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里山にもキクザキイチゲが、宝石をまき散らしてように咲く季節になった。イチゲは高山で見るとより魅力的だが、里山でフクジュソウなどと一緒に咲いているのを見ると、春ののどかな日和の眼福である。もう里山には山ニンジンや花わさびが採れる季節である。先日採ってきた花の咲いたフキノトウの花芽をとって、葉と茎の部分を佃煮風に煮込むと、春の香りが口中に広がる。山菜の快楽を味わえる季節でもある。
昔切り抜いていたいた新聞のスクラップをめくっていると、昭和51年の日付けで、作家の宇野千代のコラムが見つかった。題して「私の快楽主義」。那須の山道で採ったタラの芽の話である。
「那須へ来てから初めて知った山菜だから、勿論、そんな食べ物があることなど、昔は夢にも知らなかった。私と同じような人もたくさんあるに違いないが、こんな旨いものを知らないとは、私は自分のことは忘れて、気の毒に思うのである。私はてんぷらにするのであるが、口の中にねっとりと残る、あのほろ苦い喩えようもない旨さ。」
と書き、タラの木の棘で手が血だらけになっても、この山菜を採るのを止めない。留守居の人たちにこの旨さを知らせてたいためである。山菜には、八百屋さんで売っている野菜では味わえない独特の味がある。日本人の先祖が、原始の時代から春の味覚として賞味してきた、まさに原初の味わいである。快楽というよりも、人間が春に元気を取り戻す食べ物として、体内に眠っている原初の記憶と言ってもいいのではないか。
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