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今日は雛まつり、3と3に掛けて耳の日でもある。論語に耳順という言葉がある。「五十にして天命を知り、六十にして耳順(した)がう。」50歳になって人間の力の限界を知り、60歳になると何を聞いても腹が立たなくなった、という意味である。一般には人の言葉を素直に聞く度量ができた、という解釈が多い。しかし、孔子の生涯を見てみると、自分の考えた理想の政治が、当時の国の君主に聞き入れられず、この年代になってから、諸侯を訪ね歩き、受け入れる君主を探す放浪の旅に出ている。
多くの弟子を引き連れ、孔子の放浪は過酷であった。どの国へ行っても、孔子を受け入れてくれる君主はいなかった。「鳳鳥至らず、河は図を出さず。吾れ巳んぬるかな。」鳳凰、河図。いずれも、孔子が求めた理想の社会である。それを求めた14年に及ぶ放浪の旅に見切りをつけた孔子の言葉である。下剋上の乱世は終わりを見せず、老いがさらに孔子を追いこんいく。深い絶望の内に、孔子は故国へ帰った。かって孔子を敬った人物が、魯の国の大臣に就いた時期でもあった。晩年の孔子は、五経の編纂に打ち込んだ。弟子たちの教科書としてであるが、後の世の偉大な教科書となった。
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