寒波のなかの山登りは、目にできない自然に触れる貴重な機会だ。いつもはベランダから見えている山に、自らの身を入れることである。遠くから見ていることと、その現実のなかにいることとの間には大きな落差がある。雪を見るというひとつをとっても雪に覆われる視覚のほかに、歩く足が雪に埋もれている感触や木に付いた雪が身に降りかかってくる触感に五感がさらされる。まさしくそこに身を置かなければ味わうことのできない感覚だ。
一緒に登った仲間の一人が、雪のついた林の美しさに目を留め、携帯のカメラに収めた。聞けば、こんな雪のなかへ行くことは止せという友達に、この景色を送るのだという。携帯でこの景色を送るだけで、雪の山登りの魅力が分かるという。まったくその通りだと思う。
登山道の入り口に神社があった。白髭神社である。伊勢神宮の遷宮のポスターが貼ってあるのをみると、その末社でもあるのだろう。拝殿の前で二礼二拍手、登山の安全を祈る。山中の雪は凍った古い雪の上に昨夜来の雪が10センチほど積もっていた。高度400mを過ぎてから積雪が多くなり抜かるのでカンジキを履く。
里山には地図の表示される山の名はない。山ろくに住む人たちの間でも呼び名はまちまちだ。今日登る八方山も、そう呼ぶのは鈴川地区に住む人たちで、700mのピークには炭沢山の手書きの看板がある。杉を植林した地区の名を山名に当てて釈迦堂山とも呼ばれているらしい。所々に赤松の大木があり、雑木のブッシュが行く手を遮る。この里山はかつてはマツタケの山であり、枯れ枝を集めて冬の燃料にし、冬の炭焼きを行ってきた山だ。
夏道は絶え薮が深いので雪のある季節だけ登頂可能である。積雪のなかでさえブッシュに悩まされる。尾根道から垣間見える雪の山は神々しいほどの輝きを持つ。積雪の少ないところを掘るような動物の跡は、カモシカが餌を探した場所でもあるのか。イノシシではないか、という人もいた。こんな雪中にイノシシがいるのか分からない。気温は下がって-5℃を越えたようだ。持参したペットボトルの水が凍り始めた。上り3時間半、下り2時間往復6時間ほどの里山歩きであった。
二日後、青空が広がった。この日登った尾根道と一番奥に炭沢山が見えている。こうしてみると、家のベランダから見える里山ではあるが、確かに長く、できればこのように晴れた日登った方がはるかに楽しいだろう。