生れたばかりのトンボが室内に迷いこんで来た。飛ぶ力も弱く、手のひらのなかで弱々しく、足を踏ん張っていた。窓の隙間を見つけると、すうっと青空に向かって飛び去った。日光を浴びることで、羽を強くし飛ぶ力をつけるだろう。こんな発見のあと、ラインで娘が、ひ孫の誕生を知らせて来た。生まれたばかりの子は、両親の腕のなかで、落ち着いて目を開けていた。本当はまだ目ははっきりとは見えない。両親の腕のなかにいることで、安心を保つことができる。
茨木のり子は詩のこころの第一に「生まれる」をあげている。この世に生を享けることは、詩の大きなテーマになる。そして、谷川俊太郎の「芝生」をあげている。
芝生
そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
この詩では、地球に生れる全ての生命について、その本質が見事に捉えられている。トンボもセミも、人間の子も生まれ落ちたとき、すでに生きのびるための知識がその細胞に刻まれている。
私自身、先日の山中で意識を失ったとき、不意に山の坂道で意識を取り戻した。第二の誕生と言うべき、新しい生命が肉体に宿った。賢しらな老人は、そこで死に、新しい生命が不意に生れた。新しい生命の誕生に出会って、たまらない愛おしさが感じられる。トンボも人の子も、新しい生命と言う点で変わることはない。そして生きのびた命を、これからどう長らえていくか。私には新しい課題が加わった。