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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

温度差

2017-07-03 | 趣味
趣味関係の皆さんの書かれたものを読むと、「努力、努力、努力」。
ハードな練習、トレーニング。
上を目指して頑張れ!
体育会系のノリ。

なんかねえ。
わたしは、体育会系ではないので、ついて行けない。
趣味なんだから、まったり楽しめばいいと思うのだけど。
ついつい力が、ほとばしってしまうのだろう。
そういう人と組むと、大変。
自分の努力を人にも押しつける。
暑苦しいこと、この上ない。
明らかに温度差があり、継続するに従って亀裂は深刻となる。

まあ、ダメになったらそんな人から離れたらいいんだから、あまり深刻に考えていないけど。

趣味なんだから、と努力を惜しむ人は、何事にも大成しないんだろうなあ。
何事も、一生懸命、ひたむきな人と、何事も、えーかげんな人。
典型的後者であるわたしは、「えーかげん」にはセットで付いてくる、低い評価。
低い評価でもイジケない、卑屈にならない、稀な性質をもっている。
えへん。

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おデブの嘆き

2017-06-21 | 趣味
ぽちゃぽちゃも可愛い、と無理やり開き直っていたが、、、

写真に写る自分を見て、可愛くともなんともなく、単なるデブである事実を突きつけられた。

ダイエットしてウエスト20センチ減らすことを目標にするとすると、、、、
ダイエットしたくない、ダイエットできない理由が次から次へと、すらすらと出てくる。

目標値が高すぎるのか。
せめて10センチ、いや、5センチ減を目指すか。

とかなんとか、頑張る人は頑張るのだけど、頑張らない理由を見つけるのが大得意なわたし。
屁理屈をこね始めると、延々と溢れんばかりに立て板に水。

「単なるデブが踊る、単なる下手の横好きダンス」と、どう対峙するか。
今のところ内臓や循環器系には疾患はない。
が、頭が若干弱い、、、。
(だが、それは今に始まったことではなく、小さい時から現在に至る。
いっそ弱点を逆手に取り、「明るいデブが、明るく踊る、楽しいダンス」。
そういうスタンス、展開も、ありかも。)


ダンスが上手な人はスラリとスタイルもよく、おデブはあまり見かけない。
おデブはダンス舞台を下でうごめき支え、見えるところには浮上しないから、人々の目には触れないのかも知れない。
痩せてダンス、上手になろう、という気にあまりならないのが、わたしの最大の欠点である。

ダンスの頂点を目指す男性は、スラリとした、ダンスの上手い女性を選べばいい、と安易に考える。(でも、どちらか一方が高望みしても、カップルバランスがあるようだ)

そうすると、自分が選にもれるわけだが、では、ダンスの頂点を目指さない男性に、敗者復活戦で選んでもらおうか。


わたしは頑張らない。
今の自分でいい。
またまた、開き直りの、建設的でない停滞日記になってしまった。
ダンス上達のためには、苦手なことからではなく、好きなことから取り掛かれば、突破口も見つかるはず、という、うんと歳下の熱血師匠の教え。
わたしの新たなおデブ悩みを投げかけると、この若師匠はおそらく、お腹周りと、背中の下の脂肪の取り方ノウハウを熱く厳しくレクチャーしてくれることだろう。

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優待席で保護されたいか

2017-06-10 | 趣味

ここのところ、ブログで、さんざん悪態をついてきた。
わたしを悩ませている人物について。
しかし、ここにきて、鬼(悪魔)の登場を待たずして、自分自身が自滅しそうだ。

相手ばかりを責め、悪い原因が相手にある、と言い切り、思い込んでいた。
わたしは、脚も悪いし、理想通りに出来るわけがない、と。
労わりも気遣いもせず、自分の理想ばかりを押し付けてくる相手を憎悪していた。

積もり積もって、相手に呪いをかける直前で、ある時(昨日です)、自分に非があることに気づいた。
あ〜あ。
せっかく呪いまくってやろうと思っていたのに、自分も悪いのであれば、五分五分ではないか。
ヘタをすると、わたしのほうが、悪い率が高いかも知れない。
苦言を呈する権利があるのは、わたしではなく、相手なのではなかろうか。

