goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

夜空に砕け散る

2017-10-09 | 趣味

爽やかな秋晴れが続く。
秋祭りもあちこちで催されているようす。
昨夜は花火に酔いしれた。
こころの底から、ああよかった、としみじみ満足感に浸った。

本来、昨日は、大嫌いなAさんと、大規模なダンスパーティに行くことになっていた。
先月末、試合最終日に、勇気を出して声を振り絞り、前にAさんにいただいた、昨日開催されるパーティ券を返却した。

「お祭りがあるので、行けません」

Aさんは、一瞬、怪訝な顔をしたものの、パーティ券を受け取ってくれた。

「お近くのどなたかとパーティ参加してください」
の、わたしの言葉通り、どうやら「誰か」をお誘いしたと思える。

昨夜、アップされていた趣味SNSの日記。
某Bさんが、誘われペア結成を申し込まれた旨を書いておられた。
どこの誰とも書いてなかったが、ぴんと来た。
しばらくして、その日記は削除された。
これまた、ぴんと来た。
Aさんの仕業だと直感した。

Bさんが、わたしと違うところは、きっぱりお断りになったところ。
つくづく偉いなあと感心した。
わたしは、その時点(申し込み)のミス行動で、半年の歳月と脚(悪化)、そして、もう一人の優良な相手、さらに、わたしのプライドを失った。
わたしは、なぜ愚直にも断らずに進んでしまったのだろう。

しかし、
「やらずに後悔すること」と、
「やって後悔すること」では、やって後悔したほうがよい、と、よく言われる。
なので、わたしは後者だったというわけだ。
判断能力が甘いだけかも知れないが。

Aさんは、前科数犯だということがわかった。
人のSNS日記にイチャモンをつけ制限を加える。
その行動で、Aさんの歪な性格の一面は露呈されている。
にもかかわらず、そのまま進んでしまった、愚かなわたし。
今までも、何人かに同じようなことをしていて、された人が日記に書くことにより、Aさんの行動、実像を明るみにされたくないのだ。
だから、不特定多数、公への口を封じる。
書かせない。
はじめの頃は、「なぜだろう?」とは思っていたが。
今頃、答え合わせをしたかのように、はっきりクリアにわかった。

わたしが、Aさんに我慢出来なくなった大きな理由の一つとして、言語封鎖があった。
SNSでの発言をAさんの好みのものだけに制限する。
SNSのみならず、わたしが別人に送る個人宛のメールまで、自分で加筆訂正を加える。
これは、異常であると、その時も思ったが、ことは動いてしまっていて、流れを止めることはできなかった。
その時点でもペア解消をしようと思えば出来たのに。
わたしも、走り出した船は、そう急には止めることが出来ないと思い込んでいたようだ。

Aさんにも、Bさんにも裏を取っていないし、わたしと組む前の直近ペア相手のCさんにも、確認していない。

しかしながら、点と点は、確実に繋がっている。
ただ、皆さん、ことを荒だてたくないし、Aさんに直接、誰も何も知らせないし、感想も言わない。
なのでAさんは延々と、自分の行動が知られていることに気づくことなく、同じ行動を繰り返す。

皆んな、Aさんから完全に離れたいので、少々、嫌なことを後から発見しても、何も言わずに振り返りもせず去るのだろう。
握っている小石をぶつけてみても、なんの意味もない。
我々は、何事もなかったかのように、他人の顔になる。
どこかでお会いしても、会釈ぐらいはするだろう。
皆さん、大人なのだと、今更ながら思う。

それにしても、昨夜の花火大会、夜空に炸裂する花火に、いいようのない開放感を味わった。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


逃げる、離れる

2017-10-05 | 趣味
トラウマ、揺り戻し。
なぜか、負の感情を書き殴ると落ち着く。
性格悪い、わたし。
が、自省して優等生を演じようと頑張ってもストレスが溜まるばかり。
健康寿命を悪戯に縮めるのみ。

で、憎たらしい恨みの一件、、、
あの人物、Aさん。
なぜ、あんなに、わたしのこころを弱らせたのか。
考え、追求すればするほど、不思議とわたしは元気になっていく。
悪趣味スパイラル。
一種の、わら人形効果?

