goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ぐだぐだ負け愚痴

2017-09-16 | 趣味
台風のど真ん中の日に、試合がある。
勝ち進んだら、台風がきつくなる時間に突入し、早々に負けたら、雨風が激しくなる前に帰れる。
勝ってよし、負けてよし。
でも、帰りにタクシーもなく、大きな荷物を持って、風に飛ばされるかも。
「負けてよし」に絞られそうだ。

相変わらず、趣味の相手からは、わたしの技量、能力に対する全面否定の超失礼な言葉を浴びさせられている。
わたしは、言いたいことを抑えているのではなく、言われている内容に反論できない、自分の技量の未熟さがある。
しかしながら、これは一種のモラハラ、パワハラではなかろうか。
先生に言われるならいざ知らず、完璧でない素人に言われることに抵抗がある。
まあ、あと少しの辛抱なので、爆発してもエネルギーの無駄遣い。
当初から心準備していた、終焉予定の期日に刻一刻と近づいている。
だから、まあ、いいのだ。
最初から、終わりを見据えた修行と思っている。
嫌々、渋々の後ろ向き姿勢オンリーではなく、せめて得るものは得ないと、苦労の念だけ残るのはバカらしい。
転んでも、タダでは起きないのが、わたしのモットーである。
なにかしら、掴むものを掴みたい。
人生に、無駄な時間は無いはず。


趣味の世界にも、人それぞれの生き方が出る。
血の滲む努力をする人や、スケールの大きな人、おおらかな人、色々いる。
わたしは、やはり、エコ。
無駄な動きは、したくない。
とは言っても、今まで10年間、無駄一本槍だった。
エコを掲げているくせに、全然、反比例。
まあ、そこは趣味の世界。
お遊びを効率的にやってしまったら、すぐ終了してしまう。
なるべく、長く、グズグズ引きずったほうが、楽しみが長持する。
「どんくさい」とは言わず、体裁よく、「奥が深い」と表現しようか。
と、負け惜しみを言って、自己肯定。

さて、その趣味にも、根本的な人生スタンスが現れていると感じる。
たとえば、、、考え方。
真摯な人、真面目な人、負けず嫌いな人。
様々だが、わたしは、考えなしの人である。

人の踊りを見ていると、人のことはよくわかる。
ある、女性が上手、男性イマイチのペア。
長く頑張っている。
が、試合には勝てない。
そこでわたしは、思う。
イマイチの男性をレベルアップさせる時間、エネルギーよりも、イマイチでない男性とペアを組み替えたらいいのに。
なぜ、あのイマイチの人と長くやっているのだろう。
二人の世界にどっぷりで、客観的な評価を気にしないなら、試合に出なければいいのに、試合には出ている。
試合に出るなら、勝てる相手と組めばいい。
と、そこで、勝てない相手とでも試合に出続けるには、理由があると思う。
おそらく、イマイチでない男性がいないのだろう。
あの、上手な女性に合うレベルの男性の絶対数が不足していると思われる。
女性も、ピカイチ上手だとか、若い美人だとかなら、相手も選り取りみどりだろうけれど、普通に上手(飛び抜けて上手とまではいかない)ぐらいでは、見合った男性は、ある程度の技量がある若い美人か、居心地のいい人と組む。
で、若くない女性は、技量が少し落ちる、イマイチ男性と組むことになる。
年齢は若くなれないのだから、自分の技量レベルをもっと上げないと、相手ターゲットとして、イマイチ男性からは抜け出られない。
技量を上げて、同レベルの男性と組めたらよいが、同レベルの男性は、さらに技量に加え、若い美人と組む。
マッチングできないスパイラル。

余るのは、普通に上手な女性と、イマイチ男性。
ということは、あのペアは、相手を替えることは困難だということだ。
替えたとしても、「普通に上手な人の市場」と「イマイチ市場」の中から、再度、洗い直し、物色、組み替え。
固定カースト制における、マイナーチェンジ。

二人して、少しずつ上達目指して頑張るしかないのかも知れない。

あとは、普通に上手な女性が、普通に上手な男性と組むコース。
普通に上手な男性は、引く手あまたなので
男性のご機嫌を取りながら。
それが嫌なら、イマイチ男性で我慢。

わたしの場合、ペア相手は、たぶん、「普通に上手」レベルだと思う。
わたしはイマイチ技量、なので、彼は自分より下目のわたしをボロカス言いながら、自分のペースでやっていきたいようす。
(とびきり上手な女性からは相手にされず)

