へんな洋食屋 2007-01-22 08:28:43 | Weblog 頼朝や政子が歩いたに違いない古道や合戦の跡、社寺のそこに有るべき由来を調べ歩く。嫌っ!庶民の生活道や巡礼道、これこそ面白いし古人のドラマが見え隠れして今に至る。思えば、そこいら中はアスファルトに封じられた古道遺跡だらけです。当時の街道の狭さの訳、鎌倉から見た横浜の方角的役割、谷口扇上地の怖さ、辻の不気味、忍の暮らした谷戸、古道の道引き等様々が判ってきます。我が住む横浜の南区を歩くのにおおよそ七回掛る。七つの丘が有るからだ。七回で一枚の古地図が書けるが毎回新発見があり早六十枚、未だまとまらず。