が、わたしも悪い。
わたしの能力の無さ。それを補う努力不足。
しかし、わたしはもう脂汗の努力は放棄している。
健康寿命をより満足度の高いものにするために。
「わたしの能力、努力が足りない」と文句を言われる相手など、わたしには必要ない。
「お互い、能力の足りない部分は補い合い、一緒に努力しましょう」ならオッケー。
やはり、人格、性格は、一番大事、重要だ。
性格だけやたら良くて無能な人は、仕事には向かないが。
では、無能な人はどうすれば良い?

赤ちゃんは、無能だが、一日、一日、成長し、昨日出来なかったことが、今日、出来ている。
何も知らない澄んだ瞳で、周りに希望を与えてくれる。
老人は、その逆。
時計が逆さに回っている。

お互い、老人同士、傷をいたわり合い、協力し合い、思い遣り合うのが理想。
それを相手の非ばかりを責めるなど、言語道断。
Aさんは、自分の老化も、嘆いているようだ。
嘆いてもしかたない。
現実は現実として素直に受け止めるべき。
自分への嘆きとともに、相手のことも嘆く。
こんな悲しいマイナスのスパイラル・コラボがあるか?
ばからしい。
わたしは、別に老化を嘆いてなんかいない。
赤ちゃんが成長するのと同じで、年寄りになれば必ず衰退する。
当たり前のことを嘆いてみても、現状は良くならない。
嘆くなら、自分だけ嘆いて欲しい。
人の老化まで同時に嘆かないで欲しい。

Aさんの相手としては、レベル的にはわたしぐらいしか相応しない、それがすでに腹立たしく苛立つのかも知れない。
レベルの高い人は、相手もレベルが高い。
それがカップルバランスというものだ。

バランスが合っているからと、低レベルを嘆き合うのは、わたしの信条には合わない。
嘆くのではなく、現状を冷静に受け止め、対策を練り、実現可能な目標に向かえば良い。
ハイレベルなことを目指して嘆くのは、天井知らずの若い時のこと。
老成しているなら、無限の可能性など無いことぐらいわかるだろうに。
気が若いことと、無知は、別もの。

自分が出来ることの中から楽しみを見つけて満足感を味わいたい。
出来ないことを嘆いても、非生産的。

仕事がどうの、病気がああの、と、趣味どころではない、理想通り出来ない理由をあれこれ並べて、(聞かれてもいないのに)周りの皆さんに対しても、負けず嫌いの面を剥き出しにするAさん。
わたしも、同じように出来ない理由を並べて、上から指示されたことが出来ない言い訳を(指示した人に対して)する。
同じ未熟レベル。
やはり未熟と未熟の組み合わせは、吉ではなく凶だった。

相性、思い遣り。
それがないと、ギスギスするのみ。
老齢になると、性格は変えることはできない。
なので、離れる。逃げる。
そうやって、皆さん、嫌な人からは離れるようだ。
もちろん、オトナの口実を作って。
こんなことは、当たり前のように、よくあることらしい。
卓球リーダー歴、半世紀の大先輩が宣っていた。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブロ



とりあえずは単純作戦

2017-10-04 | 趣味
さっそく、イマイチ相手を探すことにした。
これは、ダンスがイマイチであって、性格がイマイチではない。
ダンスは真面目に取り組んでいるが、視野の狭い、生真面目が災いするような、性格がイマイチの人も願い下げだ。

ダンスが上手でも、わたしに対する扱いがイマイチの人も、辞退。

わたしにだって、五分の魂。
頭を下げて、プライドを押し殺してまでダンスをしたいとは思わない。
そんなのだったら、有料プロにお願いする。

多くの女性たちは、プロに流れる。
大したこともない人に、へつらいゴマをするのが、あほくさいからだ。
大した人であっても、そういう人はペア相手がいて練習に励み、イマイチ女性の相手などしてくれない。

