他人事ではないが、オイラも数多くのギターを持っていますが一度に弾けるのは一本です。曲に合わせた音色も弾き方でトーンを変えれば、せいぜい二本で十分です。自らの腕前をカバーする為に道具に走るのは、腕前の未熟さを明かしているようなものです。技術でカバーするのが本質ですよっ!シンプルな演奏は一本のギターと巧みな技術、豊かな音楽性、培った間合いや経験だけで充分。オイラもそれを目指して、早くも35年未だシンプルな演奏に到達出来ないでいます。巧みさとかカッコ良さとかに囚われ欲が音を押さえ込んでいるからです。
自分を取り巻く他の些細な事柄に感動を期待する訓練に「散歩」があります。家という結界を越えたら非日常の世界に入る、その意識を持って散歩をすれば必ずや日常の再発見が出来るし、その連続がシンプル・ライフに繋がります。欲と必要の区別もつき、その押さえも利くようになる。趣味もかなりの領域に入ると道具にコダワリが生じます。例えば、お茶道。裏と言えば「詫び・寂」と思うが実は、大変派手です。シンプルどころか、金銭と物欲と見栄の展示会です。利休は、望んだであろうか?楽器も同じ、曲と音色の追求はシンプルに程遠い。