わたしは、イマイチ技量ではあるが、ボロカス全面否定には耐えられないので、レースから降りようとしている。
そもそも、わたしは、レースなど向いていない。
貴重な経験をさせていただいたことには、感謝している。
何事も、やってみなければわからない。
やらずにケチをつけるのはよくない。

先生でもない素人の、上から目線は、あほくさくて、やってられない。
ということで、あと、ほんの少し、解放される日は目前となっている。
心配なのは、台風だけである。
(これが一番、深刻に心配だ)

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


夢の中の、夢

2017-09-09 | 趣味
今朝、夢を見た。
趣味の夢。
ほんの数回、踊ったことがある、見たことのある人と組むかも知れない可能性が出てきた。
よろしくお願いします、と、恐る恐る、踊ってみた。
(顔のイメージは、自治会の連合会の時に見かける、色白で端整な顔立ちの中国人男性と、去年の団体旅行で一緒だった、切れ長の目をした浅黒い顔の男性を足して割ったような感じ)

絶対に断られるだろうな、と思っていたら、「良いですよ」と、あっさり言う。
すっと難なく滑り出す。
その人は「先に少しリードしてくださいね」とも言い、そういえば、きれいに立って上手風だが、踊りをあまり知らない可能性もある。
(男性がリードするのがルール)
友人たちも見に来ていた。
どうやらベトナム人らしい。
みんな、故郷を離れ、異国の地、日本で経済的事情のため、働いている。

「なんでダンスを始めたのですか?」と、わたしが聞くと、お金がかからず楽しめるなんて素晴らしい、という答えだった。
舞台はどこかの体育館。
わたしは、リードできないので、この人と踊れるようになるには、レッスンを受けないといけないと思った。
レッスン費用は、わたしが持つことになる。
彼が、ある程度、踊れるようになったら、わたしは、もっと素晴らしい女性とチェンジされるだろう。
それをわかって、今だけ楽しむ。
技量アップの手助けをする。
卒業の日が来たら、それで終わり。
ダンスはダンスとしてさておき、体育館に応援に来ていた同郷の女性と、幸せの道を歩くだろう。
応援できて、自分も幸せになれる。

しかし、卒業の日は泣くだろう。

組みもしていない、しかも架空の人物とのストーリーに、ちょっぴり切なくも幸せ気分になった。
睡眠中に見る夢って、いいなあ。
ただし、自分ではコントロールできないのが、残念。

ぐっすり眠り、ハッピーな夢まで見れて満足して目がさめると、9時だった。
ブレックファースト ブッフェは10時まで。
慌てて飛び起き、支度して、あたふた駆け込んだ。



この夢分析を試みてみると、自分の願望が現れていると思われる。
自分にあるのは、精神的ゆとりと、わずかな経済的バックアップのみ。
能力はない。伸び代もない。努力をする気もない。
白馬に乗った王子様が現れ、しばし、魔法の切れる12時まで楽しみたいという、虫のいい思いか。
なんと、甘い、自分本位の夢だろう。
夢には、実現に向けて掲げる夢と、努力せず、ただただ、ぼ〜っと見る夢がある。
ただし、努力しない夢の場合は、払った代償に見合う、期間限定ということ。
ホンモノの夢は、目標、情報収集、計画、実践、試行錯誤、軌道修正、行ったり来たり、口を開けて待ってるだけの、ぽよよ〜ん、ではない。
自分を夢に向かって走らせる、情熱、自己投資と努力が必須。

夢を見ている間に、人生はあっという間に過ぎる。
今朝のように、朝食にありつけない可能性だってある。
夢と現実の橋渡し、実現可能な、自分の夢の設定が、ポイントだと思う。
だが、手が届かない夢を見続けるのも、ある意味、幸せかも知れない。
無知は、夢を見れる。
知ることにより、絶望するよりはいい。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


損切りする英断

2017-09-06 | 趣味
わたしが出来ない部分のサポートを他人さんのアドバイスなどでカバーしてくれようとする。
他の人の力を借りて協力してくれようとする。
(わたしは、先生の指導は全て取り入れようと努力する姿勢だが)

