常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2019年12月29日 | 論語
中国文学の泰斗、吉川幸次郎博士に、『論語について』という文庫本がある。昨日述べた「仁」が分かりやすく書かれている。本の大部分は古典講座「論語」で、NHKのラジオで放送されたものを書き起こしたものだ。私は、テレビの講座で先生の「杜甫」を見た。その語り口は親しみが持て、内に持った学識がにじみ出てくるように感じ、この時間が来るの楽しみにしていた。

「仁を欲するれが仁ここの至る。」これは孔子の言葉だが、では仁とは何か。
仁という言葉を解体すれば、人が二人である。そこに通じる感情、つまり愛である、吉川博士は説いている。愛という心の動きは、仁になって行く。これこそが人間の求めるべき究極の目的であって、それは学問という手段によって実現される。先年、テレビドラマに「仁」というのがあった。これは漫画のスーパージャンプに連載された医療漫画で、現代医師が幕末の江戸にタイムスリップする設定になっている。主人公の脳外科医師・南方仁の名が、漫画の題名になっている。医療技術のなかった江戸の病人を救いたいという人間愛と「仁」という医師の名は無関係ではあるまい。

日本の皇室でも仁という言葉が非常に大切にされている。歴代天皇に、仁の文字がつけられているのもそのことの証である。明治天皇睦仁、大正天皇嘉仁、昭和天皇裕仁、平成天皇明仁、令和天皇徳仁。戦後、象徴天皇となってから、国民の苦しみや喜びに寄りそう平成天皇のお姿は、広く国民の共感を呼んだ。避難所の畳の上に膝をおり、近くでお話をする姿に、これこそが仁であると国民の心に響いたのであろう。


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屋根の雪

2019年12月28日 | 論語
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ (三好達治)

ぽかぽか陽気の師走も、あと4日間。ここにきて、数ミリの雪が降った。屋根に見える雪が新鮮に映る。31日と4元日、大雪の予報である。雪が少なく困っていたスキー場も安堵の胸をなでおろしているだろうか。山本七平『論語の読み方』を、まず手始めに読んでいる。

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者はいのちながし。(論語雍也篇)

21日に山に登ってから、もう一週間になる。登山ロスの生活があと2週、論語の言葉がその気持ちをかき立てる。考えてみれば、天気のいい日に千歳山に登るという手もある。しかし、孔子が山を歩いたのは、あくまでも移動のための山道で、それを楽しんだとも思われない。ここでは、どっしりと動かない山の姿に惹かれている人の姿である。

阿川弘之の『論語知らずの論語読み』に、この言葉をテーマにした一文がある。マダガスカル島にいる友人に誘われて、海に囲まれたこの島に行き、海老やウニを食べながら、もちろん酒も飲んだにちがいない、「論語にあるが、俺は山より海が好きだ」と言ったら、友人も「俺もだ」と答える。こんな島に行けば誰でも、そうなるに違いない。大体、孔子が活躍したのは山東省の内陸であって、太平洋やインド洋も知らないだろう、という話だ。

宮崎市定の現代語訳を揚げておく。「子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ、という諺は全くその通りだ。知者は運動が好きで、仁者は安静が好きなのだ。知者は目前を楽しく暮らす方法を知り、仁者は長寿の秘訣を知っている。因みに仁とは学問の究極の目的で、博く学んで熱心に理想を追い、切実な疑問をとらえて自身のこととして思索をこらすうちに自然と得られる。それを身につけたものが仁者である。
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敬老会

2019年09月15日 | 論語

今日、地区の自治会の敬老会である。もうこれに参加するようになってから、3回目である。まだ敬老会にいくような年ではないという意識がどこかにあって、何となく進んで行くということがなかった。最近では、妻が「お祝いのご馳走がたべられるから行こう」というようなって、抵抗感がなくいくようになった。昨日、岳風会の「詩吟まつり」があった。詩吟の仲間も高齢で、懇親会はあたかも敬老会のような雰囲気であった。スマホを持っている人も結構多い。写真を撮るにもスマホを使っている。ラインを使っている人がいたので、すぐに友達登録をし、撮った写真をその人のラインに送ると、朝になって操作方法を訪ねてくる。敬老の年になれば、デジタル機器に疎い人が多いことをあらためて知らされた。