今までは、脚の痛みばかりにとらわれていた。
一日もはやく痛みから逃れたいと願っていた。
そのためには、相手を悪者にして自分は優先席に座っていた。

が、、、である。
昨日は、たまたま脚が痛くなかった。
五分五分で備わっていなくてはいけない技量や知識がわたしにはないことが明白になった。
ハンディが無くなった途端、言い訳が出来ず、相手のせいに出来なくなった。
自分も頑張らなければいけない。

しかし、またいつ脚が悪化するかは予想できない。
ところが、脚が悪かろうが良かろうが、わたしの技量、知識が不足していることは、揺るぎない事実である。

で、自分を甘やかす状況が変化したせいで、鬼の出番が無くなった。

また、いつ鬼が出るかも知れないが、今は、自分のダメさを反省し、努力方向に自分を持っていこうと思っている。

脚が痛くなったり、痛くなくなったり、で、自分ではコントロールできないで、安定しないと、わたしの殊勝な心がけも安定しない。

マイナス要素から自分を守ることに必死な人は、それだけで精一杯で、プラスへ浮上するのは並大抵ではなかなか出来ない。
だが、自分のマイナス要素を嘆いていればいい優先席は確保される。

自分に厳しいか、甘いか。
成し遂げるか、成し遂げないか、山を乗り越えるか、乗り越えないか、そのあたりが鍵のようだ。

やたら、わかりにくい文章になりました。

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恨まれても罵られても構わない

2017-06-03 | 趣味
踊ると、ただ単に脚が痛いだけではない。
将来が不安なのだ。
無理を重ねると、どんどん悪化していくのではないかと。
今、この瞬間だけを大切にして、健康寿命を自ら縮めている。
しかも、享楽的ならまだしも、脚が痛いのをぐっと我慢している。
苦痛を堪えている。

さらに、今後、この状態は踊ることで継続され、益々激しさを増していく。
1人で踊る種類のダンスなら良いが、2人で踊る。
「急に力が抜けた。トーンが、ゆるゆるで重い」とクレームを言われる。
脚が痛いのだ。
痛みを堪えて踊るが、どうしても、ちゃんと力が出ない。
技術を支える脚がトラブっている。

踊り以外の鍛錬も、脚が痛いなら痛いなりの工夫をせよ、と相手の人は言う。
上半身だけを使ってトレーニングせよ、だとか、体を伏せて脚は床に付いたまま、あれこれ、あーだ、こーだ、色々。

私には今はその気がない。
自分の脚が大事なのだ。
2人で作り上げるダンスよりも、自分の将来が大事。
なので、辞めることばかりを考えている。

我慢して苦労して良いダンスを瞬間的に手に入れても、あるいは継続して手に入れても、今後の健康寿命を減らし、生活の質を落として長らえる余生は、避けたい。

あと半年の辛抱と思っていたが、どんどん辛抱期間が縮まってきている。
相手に罵られようが、落胆、失望されようが、わたしの残り人生の質を犠牲にすることはない。

(そもそも、初めにペアを承諾したものの、脚の不安から、わたしはペアを辞退した。
で、一旦受理され白紙に戻った。
が、後で相手が白紙を撤回、リセットがリセットされ、スタートした。
最初から、ゴタゴタ出帆)


ただ、これで自分のまともなチャレンジダンスが終わりかと思うと、もう少し頑張れるかも?と思ってしまう。
だが、頑張りすぎると手遅れで、取り返しがつかない。
バブル直前の株や不動産みたいなものだ。
あと少し、まだまだ行ける、で、ある日、突然、暴落。
どんどん膨らんでいくものは、はじけないと、前夜には、わからないものである。
リスク回避、危機管理が重要であるが、時期、限界の見極めが難しい。