ダンスパーティでは、ろくな人物はいないのは了解済み。
0.1%の望みをかけて、あわよくばと行くが、いつも収穫なしが常。
だから、あまり足が向かないのだが、ひょっとして、と一縷の望みを抱く。賭け。
諦めと、あがきと、必要性のミックス行動心理学。
最悪パターンとしては、元相手が、新しい相手を探しに同じパーティに来ていることだ。
まあ、その時は、顔を引きつらせながらも(顔の表情筋のトレーニングをしよう!)、オトナの対応をする予定。

彷徨えるおひとり様は、たいへんだ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブロ


どうでもいい、イマイチな独り言

2017-10-03 | 趣味
趣味SNSに書けないので、ムズムズする。
しかたないから、蝶ブログに、モヤモヤをぶつける。

わたしのダンス能力は、たかが知れている。
この度、試合結果でも客観視できた。
伸びしろも、ほんの僅かしかない。

わたしの健康寿命は、あと20年。
さて、どう時間を割り振るか。
最初の10年と次の10年では、勢いが違うだろう。

残念ながら、わたしは、スポーツは苦手で、非社交的で、さらに美人でもない。
だから、当然、社交ダンスには輝かしい評価は望めない。
チャラチャラするのが好きなだけの、深みのない軽薄な趣味活動になっている。
つまり、自分の求めることと、現状にはギャップがある。

でも、楽しいならそれでいいじゃない?
いえいえ、こんな調子で楽しいわけがない。
ということで、しばらく、引きこもろうかと思っている。
引退とまでは言わないが、華やかな表舞台とは正反対の、陰、闇の中に入る。

出来るかな?
ちょっとだけレッスンを受けるつもりだが、レッスンは好きではない。
気が進まない。

あの人、嫌い、レッスン嫌い、努力嫌い、その根性の無さがまさに、ダンスの上手い下手、習熟度の結果として現れる。

当然ながら、自分がもたらした結果は、受け止めなければならない。
またまた努力嫌いが露呈。
何事も行き着くところは同じ。
所詮、それだけの人間だ。
新しい趣味を見つけないとだめだなあ、と焦る。
(問題を解決せずサジを投げ、安易に他に移る)
しかしダンス一本槍だったから、別の趣味を探すとなると困難そう。

それか、いっそ、理想をうんと落とした相手と、これまた理想的ではないダンスを踊る?
イマイチ同士で、イマイチダンスを創造するのも悪くないかも。
イマイチか?この提案。
意外と妙案かも。
ただ、今のわたしには、そのイマイチの相手さえいない。
(イマイチに耐え切れずに別れたばかりなのでは?)

ようし!
これからは、イマイチ相手を探すことにしよう。
今度は、耐えることの出来るイマイチの相手を。
ダンスはイマイチでもいいので、性格の良い相手を。
イマイチ探しの旅に出よう。
イマイチ・サード・ライフ目指して。

模範的、教育指導になっていないけれど。
あれ?トラウマと闘ってるんじゃなかったの?

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


もう終わっているのに、またまた噴き出る不満のマグマ

2017-10-02 | 趣味
わたしの趣味ダンスの元・相方。
外側は柔和。
内側は熱血漢。
それは別に問題はないと思う。

外側は上品な紳士。
内側はマグマ。
逆ベクトルで引っ張り合うのはオッケー。

内側の作業を、コラボしたり創造したり協働したりするのは、おおいに素晴らしいと思うが、
私が耐えられないのは、相手に自分と同じ考えを強制すること。
同じ感性を持たせようとすること。
感性は、人それぞれ。
合わせようがない。
自分を基準とする価値観の強制。
これは耐えられない。

人に強制するなんて、ね。
一人、豊かな感性を磨けばよい。
黙々と深めるとよい。
誰かと響き合えばいい。
それでいいじゃない?

