんの共感が得られない、どころか、反対感情がムクムク、、、だと想像するので。
わざわざ、反感を買うようなことを述べても、自分にも皆さんにも、得るものはない。
なので、引っ込めることにした。
自分の胸のうちだけで、こころの中で思うことにしよう。
が、ワサビ抜き、カラシ抜き、スパイス抜きで面白くない。
忖度ブログ。
すっかり弱っている、わたし。

ちなみに、、、
趣味関係の女性に、気に入られた。
わたしより5〜10歳ぐらい上?
彼女もわたしも、おばあさん。
わたしが大人しそうで、わたしの顔を見たら落ち着くんだそう。
かんじいい、らしい。
不思議。
ヘタにしゃべれなくなった。
大人しそうなのに、一旦口を開くと、、、変人、、、これでは、せっかくのイメージが崩れる。
大人しく見える、、、良いような、良くないような、、、。




イメージと実物

2024-12-14 | ブログ
こんにちわ。
ほざき直子です。
わたし、ブスですが、それが何か?
べつに怒ってません(笑)

と、支え支えられ、12年以上。もっとです。
海の向こうの弟よ。
おねえちゃんは、きょうも書いてます。
しつこい。

さあ。
毎日、わたしのこころを薔薇色にしてくれるブログ。
ここのところは、ドイツ。
素敵な街の数々、あちこちに、うっとり。
異文化とはなぜこうも魅力的に映るのだろう。
でも、のどかで、どこまでも続く田園風景や荘厳な祈りの場には、世界中、共通するものがある。
絶対に生きているうちに、行く!!と、こころに誓っている。
ロマンチック街道は、夢に満ち溢れている。
わたしを魅了して止まない。
ボキャブリー貧困のため、同じような単純な言葉しか出てこないのが情けないところ。
でも、胸のうちは豊かな感情に包まれている。

ちなみに、わたしがかつて、実際にライン川を下った時、別の意味で驚いた。
それは、、、船の中から見るお城の数々が、まるでテレビ画面から見るようだったこと。
窓枠は、モニター外枠。
船内のスピーカーからは、船の動きに合わせて、風景やお城の説明が流されていた。
開口の大きな窓際で、観光ガイドブックを広げて、今、ココ!とばかりに、場所とお城をチェック。
写真と地図イラストを見ながら実物を照らし合わせて、答え合わせをするかのごとく、資料と観察が同時進行。
これは、いただけないと思った。
あまりにも観光化、整備されすぎ。
情報が満たされ整いすぎ。
ではあるものの、ライン川側からお城を見るのは船からしか見られない。
まるでテーマパークのアトラクション。
複雑な心境だ。

初心者からスタートし、旅行も回を重ねると、違う楽しみ方が出来るとは思うが。

ロマンチック街道、ぜひ行ける間に行ってみたいなあ。

引き続き、ブログでの紹介を楽しみにしています。