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どちらか一方に決められない。これを優柔不断というのか

2017-04-22 | 趣味
すっぽり、ずっぽり、悩みの真ん中にいる。

迷いである。
道が二つある。
どちらにするか。

Aを選択するとBは選択できない。
Bを選択するとAは選択できない。
同時に二つは不可能。
たまたま不運にも時期が重なった。

どちらを選択しても、悔いが残る。スッキリしない。
期限、タイムリミットが来て、とりあえず、自分の全知力、全理性をかき集めて、Aのコースを選んだ。
しかし、Bのコースには未練たらたら。
どちらを選んでも、わたしは幸せにはなれない。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
わたしの欲深さに原因があるのか。

こんな時はどうすればいい?
しばらく、放置して、こころのままに過ごしてみるか。

かつて、同じように選択分岐点で、真っ二つにニュートラルになったことがある。
答を出す日が来たが、どちらも五分五分で全く結論が出ず、とりあえず、えいやっと目をつぶって無理やり選んだ。
結果的には、選択は失敗を招き、多額の違約金を払わされた。
お金で済んだからまだマシだった。

こういう時は、どちらを選んでも、失敗する。
つまり、失敗が導く、暗黒の具体的な結果に、もうじきまたもや、直面させられる。
その覚悟をしなければならない。

おそらく、まだ、自分には決める段階まで考えが煮詰まっていないのだと思う。
自然に熟した果実がぽとりと落ちるように、道が選択できたら良いが、生木を裂く感じで、無理やり決定しようとしている。
時期尚早。
物事の発生したタイミングが悪い。

Aを選んでもBを選んでも、両方上手く行かないと思われる。
その宙ぶらりん状態で、一方のコースに動いている。
後戻りができない。
船は、私を乗せて出航してしまった。
しかも、どんどん走っている。
次の港まで遠く、さらに後戻りして、やり直すには、多大な迷惑をかける。
やり直す時間も残っていない。
さらに、今回、動いている船のチョイスは、一度、座礁に乗り上げ、白紙に戻ってから、また復活したという、最初から難航している。
まるで、これからの船旅が順風満帆には行かないと暗示しているかのごとく。
今は、あの時、白紙のままリセットされていれば良かったと思ったりもしている。
この今回の案件は、そもそも、私には幸せをもたらしてくれない、厄病神付きの出来事だったのではないだろうか。

今までの失敗経験を活かしたいところだが、その経験から得たものは、「こういう場合は、失敗は免れられない、悪い結果は避けられない」という方程式の答えだ。

避けられない失敗の結果をもうじき受けることになるが、少しでも痛さを我慢できるよう、覚悟しておくしかないのか。
みすみすマイナスの結果が分かっていて、対策を講じられずに待つのは辛いものである。

過ぎるのを待つしかないのか。
いずれ、事が進み時間が経てば、選択しなかったほうのコースを忘れるようになるのだろうか。
嵐の前夜の気分である。
嵐が去れば何事もなかったかのように、静かな朝を迎えられるのだろうか。

船はどんどん進んでいるのに、まだ延々と悶々としている。

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考える能力がない人間に、へんに選択肢と時間をたっぷり与えると、水は循環しているように見えても、実際は水瓶の水が濁るだけなんだろうか。

唯一無二の自分が大切

2017-03-29 | 趣味
私は、審美眼はそこそこ発達している。
人を見る目もそこそこある、と自負している。

社交ダンスは?
膝に、(踊り過ぎにもよると思われるが)老化のもたらす身体的弱点がある。
旅行に行くと歩く時間が多いので、ムチャをして膝を潰したくない。

競技は無理だろう。
相手に迷惑をかける。
闇雲にパーティダンスは、卒業。

自分の審美眼と、価値観と、感性の合った、そして、相手に重く寄りかからず、依存しない、これからも共存共栄していける人と踊りたい。

競技を目指す人や、目指さない人がいる。
「ダンスの上達のためには競技ダンスは早道」という説はよく耳にする。
スポーツ、体育系の人の運動熱を満たし、応援し合ったりする、大勢の競技仲間との交流を楽しむ人もいる。