オレに合わせろ、と当たり前のような態度には、度重なると、わたしはキレた。
強制されるのは何よりも嫌。
どんなに紳士でも嫌だ。

もうペアは終了しているのに、、、わたしのトラウマがなかなか治らない。

(まだ一週間ではねぇ、、、)

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


罰が当たった

2017-10-01 | 趣味
人の欠点をあげつらって、嫌いだ、嫌いだとブログに書きなぐっていたら、天から唾が降ってきた。
自分に跳ね返ってきた。

元々、どちらか一方を選択しなければならなかった。
この大嫌いな人に決める時、もう一方のお気に入りの人がいた。
どちらかを選ぶのは至難の技だった。
考えても考えても、全く思考が停止したような状態で、大嫌いな人のほうをなぜか選んでしまった。
見かけに騙されたわたしが悪い。
趣味活動での未経験な分野が体験できる、またとない機会だったので、人物本位ではなく、条件で決めたようなもの。
その時は、あんなに嫌いになるとは夢にも思わなかった。
あんなに大嫌いな人と決別し、さあ、お気に入りの人のもとへ、と喜び勇んで行ったら、、、
お気に入りの人は、よそよそしく別人になっていた。
他人の顔。
当たり前だ。
戦争未亡人は再婚していた。
生きて帰って来た夫に困惑。

使用済みの商品は、返品も返金もされない。
あの時、同時に売られていた限定目玉商品を買いに行っても、とっくに売れている。

縁とはそういうなもの。
一方が立てば、もう一方が立たず。
両方など、厚かましすぎる。
ほっておかれて、誰が第二、第三のポジションで待ち続ける?
わたしなど、まるでダンスは低レベルなのだから、引く手数多の真逆。
二股三股は、ダンスレベルの高い、若い美人さんならいざ知らず。
わたしごときでは、相手がいるだけでもありがたいこと。
それを相手のことが気に入らないといって、切り捨てる。
次の収まり先もないのに。
就職先も決まらないうちから、先に辞職している。
しかもスキルもなく。

今日からは、完全な素浪人。風来坊。シングル。
華のシングルなら良いが、惨めなひとり者。
愛嬌のない、文句垂れのわたしはパーティのシミ。
精出して、レッスンを受け、練習に励むしかない。


夢を見た。(睡眠中の夢ではない)
悪夢も、まばゆい夢も。
シンデレラは12時になり、カボチャの馬車から降りて、サンダルで帰宅。
せめて長距離、悪路も歩けるように、スニーカーに履き替えなければ。
傘、レインコート(暴風雨用)も、水、リュックも必須。

あの時、お気に入りさんのほうを選んでいても、うまく行かなかったかも知れない。
現実には選んでないのだから仮定は無意味だが。
そういう時は、そういう時のわたしの運。
縁がなかった。
これも受け入れるべき流れなのだろう。

またもや身から出たサビ。自業自得。
今回は大きい。ダメージ、絶大。
わたしは、こんなのばっかりだ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


ホンネ

2017-09-30 | 趣味
ホンネは言えない。
書くことは出来る。
が、相手に直接、言えない。
言ったところで、事態は悪化するだけ。
誰も救われない。

わたしの悩み患いの種となっていた、趣味関係の某氏、Aさん。
今まで、何人もペア相手を替えている。
お相手だった皆さん、それなりの理由をつけて、自分が悪者にならないよう、うまく立ち回り、逃げていると感じる。
笑顔を見せながら後退り。
なので、Aさんは、自分の欠点や非に気づかず、相手がコロコロ替わるのは、偶然の外因のためだと思っている。
これって、結構、深い問題。

そもそも、なぜ、皆さんは、上手に逃げるのか。
オトナの知恵。
とかいって、わたしも上手に逃げた(と思っている)一人。
皆さん、相手を傷つけまいと優しい、と一見は思われるが、そうではない。
自分が悪者になりたくないのだ。
要はなんでもいいから、トラブらずに悪い印象を持たれずに、別れたい。
何よりも、別れたいのが、第一。
いかに、上手く別れるか、は、二の次。
どうしても別れられなければ、汚かろうが恨まれようが、グチャグチャになろうが、何がなんでも別れるだろう。