「七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず」ご存知、論語で孔子が自分の一生を語った言葉だ。「吾十有五にして学に志す」から始まる聞きなれた言葉である。四十代の不惑、六十代の耳順など、誰もが知っている。改めて、七十代。言葉通りに読めば、自由自在に行動して、しかも人間としての規範を破らない至上境ということになる。ある評論家がこの言葉に付言している。もうこの年になれば、節度を失うような行動はもはや、生理にできなくなっているということではないか、と。早い話が、これ以上飲むと、ひどい目に会うから、これまでと盃を置くような話だ。それにしても、まだまだ、飲み過ぎて、タクシーの中で眠ってしまうような七十代も時々いる。もって瞑すべしというべきか。

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川上の嘆

2017年06月07日 | 論語


論語の子罕編に、

子、川の上(ほとり)に在りて曰く、逝く者は斯くの如くか、昼夜を舎かず

というのがある。有名な川上(せんじょう)の嘆である。日々の過ぎるのが、異常に早く感じる年になって、この言葉は重い。頼山陽は13歳のとき、はじめて作った漢詩に、「十有三春秋 逝く者は已に水の如し」と詠んで、論語の句を踏まえたが、13歳の少年が感じる句の重みは、70歳をはるかに過ぎて、比すべくもない。

この句の解釈は、日本では古くから、人間の生命も、歴史も、川の流れのように休むことなく移ろっていくという詠嘆と宇宙の活動が無限に発展するものとする希望、という二つの解釈が行われてきた。桑原武夫は『論語』のなかで、この句は絶望としての詠嘆と解釈すべきではなく、静かな諦念の境地とみるべきと、指摘している。

若い世代が読むのと、老年が読むのととでは自ずから受け取り方は異なるであお^ろうが、私もこの諦念の境地を支持したい。過ぎ去った青春は取り戻せるものではないが、その回想のなかで美しいものとして、そっとしまっておくことはできる。
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老いの将に至らんとするを知らず

2014年10月20日 | 論語


平均寿命になるまでまだ長い時間があると、最近まで思っていた。ふと考えてみると、あと6年である。孔子の言った、「老いの将に至らんとすると知らず」などという心境ではない。やりたいことをできないまま、時間だけが超スピードで過ぎていく。そんな老年の生活のなかで、孔子の言葉はこれからの生き方に強い示唆を与えてくれる。

孔子の晩年のことである。楚の国の名臣である葉公を任地に訪ねたおり、弟子の子路に孔子の人となりを聞いた。子路は何と言ってよいか分からず、答えられなかった。そのことを孔子に話したところ、「何故こう言わなかったのだ」と言って自らの人柄を語った。

「憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんするを知らざるのみ」こう答えればよかったのだよ。

憤りをどう解釈するべきか、疑問がのこるが、孔子は国をいかに統治するべきかを考え続けた学者であったから、憤りはこの問題に関してもののように思える。精神が高揚してくると、食べることも忘れて熱中し、楽しいことがあると心配事も忘れてそのことに没頭する。老いがその身に近づいてくることにも気づかぬ様子の人だ。

みずみずしく清新な心、日々学ばんとする情熱、物事に対する関心と感激、自己感性への孜々とした努力。孔子はこのような若々しい心を終生持ち続けた。

サムエル・ウルマンの詩にもある。

真の青春とは

若き肉体のなかにあるのではなく

若き精神のなかにこそある

このような、心を持ち続けられるならば、6年という時間は図り知れない長さを持つことができるだろう。

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