わたしが協力してほしいのは、そこじゃない。
自分自身の役割の足りない部分を自分で補ってほしい。
自分のやることをやってから、人のパートに口出ししてほしい。

そもそも、わたしが混乱に陥るのは、相手のせいなのだから、わたしを修正するのではなく、自分を修正するほうが先。

こんなケースは、山とあり、どこのペアとも似たようなものらしいけれど。
自覚しているか、していないかで、えらく違う。
しかしながら、自覚していただくまで、5年も待てません。

未熟同士だからこうなる、という見解。
たしかに。
自分が未熟なのに、大きな器を演じるのは辛い。
自分が頑張れないなら、なにか、条件をひとつ落として、別の人と、レベルダウンした状態で、やり直してはどうか。
これは、技量面が追いつかないせいもあるが、性格、人格面にも問題がある。
自分を直さずに、相手を直させる。
自分は、下手なのに。
どこの誰と組んでもこんなものなら、やってられない。
何が楽しくてやっているのか全然理解できない。
歯を食いしばって耐えたら、楽園が待っているのだろうか。
だめなものは、だめ。
高目で買って、下がった株と同じ。
いつまでもへばりついてないで、目減りしても、損切りする勇気を持たなければ。

本来、お互いに膝や腰に持病を抱えているのだから、労わり合って無理をしないことが前提。
思いやりが生まれてこないところに、相性の悪さを感じる。
わたしも悪いが、相手も悪い。
こんなことを言い続けていたら、いつまでも並行線である。
時間の無駄。
ちょっと寄り道しただけ。
失敗は成功のもと。
魅力のないものは、捨てる。

相手もそう思っているかも知れない。
相手も、もっとよく出来た人と組めばいい。
新しい相手が技量能力の高い人なら、自分より低い技量には不満を感じるだろう。
わたしより更に出来ない人と組むべき。
そして、どんどんレベルダウンしていく。
負のスパイラル。
あら、なあんだ、わたしと同じではないか。
所詮、ダメ同士ということか。
ひょっとして、誰と組んでもダメなのかも知れない。
問題は相手にではなく、自分にあったりする。

しかし、みなさん、相手はそうそう現れないので、ガマンしているようだ。
理想を追求すると、相手がいない。
嫌な相手でガマンするか、相手がいなくてガマンするか。
どっちみちガマンかあ〜。
趣味もそこそこ手を抜いて適当なところで妥協しないと、楽しみはどんどん遠のくばかりだ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


一日もはやく別れたい

2017-09-04 | 趣味
なぜ、大好きな趣味が楽しくないのだろう。
やはり、相手によるのか。
わたし自身、癖も難もあるキャラクターなので、合う人など、そもそもいないと思う。
わたしの能力は、たかが知れているし、「伸びしろ」もさほどないし、あまり評価できない、気に入らない相手に対して頑張って努力しようという情熱もないし、素人さん相手では、不満が出るのは当たり前。

素人には、そもそも素人相手は無理。
よほど、相性が合って、吸引力がないと。
協力し合おうという互助の姿勢がないと。

相手が、わたしに非を見出し、出来ないところを努力して克服せよ、という気持ちは痛いほどわかるが、自分はどうなのよ?
自分だって出来てないから、わたしが上手く行かないんだ。
わたしにも確かに非はある。
認めるが、あんたにも非がある。
あんたは、それを口だけで認めたようなことを言っているが、ホンネは違う。
いつもわたしを責める。
わたしばかりを責める。
わたしが、あんたの非を責めたことはあるか?
もし、わたしが、そんなによく出来た人間なら、あんたなんかと組まない。
もっと出来る人と組む。
そこらあたり、全く自覚がない。
それに、もっとよく出来た人なら、わたしが出来なくても、わたしが出来ない分をカバーし、自然に出来るように導いてくれる。
さすがに、わたしも有料のプロではない素人さんに、そこまで求めないが、あんたも、素人であるわたしに、求めすぎである。
自分だって出来ていないくせに。
あんたのレベル、条件では、わたし程度でバランスが取れている、にも関わらず、それを理解していない。
お互いに、たいしたことはない。
お互いに、である。
一方ばかりを責めるのではなく、お互いの互助サポートがないと成り立たない。


はやく、組み替えの日が来ないかなあ。
はやく、はやく、はやく、、、
別の人とやり直して、あら、今の人のほうがマシだった、と、良さがわかるのかも?
なんでもいいから、とにかく、はやく、今の相手と、サヨナラしたい。
最初から嫌なのだ。
自分を顧みず、相手を責める、あのスタンスが。