私は、膝の弱点と、スポーツ系でない身体、サボリ、3点セットで、競技は無理。
目指さないのではなく、目指せない。


しかしながら、自分を否定したり、卑下したりしない。

自分は自分であり、唯一無二。
世界中で一番大切なのは自分である。
こんな大切な自分を何が悲しくて否定しなければならない?
事実を認めて受容することは、決して自己否定ではない。

所詮、趣味の世界。お遊び。
それで食べていっているなら、また違う考え方、捉え方をする。
食べていける、いけない、これ、大きい。
だから、わたしは、趣味の世界では、自分を思いっきり甘やかす。

だから、だから、、、いつも、イマイチ。
能力と成果を受容しなければならない。

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醜いアヒルの劣等感の渦の中で

2017-03-09 | 趣味
社交ダンスをしている女性は、相対的に若々しい。
美しくオシャレな人が多い。
ダンスで魅せるには、誰もが認める絶対的なダンスの上手さに加え、ドレスが映える素晴らしいスタイルがモノをいう。いわゆるダンス体型というものだ。

知り合い(ただし一方的に)を見ても、美人で若々しくスタイルのよい人が、ウヨウヨいて、石を投げると美人に当たる。
これに当然、必須最低条件として当たり前のように、ダンスの上手さが加わる。
これだけ揃えば自然に、お人柄もぐんと増量アップされて高品質。
重いほど頭を垂れる稲穂の厚き人徳に、隠しきれない溢れんばかりのゴージャスな薔薇の微笑でオーラを振りまき、益々、人々からの評価を高める。


さて、私。
ダンス、だめ。見た目、だめ。歳、若くない。
さあ、どうする?
こうなれば、殿方に泣いて、すがる?

嫌だ。

ではどうすれば?
ダンス、練習して精進する。
身体、日々、トレーニング。
お顔、マッサージに美白エステ。

たぶん、しない。おそらく、しない。かなりの確率で、しない。

いつものパターン。
逃げる。後退する。暗闇に隠れる。
ダンスなんかしない。
ぼってぼてに丸々太って、家で寝っ転がって、ボリボリお菓子を食べて、漫画を読みふける。
(ちなみに私、漫画は、読まないタイプ。最近では「この世界の片隅に」と「逃げ恥」しか読んでない)

あれも嫌、これも嫌。
しかたないので、期限が目前に迫っている、肩にどかんと乗っかった宿題のルーチン表(電子版)をチェックしながら、ルーチン通り踊っているダンスDVDを観ることにするか。

私は何かコトをするには、エネルギーの溜めが必要なようだ。
1分で出来ることを、1週間、1ヶ月、グズグズ先延ばしにするタイプ。
「あんたは、グズで、のろま」と、母に散々言われた悪夢が蘇る。

この人、毎日、何回何回も、「顔見せに来て〜」と電話で哀願してくる人間と、同一人物である。


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才能ある美男美女と、自分

2017-02-18 | 趣味
今日は、遠路はるばる、一度も行ったことのない地へ行った。
バス〜私鉄〜地下鉄〜私鉄を乗り継ぎ、家を出てから2時間半後に到着した。
スマホのアプリを使うと、見知らぬ駅から徒歩で、まったく行ったことも聞いたこともない場所に、スイスイほいほい行ける。
海外でも使えるのなら、嬉しいけれど。(WiFiのないところでは、海外用の自前のものを用意しないといけないだろう)

目的は社交ダンスパーティ。
会場は、そうとうマニアックだった。
かなりわかりにくい、地元の人にしかわからない場所にあり、参加者はとても少なく、思わずUターンしようかと思ったが、主催者に引き止められた。
そりゃあそうだ。
わたしだって、片道2時間半もかけて行っているのだから、のこのこ帰ってくるわけにはいかない。

このパーティには、コンセプトがあった。
社交ダンスのペアを組む相手を求める人が集う、お見合いパーティー。

お見合いの人は入場料も違い、番号が書かれたバッジを付ける。
もともと、わたしは、冷やかし半分、本気半分であったが、大幅に遅刻したことや、劇団員の白熱した練習風景のような、研ぎ澄まされた凛とした、本気ムードの会場に、腰が引けた。
なので、へらへらと一般客として参加した。

