桃がおいしい季節になった。たわわに生った桃の木に下にいけば、桃の甘い香りが漂ってくる。斉藤茂吉が好んで食べたものは、「うなぎ」であったが、「白桃」も好みの食品のひとつである。茂吉の第五歌集は「白桃」と名づけられたが、それは茂吉が昭和8年、52歳のときに詠んだ次の歌に拠っている。
だだひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり 茂吉
片手にあまるほどの大きさ、皮を剥いてがぶりと齧る豪快さ。一首は桃の存在感を余すところなく表現している。茂吉はこの白桃が「岡山名産であるが、シロモモと大和言葉にくだいて見た。」と「作歌四十年」のなかで述べている。そう読むことで、歌に抒情詩的な味をつけたのである。
茂吉の食へのこだわりはかなり強いものがある。この「白桃」の時代から、戦争へと向かって行き、食糧難の時代を過ごすことになるが、茂吉の食へのこだわりは年齢を加えても衰えることはなかった。
街にいでて何をし食はば平けき心はわれにかへり来むかも 茂吉
茂吉は自らの食へのこだわりを、「意地穢い」ことと言っているが、同僚の死などで落胆した心を平らにするために、好きなものを食べた。「白桃」を食べた時も、茂吉の心には豊かな満足感が広がっていったに違いない。
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