きっと性格が嫌いなのだろう。
歩み寄れない我々。
仕事でも家庭でもなんでもない、趣味の世界なんだから、ガマンする必要性を見出せない。
相手は合わせようと努力していないのに、なんでわたしが協力しなければならない。
好意でも持っているならいざ知らず、お互い、そんなことはない、執着心のない人に。
わたしは好意どころか、嫌いである人物。
相手も、自分からは好意は抱いているわけではない。
わたしには相手がいなくてかわいそうだから、わたしの相手をしてあげているという、高いところから見下ろしている、優越感ありあり高飛車路線。
わたしからのアプローチで、ボルテージはわたしのほうが高いと思っているようだ。
とんでもない。
勘違いも甚だしい。

目標が同じなので頑張っている。
が、この目標もこんなに不協和音では、相手を変えたほうが早道。
あるいは、目標自体を変えたほうがいい。
試行錯誤で、自分の道を手探りで進む。

別れの日が待ち遠しくてたまらない。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


全然、楽しくない

2017-09-02 | 趣味
思っていることが、言えない。
表現できない。
具体的な相手のいない不特定多数に向けてのブログなら、なんだって書けるのに。
自分の性格が弱い、欠陥があると思う。

嫌われても構わない、とブログでは潔さを強調するくせに、実際、目の前にすると、相手に嫌われないように振る舞ってしまう。
嫌いな相手なのに。

波長が合わないのだろうか。
その人が面白がっている事柄に、わたしは頑張って興味あるフリをして、合わせている。
わたしが興味あることに対しては、その人の反応は薄い。
しかも、その人は、一生懸命、誠意で自分が調べたりしたことに、相手の反応が薄いと、とたんに失望する。
つまり、自分が中心。
同じことに同じ熱を持ってほしいと望む。
しかし、そんなぴったり分身みたいな人はいないと思う。
なので、自分に合わせてくれる人を選ぶのだろう。
(いつも短期間で相手はチェンジ)

ラリーは応酬があってこそ、面白いし、熱が入る。
一方が強いと、ラリーは続かない。
わたしは、とりあえず、合わせるタイプだが、無理をしている場合は、維持が困難。
息も絶え絶え。
こちらのペースに持ってこさせるまでに、わたしは潰れている。
というか、直感で、わたしのペースになど、一生合わせられないと感じる。
持ちつ持たれつ、お互い、ギブアンドテイクならまだしも、一方的では、相性が悪いとしか言いようがない。

表面だけの薄い数分の関わりならいざ知らず、長時間、行動をともにするには、信頼は大事。
自分を見ればよくわかるように、誰しもパーフェクトな人はいないので、無いものねだりは、よくない。
しかし、同じ、割れ鍋に綴じ蓋でも、微妙な割れ具合によって、しっくり行く場合と、全然ダメな場合がある。
どちらが悪いわけでもなく、相性が合わない。

ストレスを感じても我慢するのは家の中だけにしたい。
たかだか趣味、仕事でもないのにストレスを感じ、ぐったり。

同じ趣味のこの人物、定期的に嫌な思いをさせられる。
同じだけ、楽しい思いがあれば良いのだけど。
同じ目標に向かって2人で練習しているのだが、試合の結果が良ければそれでチャラなのだろう、おそらく。
練習は苦しく嫌なもの。そんなものなのか。
これで試合が惨敗なら、かえってスッキリするかも知れない。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


やはり、無理。離別は想定内。

2017-09-01 | 趣味
わたしが、ブログを書くのは、溢れ出るマイナス気分の時が多い。
今、趣味関係で強い関わりのある、あるお方。
しばらくは、おさまっていたが、またまた、わたしの不満がムクムク。
わたしに、別SNSで、あるテーマで日記を書けと言う。
嫌。
なので、はい、そうですね、とは言ったものの、書かない。
書かないことが、わたしの意思、考えの表明。
即座に「嫌です」と言えばよかったのだが、根性無しで、言えなかった。
だから、提案を実行しないことで、拒否を示す予定。

当初は、半年見込みだったが、今は、あと三週間で解放される予定になっている。
が、どうもクリアな感じではない。
期間限定と思っているから、嫌なことや、鬱陶しいこと、腹立たしいことを我慢している。
あまり楽しくない。
同じ時間を費やすなら、自分では盛り上げよう、楽しもう、と、自分を鼓舞しているのたが、すこし楽しいかも?という時が稀にあっても、やはり、考えの原点のところに触れると、あまり楽しくない。
この想いは、最初と変わりない。
やはり、気に入らない根本、根深いものが、変わらないからだろう。
表面だけ合わせようとしても無理がある。
なので、無理せず、そおっと、ご縁が切れる日を指折り数えて静かに過ごすことにする。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


後遺症との闘い

2017-07-17 | 趣味
さあ、愚痴ろう!
ワクワク。
もう、アクセス数は、気にしなくてよくなった。
こころ晴々、胸につかえたヘドロを思いっきりグチれる、このしあわせ!