お見合い成立は、1組。
とびきりお上手な美しい女性と男性だった。
わたしは、こんなハイレベルな人々の中にいるのは、明らかに場違いであった。
片道2時間半の場違い。
まあ、行ってしまったものは仕方ない。

そこで、感想。
芸事や、ダンス、なにかに秀でている人は、美しい。
容姿端麗、俳優のように美形である。
成立したカップルも美男美女。
ダンスは勿論、飛び抜け上手だが、容姿、器量も、これまた群を抜いている。

わたしは、自分の容姿には自信がない。
客観的な事実を見ても、家系などDNAも、美形遺伝子はない。
トンビが鷹を産む確率はいたって低いので、美形が産まれることは、ほぼない。
スポーツ系に優れたDNAもない。
だから、素晴らしい目を惹く美形で、抜群にダンスが素晴らしい人々を見ても、それは自分と比較する存在ではなく、飲む水が違い、棲む世界が違う。

じつに、冷静に、その違いを感じた。

そもそも、わたしは、美形は苦手なので、あまり接点も接触も交わりも交流もない。
だから、羨ましいとか妬ましいとか、そういうのはなく、胸がザワザワしないで、クールに客観的事実を受け止めることができる。

よかったね。
なのか?



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趣味限定のことを書きました。(スルー推薦版)

2015-12-11 | 趣味


最近、趣味snsの日記や、書き込みコメントは、面白くなく、興味が失せてきました。
まったく、つまらないです。
人の意見や、人の行動に興味がなくなってきたら、一瞬の認知症信号かも知れません。
たんに、飽きただけでしょうけれど。

自分がホットになれない、盛り下がるモノ、コト、ヒトには、近寄らないほうが、楽しく過ごせます。
なぜか、その趣味snsの人々は、私を不愉快にさせます。
実際に知っている人々も少なくありませんが、どうでもいいと感じるようになりました。

日記など、皆さん、自慢か、愚痴。
(蝶ブログも最たるものですが)
自分の意見の押し付け、認めてほしい人々の集まりです。
よく、あれで、皆さん、不快にもならず、なぜ、人の愚痴や不満や、自慢に耳を傾けて、しかも親身で親切なコメントを残すのか、まるで、わかりません。
これも、私の理解力ダウン、コミュニケーション能力の低下に他ならないのではないかと危惧しています。

自分を分析すると、不快の答えは明白に出ています。
妬みです。

その、自分に打ち勝つのも自分。
おそらく、趣味のダンスにのめり込み、欲が増し、自分より優位な人に対して、許せない、そういう、なにか勘違いしている変な自分がいます。
そんな自分をもっとしっかりコントロールして、独自の道を築きたいです。

これは、ダンスに対する精神面です。
私はダンスに関してはメンタル的には自信がありません。
自信家ではありません。
開き直りの境地には至っていません。
かといって、神経質で、か細い訳でもありません。
鬱になりにくい楽天家です。

技量面は、先生の教えを守り、練習し、少しずつ、一歩ずつ、(亀か蟻のごとく)前進していることでしょう。

ちなみに、
性格がよく、前向きで頑張る人でも、ダンスには技量や力量として現れない人もいます。
その場合は、ダンスに現れなくても、いいと思います。
体現できなくても、低いレベルでも、諦めない持続の気持ちが大切かと感じます。
年齢の壁は大きいです。
不可抗力には逆らっても空回りするだけです。

良いダンスとは、・・・客観的に優れていなくても、自分が心底、楽しめたらいいと思います。
主観の美と、客観の美が一致しなくなっても、運動や社交のためにダンスを続ける、芸術路線ではない、そういう老後ダンスも存在します。
美学を貫くか否か、人それぞれの価値観でしょう。

私は近未来は、見えても、その先にある(かも知れない)老後ダンスは、まだ見えません。
あるのか、ないのか、近未来を経過しないと、わかりません。
(仮に、何事も外的要因がなく順調にダンスが続けられたら、年齢の壁があるに決まっているにしても)

