昨夜、武道の達人と話す機会が有りました。その方は、67才に成りますが「正中線」が通っています。「正中線」とは、心身ともに特に体姿勢に表れますが体中に「ヤジロベイ」を備えている動きです。シンプルな動きではあるが、揺るぎ無い、無駄の無い、体中のぶれ無い動きです。聞けば、古武道です。現代のスポーツ化した競技武道ではなく、生命を賭けた動き、いわゆる「処作・佇まい・振る舞い」がそうさせるのだろう。非常にシンプルな美しい立ち姿勢です。そのなかで、抜いた白羽をサヤに納めるのが難しい。という話題になりまして…。
そして、近付くと、近付くというのは「一人前」。要するに、確固たる自己のスタイルに近付く。例えば、オイラのギター奏法は、クラシコ・ラテン・ジャズ・タンゴ・フラメンコを融合させた独自の他の追従を許さない奏法と自負しています。到達に20年かかっています。写真術、シンプルに至るまで20年。日本史の解釈に20年。未だ過程の彫金・一筆画等でも8年位続けている。オイラの場合は、20年が一つの峠ですなっ!だから、現在はモノ集めや溜め込みの様な空気の停滞は止め、必要と欲の区別も着き、モノも人も冷静に見る事が出来ています。
話が、いつもの如く矛盾してきましたが、複雑なシンプル。思うに、シンプルへ向かう創世紀には数多くの情報を得て、その度の対応を重ねて失敗したりして傾向を理解する。その為の月謝や無駄、心身供の労苦・喜怒哀楽がなくては絞り込むことが出来ない。習っていたり、集めていたり、溜め込んでいたりしている内は、月謝や無駄の期間で、あちこち出歩いて旅行している内も情報の収集の段階です。続けている内に、傾向と予測が見えて月謝や無駄・心身供の労苦を少なくしようと考えるようになります。その時、引きずるのが後悔と過去の栄光。
結局、音楽も情報ですから数多い情報が有った方が良い。只、得た情報をどう分析して潔い取り捨てを行い凝縮させるか?なんです。結果、シンプルに成りますが、凝縮されているから実は中身は複雑。だからもう一押しの整理が必要になる。こうなると、モノや情報や記号の整理を越えて精神的なシンプルだっ!大袈裟だが、魂のシンプル。究極です。聖者の心境、大達人の境地です。ところが、物欲は物凄く強い。誘いの情報は溢れ、比較社会の真っ只中、見栄も芽吹いてくる。だから何時まで経っても欲しいモノだらけ、刑務所か僻地しかないなっ!
音楽は複雑ですが、更にアンサンブルとなると、そこに間合いやバランスが加味され複雑は倍増する。テンポの正確さの上に音の強弱・音色・主を引き立てるハーモニー造り、そして「間合い」。息を合わせると言いますが、間合いの合致がアンサンブルの鉄則です。これには、シンプルが一番。複雑な音楽から学ぶシンプルです。よーく考えるとシンプルからシンプルよりも、複雑な事柄から無駄を省いたシンプルの方が理解の伴った意味の深いシンプルであると推察出来る。という事は、一度複雑にしてから切り捨てた方が良いシンプルが可能かも。
マァ、元来音楽は、複雑ですが、オイラはソロで弾くことの方が多い為にギター一本の演奏の中にベース音・リズム楽器・副音と様々な要素を取り入れている。故に、複雑に複雑を重ねて圧倒的な演奏の醍醐味を目指しています。一秒中に40もの音が入るときもあります、もっと心にユトリを持ってシンプルな演奏をと考える時も有りますが、オイラの奏法なのです。只、複雑故に一秒の中の音が判る、40の内2が多いとか少ないとかです。そして娘とのアンサンブル、ここではシンプルな伴奏に徹します。引き立てるにはシンプルでなくば成りません。
他人事ではないが、オイラも数多くのギターを持っていますが一度に弾けるのは一本です。曲に合わせた音色も弾き方でトーンを変えれば、せいぜい二本で十分です。自らの腕前をカバーする為に道具に走るのは、腕前の未熟さを明かしているようなものです。技術でカバーするのが本質ですよっ!シンプルな演奏は一本のギターと巧みな技術、豊かな音楽性、培った間合いや経験だけで充分。オイラもそれを目指して、早くも35年未だシンプルな演奏に到達出来ないでいます。巧みさとかカッコ良さとかに囚われ欲が音を押さえ込んでいるからです。
自分を取り巻く他の些細な事柄に感動を期待する訓練に「散歩」があります。家という結界を越えたら非日常の世界に入る、その意識を持って散歩をすれば必ずや日常の再発見が出来るし、その連続がシンプル・ライフに繋がります。欲と必要の区別もつき、その押さえも利くようになる。趣味もかなりの領域に入ると道具にコダワリが生じます。例えば、お茶道。裏と言えば「詫び・寂」と思うが実は、大変派手です。シンプルどころか、金銭と物欲と見栄の展示会です。利休は、望んだであろうか?楽器も同じ、曲と音色の追求はシンプルに程遠い。
便利の追求は、自己の堕落を招く。便利な機械は、複雑に出来ているが自己の頭脳と身体は空っぽです。しかし、勤める側は便利で簡単で収入が欲しい。好きで行っている以外は切磋琢磨なんてしていません。それどころか、不満の方が多い。考え方の方向違いですかねっ!シンプル・ライフの素晴らしさは、自己の向上に有る。自己を取り巻く他の方々の素晴らしさの発見にある。シンプル・ライフが難しい一面に多大な感動を期待し過ぎて、日常の些細な事柄に感動を憶えない、だから複雑ライフに走る。心の持ち様で些細な事柄に感動出来るのに。
しかも、テクニックは常に向上する。加工品を仕入れず自作すれば当然ですが、テクニックは、常に向上する。しかも、添加物を使用しなくて済む、尚勝つオリジナリティ溢れる。原材料から全てを仕込むので食材の本質も見極める事も出来る。帳簿も手計算だから、経営状態の把握も随時出きる。パソコンでボタン一つの自動計算とは違い、計算式が理解出きるので自らの向上に役立つ。だから、シンプル・ライフで学んだ事は自らの知識や体力・技術・精神学に複雑に溶け込む。裏を返せば、外シンプルは内複雑だっ!だから、自己の向上に役立つ。