Aさんは、紳士である。
物腰や言葉使い、表情は、優しく知的な雰囲気。
話の内容も、低俗ではない。
背も低くなく、品のある顔立ち。
第一印象で嫌だと思う人はいないだろう。
なので、Aさんと縁のある人々は、非常識なヒステリータイプはいないと思われる。
外側は、オッケーなのである。

問題は、内側。
外側の優しい柔和なイメージとは異なり、内側は自分本位。
相手は自分に合わせるものだと思っている。
自分の考えに合わないことがあると、相手に苦言を呈する。
「自分が間違っているかも? 」「相手の意見を聞き、調整したほうがいいかも?」
とは考えない。
「信念の人」といえば聞こえは良いが、頑固者。

人の気持ちを考えず、無神経なことを平気で、ずけずけ言う。
せめて、フォローの心構えがあれば、欠点を補うことは出来るのだが。

まあ、これらの欠点は、多かれ少なかれ誰にでもある。
欠点を上回る長所があれば、クリアできる。
が、わたしにとって、なんの長所も感じられない。
本人は、自分は悪くないと思っているのでフォローする必要性を感じていない。
だから、欠点だけが浮かび上がる。

ダンスをするのは、二人での共同作業。
自分のことだけを考え、自分は強靭に何も変わらず、相手に合わさせるダンス。
ダンスの神様や、尊敬するプロならともかく。
それだけでも十分、嫌。
ストレスの塊。

歴代のお相手の皆さんは、どうお感じになったのかは知らないが、長続きしていない。
Aさんの怪我でペア続行がダメになった例もあるが、さっそく、当時のペア女性は次のお相手を見つけている。

まあそういう訳で、オトナの綺麗な別れ方を皆さんされているので、Aさんは、よもや自分の性格に基づく行動が嫌われて、愛想を尽かされたことに気づかない。

一生、気づかないままである。
幸せなのか、不幸なのか。

誰も親身になって直してあげるためのアドバイスや、進言をしてあげない。
損な役回りをして嫌われてまで、正義感を振りかざそうとしない。
深く関わりたくないのだろう。
愛されないキャラなのか?
でも、本人の耳が痛いようなことは誰も言わないから、本人は傷つかない。
しかし、身内や家族はいったいどうしているのだろう。
(余計なお世話)
ちゃんと仕事をし、家庭を築き、子供達を育て、親を看て、立派な社会生活を送っておられるので、褒められこそすれ、アカの他人にとやかく言われる筋合いは全くない。
とりあえず、わたしは、アカの他人というポジションに戻れ、ただただ嬉しいだけである。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


安堵の朝

2017-09-26 | 趣味
やっと胸に支えていた重々しい黒いものが、取れる運びとなった。
そのこころの経緯をつらつらと書いたが、ホンネすぎて、毒々しすぎて、非公開にする。

結論としては、悩みのモトが断たれた。
ああ、よかった。

とりあえずは、傷を癒す時間。
それが過ぎると、また新しい悩みが待っているんだろうなあ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


身から出たサビ

2017-09-21 | 趣味
わたしは、努力嫌い。
いつもサボることばかりを考えている。
いかにすると、手を抜き、効率の良い結果を出せるか、試行錯誤する。
そんな「手の抜き方」の試行錯誤なら、手を抜かず、一生懸命マジメに真摯に取り組んだほうが、早道かも知れない。

嫌だ嫌だと避けても、結局は、やらなければいけない、通らなければならない道なら、ぐずぐず入り口でダダをこねてないで、潔く努力の道に突入すればよいものを。
努力しない道を探すことに、全力をかけ努力している。
これって、明らかに努力の方向性、方法を間違えている。

努力しなければ、思いは達成しない。
努力せずに思いを達成しようとするなら、努力を怠った分の内容しか、思いは達成できない。
ちょっと、ほんの少しだけ効率が良いとしても、30%の達成率のところが、40%になるだけであり、100%からは程遠い。
頭から努力をしない方針で計画を立てている。
そこに、わたしの、何事も達成できない、超中途半端な、サボり人生そのものが凝縮されている。

