三田革新懇主催の「美浜原発視察」が11月9日(土)に持たれ、中田・長尾議員ともども参加してきました。
三田駅前を午前8時に出発し、午前11時に美浜原発PRセンターに到着、その後フィッシャーマンズワークにて昼食後、明通寺で住職のお話。午後4時過ぎまでの視察。三田駅には午後6時半近くに到着となった。
観光バス1台をチャーターしての視察でしたが、バスが出発して時間をおかずに、さっそく車中学習会となりました。元関西電力社員であった速水氏(以前にも講演いただいた方)からは、燃料から電力を創るにあたっての熱量から電力へ変わるその割合が他の化石燃料の約50%に比べ、原発ではわずか33%しか電力に変えることができない。鉱石から核燃料を創るために、膨大なCO2を輩出しており、決してクリーンではないことが説明されました。(かつては、「原発はクリーンなエネルギー」と政府からマスコミまで国民に信じ込ませていた)
また、前弁護士からは、原発を考える上で、長期の地球活動も含めて人間による安全対策では抑えることのできない作用が働いており、その中で原発の在り方を見ることも重要だと指摘されました。(地殻変動は人間の力では抑えられず、その上に立地する原発の問題を考える)
美浜原発のPRセンターは、2年ほど前、阪神北地区の共産党議員で一緒に見学したことがありました。当時と比べての変化は、「福島原発を受けての対策が強化された美浜原発の安全性」が一層強調されたPRとなっていました。世界最上級の対策が施されているとの説明だが、世界の安全対策と比較しようがない。また、事故を想定しているが、放射能漏れ状況で果たして設定された対応が取れるのかの疑問には答えていない。また、稼働することで生ずる「死の灰」対策については、全く触れていない。相も変わらず、不利なことを隠したまま、一方的なPRの体質はそのままでした。
昼食後、小浜にある明通寺を訪問しました。本堂や三重塔は国宝になっており、また国指定重要文化財の不動明王立像や深渉対象、降三世明王などがある有名なお寺さん。
なぜ、このお寺を訪問したかは、大きな意味があります。
かつて、若狭湾に位置する小浜に4基もの原発設置する問題が発生しました。しかし、原発設置に対して、様々な立場の人たちによる喧々諤々の論争の後、原発の危険性などの勉強会や討論を何度も繰り返し、「小浜に原発をつくらせない」の一致点で全市的な運動に発展、有権者の過半数を超える署名を集めるまでとなり、市長選挙に大きな影響を与え、反原発を公約にさせる取り組みや選挙結果により、国に原発誘致を断念させるという輝かしい闘いがありました
この運動の中心になったのが宗教者であり、共産党・社会党の対立を乗り越えて労働組合の方たちや市民の取り組みであった。
忙しい住職さんのお時間をいただいて20分ほどを参加者全員で、その後個別に10分ほどお話をお聞きした。
・ 電力を大量消費する都会のために、なぜ田舎に巨額の保障金を注ぎ込んでまで原発をつくるのか?
・ (大飯原発3・4号機)「1年間原発が稼働すると2期の炉内にたまる『死の灰』はヒロシマ型原爆の2000発分、生成されるプルトニウムは長崎原爆の60発分が発生する」ということを原子力村の人は一言もしゃべらなかった
・ 原発作業員は既に50万人にものぼり、原爆で死亡した人を超えている。この人たちの将来は、計り知れない被爆による症状があらわれてくる可能性がある。
・ 最大の被爆弱者は、「子ども」たちである ⇒ 子どもたちは大人の数倍から10倍もの被爆をし、退治は大人の100倍近い被ばく量となる
そのことから、福島では子どもたちは「外で遊べない!」・・・・・子どもたちは元々戸外で遊ぶもの。被爆を恐れて「外で遊べない状況を作り出している」ことは、国による、正に子どもへの「拷問」に等しい
*「あとからくる者のために」・・・坂村真民氏「詩集・詩国」より
「・・・・・あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分でできる何かをしてゆくのだ」