台風のど真ん中の日に、試合がある。
勝ち進んだら、台風がきつくなる時間に突入し、早々に負けたら、雨風が激しくなる前に帰れる。
勝ってよし、負けてよし。
でも、帰りにタクシーもなく、大きな荷物を持って、風に飛ばされるかも。
「負けてよし」に絞られそうだ。
相変わらず、趣味の相手からは、わたしの技量、能力に対する全面否定の超失礼な言葉を浴びさせられている。
わたしは、言いたいことを抑えているのではなく、言われている内容に反論できない、自分の技量の未熟さがある。
しかしながら、これは一種のモラハラ、パワハラではなかろうか。
先生に言われるならいざ知らず、完璧でない素人に言われることに抵抗がある。
まあ、あと少しの辛抱なので、爆発してもエネルギーの無駄遣い。
当初から心準備していた、終焉予定の期日に刻一刻と近づいている。
だから、まあ、いいのだ。
最初から、終わりを見据えた修行と思っている。
嫌々、渋々の後ろ向き姿勢オンリーではなく、せめて得るものは得ないと、苦労の念だけ残るのはバカらしい。
転んでも、タダでは起きないのが、わたしのモットーである。
なにかしら、掴むものを掴みたい。
人生に、無駄な時間は無いはず。
趣味の世界にも、人それぞれの生き方が出る。
血の滲む努力をする人や、スケールの大きな人、おおらかな人、色々いる。
わたしは、やはり、エコ。
無駄な動きは、したくない。
とは言っても、今まで10年間、無駄一本槍だった。
エコを掲げているくせに、全然、反比例。
まあ、そこは趣味の世界。
お遊びを効率的にやってしまったら、すぐ終了してしまう。
なるべく、長く、グズグズ引きずったほうが、楽しみが長持する。
「どんくさい」とは言わず、体裁よく、「奥が深い」と表現しようか。
と、負け惜しみを言って、自己肯定。
さて、その趣味にも、根本的な人生スタンスが現れていると感じる。
たとえば、、、考え方。
真摯な人、真面目な人、負けず嫌いな人。
様々だが、わたしは、考えなしの人である。
人の踊りを見ていると、人のことはよくわかる。
ある、女性が上手、男性イマイチのペア。
長く頑張っている。
が、試合には勝てない。
そこでわたしは、思う。
イマイチの男性をレベルアップさせる時間、エネルギーよりも、イマイチでない男性とペアを組み替えたらいいのに。
なぜ、あのイマイチの人と長くやっているのだろう。
二人の世界にどっぷりで、客観的な評価を気にしないなら、試合に出なければいいのに、試合には出ている。
試合に出るなら、勝てる相手と組めばいい。
と、そこで、勝てない相手とでも試合に出続けるには、理由があると思う。
おそらく、イマイチでない男性がいないのだろう。
あの、上手な女性に合うレベルの男性の絶対数が不足していると思われる。
女性も、ピカイチ上手だとか、若い美人だとかなら、相手も選り取りみどりだろうけれど、普通に上手(飛び抜けて上手とまではいかない)ぐらいでは、見合った男性は、ある程度の技量がある若い美人か、居心地のいい人と組む。
で、若くない女性は、技量が少し落ちる、イマイチ男性と組むことになる。
年齢は若くなれないのだから、自分の技量レベルをもっと上げないと、相手ターゲットとして、イマイチ男性からは抜け出られない。
技量を上げて、同レベルの男性と組めたらよいが、同レベルの男性は、さらに技量に加え、若い美人と組む。
マッチングできないスパイラル。
余るのは、普通に上手な女性と、イマイチ男性。
ということは、あのペアは、相手を替えることは困難だということだ。
替えたとしても、「普通に上手な人の市場」と「イマイチ市場」の中から、再度、洗い直し、物色、組み替え。
固定カースト制における、マイナーチェンジ。
二人して、少しずつ上達目指して頑張るしかないのかも知れない。
あとは、普通に上手な女性が、普通に上手な男性と組むコース。
普通に上手な男性は、引く手あまたなので
男性のご機嫌を取りながら。
それが嫌なら、イマイチ男性で我慢。
わたしの場合、ペア相手は、たぶん、「普通に上手」レベルだと思う。
わたしはイマイチ技量、なので、彼は自分より下目のわたしをボロカス言いながら、自分のペースでやっていきたいようす。
(とびきり上手な女性からは相手にされず)
わたしは、イマイチ技量ではあるが、ボロカス全面否定には耐えられないので、レースから降りようとしている。
そもそも、わたしは、レースなど向いていない。
貴重な経験をさせていただいたことには、感謝している。
何事も、やってみなければわからない。
やらずにケチをつけるのはよくない。
先生でもない素人の、上から目線は、あほくさくて、やってられない。
ということで、あと、ほんの少し、解放される日は目前となっている。
心配なのは、台風だけである。