で、いきなり、本題。
とある、別SNSで口を封じられ、お利口さんになることを演じさせられ、もう、気がムシャクシャ。
お利口さんじゃない、わたし。
なんで、お利口さん的なことばかり、取り繕って書かにゃいかん。

ある、Aさんと仲の良かった人物Bさんが、Bさんの日記の中で、Aさんにとっては優等生的でない、失礼な単語をほんの一文字使っていた、と気を悪くしたAさん。
それでBさんと一方的に決裂、決別したと言うAさん。
かなわんわあ。そういう人。
じつに、世の中には、そういう人は、よく居るのだけれど。
人のブログや日記に、けしからんコメントをしたのならいざ知らず、自分の日記で、しかも、全くけしからんこともなんともない言葉だった。
それを聞いて、わたしは、どっと疲れた。

いつもそのAさんの機嫌を損ねないような日記やコメントを書かなくてはならないなど、窮屈で重苦しいだけだ。筆への圧力。
なんの関わりもない他人なら無視すればよいのだが、いかんせん、わたしとは利害関係を伴う人間関係にある。
かといって、自分の別ブログに書いても仕方ない、無駄なことなのだが。
(今、これ書いてます)
少しでも入力している間は、気が晴れる。
また後で、非公開に切り替える可能性はあるが。

すみません。
グチを読んでいただく羽目になった、残り少ないお客さま。
また足を運んでいただく回数が減ることでしょう。
自分で自分の首を締めているのだけれど、愚行を決行しているわたし。
本日の記事冒頭、最初の意気込みとは、トーンが違ってきている。
高アクセス・ダウン後遺症。

なにごとも、頂上と底を見るのは良い経験だそうだが、、、
はたして、、、

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村


人生の先取り、速足

2017-07-08 | 趣味
どこかに、また、へんな露出をしたのか、通常のわたしのブログアクセス数に比べると、昨日は異常に多い数となった。
長年、ブログをやっていると、こういう時は、いつもなのだが、ろくなことはない。
ザワザワと(悪いほうに)胸騒ぎがする。
明日には、いつもの数に落ち着いていることだろう。

そもそも、わたしは、目立つことが嫌いである。
ブログを書くにしても、ちょこっと自分だけの棲息地で、ちまちま動きたい。
マイノリティ派。ごく限られた、限定エリア、限定数でやっていくのが好き。
1日1組しか受け入れない宿、とか、1日10個しか焼かないパン屋とか。
たんなる変わり者である。(働き者ではない)
変わり者は日陰を好むため、ガヤガヤした人が行き交う雑踏地は苦手なのだ。

と、いつもながらの長い前置き。


さて、例の、ぐいぐい割り込んでくる、別人生の人物。
今日もその人の悪口が書けると思うと、ワクワクしてくる。

その人は、同じことを何度も言う。
時を異にして、最低3回は言う。
大事なことだから、とか、忘れないように頭に刻むために、とか、そんなのではない。
自分が思った時に、思ったことを口にしているだけである。
多分、言ったことも忘れているのだろう。
3回は、まだ少ない、マシなほう。
10回ぐらいの、長物語もある。
全てを一気に吐かなければ気が済まないようで、まとまったストーリーになっている。
(他人の行動を否定するストーリーなので、聞きたくないのだが)
出だしの1秒で、あ、また始まった、この話、とわたしの脳が認知すると、後は話が終わるのを静かに待つだけ。
回数が5回を下回る頃は、ああ、またこの話か、ぐらいにしか思わなかったが、どんどん回数を更新している今は、症状として経過を見て、自分の下した病名、性質の確信を深めていくばかりである。
症例集めは、いたって順調だ。