サボっているのだから、結果を受け止めなければいけない。
自分のやったこと、自分の判断したこと、自分の能力に対する結果は、誰のせいでもなく、自分のせいである。
より達成率を上げたければ、サボるのはやめて、努力を重ねるしかない。

努力を重ねて脂汗をかき、苦しいけれど乗り越え、達成感、充実感を味わうのだろうが、、、
悲しいことに、わたしは充実感を得る前に苦痛のために、努力を放棄する。
ここが頑張りどころ、という点に立つと頑張れずに倒れる。
根性がない。

頑張れないということは、目標設定が高すぎるのではなかろうか。
あっさり降りて、自分を守ってもいいのではないだろうか。
戦おうが、降りようが、負けは負け。
負け犬、負傷兵で目に見えない傷を負いながら、静かに生きていてもよい。

戦う勇気、立ち向かう精神は目立つし、称賛に値するが、戦わないのは意気地なしと見なされ蔑まされる。
蔑まされてもいい。
世間の称賛を浴びたいために、わたしは生きているのではない。
自分のために生きている。
なので、戦うか戦わないかは、自分のこころだけに忠実になる。

いま、こころの声を聞こうとしている。

昨夜、あと数秒で戦いから降りるところだった。
降りる具体的なアクション・ツールとしては、スマホ。
入力はしたが、送信をためらっていた。
まだ迷っている、意思が固まっていないのにその段階で、誤って指が滑ってスマホ送信してしまっていたとしたら、事態は変わっていただろう。
一日、待とう。
そう思い、送信画面に何度も行ったが、送信するのを思い留まった。

しかしながら、戦いから降りたところで、また新しい戦いが待っている。
自分が変わらない限り、戦いはずっと続く。
自分が変わるというのは、努力して自分を高めるということだ。
努力を放棄して戦いから逃れても、目標から脱落した自分とどう向き合い、どう認めるか。
答えは、、、「諦める」。
惨めになった事柄から遠ざかる、距離を置く。
戦って負けた時と、結果は同じ。
戦っても戦わなくても、どっちみち、同じなのだ。

個人個人の性格は違う。
戦わないで負けるなんて、そんな屈辱は耐えられない人もいる。
戦っていたら勝っていたかも知れないのに。
「飛び込むんだ、勇気を出して!」
などと映画のワンシーン。

戦うか戦わないか、考えて考えて、究極のところまできたら、わけがわからなくなって、その場の成り行きに任せそう。
黒田官兵衛には、なれない。

いいかげんな人生。
いいかげんな性格。
わたしは、アタマのネジがゆるい楽天家?

が、考えて考えて、悩んで、わけがわからなくなること自体、戦いの真っ最中なのかも知れない。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ


カウントダウン

2017-09-19 | 趣味
毎度毎度、愚痴愚痴。
自分ながら情けない。
が、膿を出します、皆さん、避けてください。

趣味のことは、趣味程度に留めておくのが、一番、趣味を満喫できると思う。
わたしの場合、あまり、シャカリキになるのは、エンジンが焦げる。
元々、大型車の排気量で、そぉっと走るのが好き。
軽四でムリムリ飛ばすなら、いっそ自転車か徒歩で。
わたしにとって、余裕が無いのは、空気が無いのと同じ。
というわけで、たとえ大型車であっても、ガンガン飛ばすのは、わたしの嗜好には合わない。
好きでゆっくり走って(歩いて)いるのに、速く走れと、ピシピシ鞭を打たれても、走れない。走らない。
だから、趣味の楽しみ方は、わたし流を選びたい。

そういうことは、やってみないとわからない。
なので、自分には合わないやり方は、消去していく。

最後のご奉公が終われば、来週からは、仕切り直し。
少し離れてみたい。

今までこんなに鬱陶しくて嫌だったことはない。(たぶん)

所詮、趣味。
楽しくなければ意味がない。

こんな同じような内容を何度もアップするなんて、わたしも相当、ヤキがまわっているようだ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