なにはともあれ、
楽しく、素敵なダンスライフを送りたいです。

以上、
同じ趣味以外の人が読んでも、全く感情移入できない内容になりました。
こういうのは、スルーするのが正解中の正解です。

スルーしてください

2015-12-02 | 趣味

わたしの根暗、ひねくれ・ねじれまくりの一面が、如実に顕著に、あらわに露呈されるような記事を書いた。

ここ数日、趣味のsnsで、社交ダンスの競技選手が次々、勝利結果を日記にアップされているのを読んでいた。

わたしは、競技に出ていない。
競技には出ないのは、選択して能動的に出ないのではなく、状況的に選択肢なく仕方なく出られないのである。
出られない理由は、実力・能力不足、相手に恵まれない(でも、今の相手は、きっと自分に相応しい相手)
相手が、競技をしたがらない、・・・などなどである。
そこへ、優勝トロフィー、賞状写真付きでアップされる日記が次から次へと目に飛び込み、さらに皆さんのおめでとうコメントがズラリ、ズラズラ、で、そうとう、もやもやしていた。
わたしの胸の内やいかに。

その趣味snsのマイページで、日記として投稿しようと思って書いたが、さすがに投稿しなかったお蔵入り記事。↓


・・・・・・・
タイトル  「スルーしてください」

続々と届く、競技のおめでたい勝利の結果。みなさま、おめでとうございます。
嬉し涙が流れる一方で、悔し涙がいったいどれほど流れたことでしょう。

人の幸せを我がことのように喜んでくださる人々に応援される、競技選手の皆さんは、そうとうな実力、人気があることが伺えます。

そこで、ひとつ不思議なことがあります。

ライバルの競技選手は、素直に拍手を送れるものでしょうか。
自分たちも精一杯戦ったので自分たちがどんな結果であっても悔いがない、
あるいは、不調だった、またはサボっていた、はたまた、険悪なムードだったので、勝てなくても、当然、自業自得の成り行きで納得できる、とか?

競技をしない人は、自分が競技をしない理由に納得していて、競技をする人を応援するのでしょう。
自分を取り巻く現状を見極めて、中には、あきらめを克服して達観している人もいるでしょう。

競技をしない人で、自分が競技をしない理由に納得できない人は、競技話題は不愉快かも知れません。
現状に満足できない生煮えの人は、どんな分野でも、取り扱い注意で、厄介です。
自分が生煮えの場合、対象課題に対してスルーするのが一番妥当な方法かと思います。

隅々末端まで100%の人々からの賛同は、ダンスはもちろんのこと、
ダンス以外であっても、どんな世界であっても不可能です。
いちいち気にしていたら、自分の幸せ、満足感が目減りします。
スルーする人などスルーして(存在しないものと見なし)
あたたかい拍手を励みに、また頑張っていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・

以上、これを書いたものの、さすがにアップする勇気はなかった。
で、恥さらし蝶ブログにアップすることにした。

「拍手する人は、自分達への応援もして欲しいこともあり、互助会的に、保険的に、拍手する場合もあります」
という一文も書いたが、消した。

消した理由は、保身しているからだ。
大人なんだから、なんでもあからさまに赤裸々に書けばいいというものではない。
(その割りに、なんでも書いている、わたし)

昨夜、一晩、考えて、自分のウラミや嫉妬やコンプレックスは、一応、さっと流れて消えたので、
記録のようなかんじで、この文章をアップする。
とはいっても、火は完全に消えたわけではなく、一時鎮火しただけであって、
またもや、なんらかの場面で、醜い部分が噴出するかもしれないが。

その時は、また、うんざりしつつも、熱心に耳を傾けて、自分の声を聞いてみよう。



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補足

仕事や家庭や経済や病気、怪我の事情で、競技に出られないのではなく、
自分の実力の無さのせいで出られない。
なので、自分以外のせいにしたら楽なのだが、
哀しいかな、自分の原因あっての結果は、自分で引き受けなければならない。

なにに足を引っ張られることもない、勉強だけに専念できる、受験勉強の完璧な状況が整っている環境で、
アタマが悪くて勉強ができない、というのと似ている。
ああ、トラウマ。