(これが一番、深刻に心配だ)
勝ち進んだら、台風がきつくなる時間に突入し、早々に負けたら、雨風が激しくなる前に帰れる。
勝ってよし、負けてよし。
でも、帰りにタクシーもなく、大きな荷物を持って、風に飛ばされるかも。
「負けてよし」に絞られそうだ。
相変わらず、趣味の相手からは、わたしの技量、能力に対する全面否定の超失礼な言葉を浴びさせられている。
わたしは、言いたいことを抑えているのではなく、言われている内容に反論できない、自分の技量の未熟さがある。
しかしながら、これは一種のモラハラ、パワハラではなかろうか。
先生に言われるならいざ知らず、完璧でない素人に言われることに抵抗がある。
まあ、あと少しの辛抱なので、爆発してもエネルギーの無駄遣い。
当初から心準備していた、終焉予定の期日に刻一刻と近づいている。
だから、まあ、いいのだ。
最初から、終わりを見据えた修行と思っている。
嫌々、渋々の後ろ向き姿勢オンリーではなく、せめて得るものは得ないと、苦労の念だけ残るのはバカらしい。
転んでも、タダでは起きないのが、わたしのモットーである。
なにかしら、掴むものを掴みたい。
人生に、無駄な時間は無いはず。
趣味の世界にも、人それぞれの生き方が出る。
血の滲む努力をする人や、スケールの大きな人、おおらかな人、色々いる。
わたしは、やはり、エコ。
無駄な動きは、したくない。
とは言っても、今まで10年間、無駄一本槍だった。
エコを掲げているくせに、全然、反比例。
まあ、そこは趣味の世界。
お遊びを効率的にやってしまったら、すぐ終了してしまう。
なるべく、長く、グズグズ引きずったほうが、楽しみが長持する。
「どんくさい」とは言わず、体裁よく、「奥が深い」と表現しようか。
と、負け惜しみを言って、自己肯定。
さて、その趣味にも、根本的な人生スタンスが現れていると感じる。
たとえば、、、考え方。
真摯な人、真面目な人、負けず嫌いな人。
様々だが、わたしは、考えなしの人である。
人の踊りを見ていると、人のことはよくわかる。
ある、女性が上手、男性イマイチのペア。
長く頑張っている。
が、試合には勝てない。
そこでわたしは、思う。
イマイチの男性をレベルアップさせる時間、エネルギーよりも、イマイチでない男性とペアを組み替えたらいいのに。
なぜ、あのイマイチの人と長くやっているのだろう。
二人の世界にどっぷりで、客観的な評価を気にしないなら、試合に出なければいいのに、試合には出ている。
試合に出るなら、勝てる相手と組めばいい。
と、そこで、勝てない相手とでも試合に出続けるには、理由があると思う。
おそらく、イマイチでない男性がいないのだろう。
あの、上手な女性に合うレベルの男性の絶対数が不足していると思われる。
女性も、ピカイチ上手だとか、若い美人だとかなら、相手も選り取りみどりだろうけれど、普通に上手(飛び抜けて上手とまではいかない)ぐらいでは、見合った男性は、ある程度の技量がある若い美人か、居心地のいい人と組む。
で、若くない女性は、技量が少し落ちる、イマイチ男性と組むことになる。
年齢は若くなれないのだから、自分の技量レベルをもっと上げないと、相手ターゲットとして、イマイチ男性からは抜け出られない。
技量を上げて、同レベルの男性と組めたらよいが、同レベルの男性は、さらに技量に加え、若い美人と組む。
マッチングできないスパイラル。
余るのは、普通に上手な女性と、イマイチ男性。
ということは、あのペアは、相手を替えることは困難だということだ。
替えたとしても、「普通に上手な人の市場」と「イマイチ市場」の中から、再度、洗い直し、物色、組み替え。
固定カースト制における、マイナーチェンジ。
二人して、少しずつ上達目指して頑張るしかないのかも知れない。
あとは、普通に上手な女性が、普通に上手な男性と組むコース。
普通に上手な男性は、引く手あまたなので
男性のご機嫌を取りながら。
それが嫌なら、イマイチ男性で我慢。
わたしの場合、ペア相手は、たぶん、「普通に上手」レベルだと思う。
わたしはイマイチ技量、なので、彼は自分より下目のわたしをボロカス言いながら、自分のペースでやっていきたいようす。
(とびきり上手な女性からは相手にされず)
わたしは、イマイチ技量ではあるが、ボロカス全面否定には耐えられないので、レースから降りようとしている。
そもそも、わたしは、レースなど向いていない。
貴重な経験をさせていただいたことには、感謝している。
何事も、やってみなければわからない。
やらずにケチをつけるのはよくない。
先生でもない素人の、上から目線は、あほくさくて、やってられない。
ということで、あと、ほんの少し、解放される日は目前となっている。
心配なのは、台風だけである。
(これが一番、深刻に心配だ)