それにしても、本人には自覚症状はないのだろうか。
普通の、ある程度の年配の人は、あんなものだろうか。
ひょっとして、わたしも、あんなのだろうか。
社会生活には支障をきたさなくても、ちょっと微妙にオカシイ人は、ごろごろ普通にいるようだ。
作業をしたりする分には、差し障りがないだろう。

ぶすっと何も話さない、無口な人のほうが、ボロが出なくていいかも、と、本気で思った。
しかしながら、おしゃべりの人は、考えて話しているのだろうか。
同じことを何度も言うのと、どうでもいいことを延々としゃべるのと、どちらがマシだろう。
内容に意味はなくても、会話は、コミュニケーションだから、話の中味は、なんだってよく、話すという行為そのものが大事なのかも知れない。
その人物は、自分が話すのは好きだが、人の話を聞くのは苦手のようだ。
わたしが話すと、聞き手は集中力が続かないことをよく感じる。
まあ、そういう人もいる。
逆に話すのが苦手で、聞くほうが楽という人もいる。
わたしは、一対一の場合、話すのも好きなので、聞くばかりでは、楽しいとは言えない。


ここまで書いていて、ふと思った。
この登場人物は、老人ホームに入っている人や、長期入院している人、あるいは自宅で見守りを受けている人のイメージ。
実際の人物は、まだそこまで高齢ではない。
ふう〜む。
独自のキャラクターなのか、それとも高齢を先取りした人なのか。
わたしの親世代の、80歳後半の人の特徴が出始めていると感じる。
20年、先取りだ。
(しかし、この人は、一生青春、一生チャレンジ、をモットーにしておられる・・・)

わたしも、同じ穴のムジナかも知れない。
だが、自覚があるかどうか、そこだけが少し違うところだ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村


あなたの人生は、わたしの人生ではない

2017-07-07 | 趣味
とある人。

定年までは、家族のために、生活のために働いてきた。だから、定年後は、好きなことをする。
やりたいことに熱情を注ぐ。
まさに人生の黄金期である。

そう意気込みを語る。
よくある話だ。
悪くない。応援したい。

が、自分に関わってくるとなると、微妙、複雑な心境。
その人物の好きなことは、わたしの好きなこととは限らない。
好きなことは大まかに、ある程度リンクし、接していて協働で動くのではあるが、方法としては、考え方、感性の違い、ズレ、温度差がある。

わたしは、リタイア後は、好きなことをする、というスタンスは同じであるが、好きなことをして頑張らない、嫌なことは避ける、という、消極的姿勢。
もう、がむしゃらとか、そういうのは、疲れる。
自然体で、無理せず、あるがままに歳を重ねたいと思っている。
日常生活に腹筋運動を取り入れろ、とか、あれやってるか、これやってるか、と、うるさい。
一族の生活を支えてくれる夫でさえ、そんな七面倒なことは言わない。
理想や、自分に課している課題なら惜しみない拍手と応援をするが、人にまで押しつけると、息苦しいだけだ。

わたしは、頑張らない人生を謳歌したい。
なので、頑張りたい人との協働は、カウントダウンが近い。
とりあえず、あと、4ヶ月。
頑張りたくないけど、頑張る。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村



難儀な欲求

2017-07-06 | 趣味
自分の主義を貫くには、色々方法はある。
協働ではなく、一人単独なら、思いっきりあちこち調べまくって、知識や知恵を駆使して好きなようにすれば良い。
業者を使うなら、これまた選び放題すればよい。
時間とお金と相談しながら。

問題は、自分だけではない場合。
複数いて、自分の主義を貫くとすると、教祖様と信者の関係ならオッケー。
上司と部下、客と業者なら、割り切りでオッケー。
(ただし、あまり無茶なことを要求すると、業者も部下も着いて来ない)
縦でなく、横の関係の場合が難儀である。

無理やり、力まかせに強制しても破綻する。
飴と鞭を使い分けるとか、じわりじわり説得するとか、外堀を埋めるとか、兵糧攻めにするとか、昔の武将のノウハウにヒントを得るのもよし。
気づかないうちに、知らず知らず丸め込まれるのが揉めなくてよいかも。

趣味分野で上り詰めるには、3つの要素が不可欠と言われている。
技術、人格、経済力。
どれが欠けても上手くいかない。
ちゃらちゃら、裾野で遊ぶ分には、どれもなくても可。
向上心を持つ人は、欲も深く、自分もハード。
承認欲求は、難儀である。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村