みけん・み~すけのやさしい技術士ブログ

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熊本の状況

2016-05-16 21:09:09 | 地域連携

熊本にご実家のあるMさんから、5月のお休み中の状況について、
お知らせいただきました。ご許可を得て、ご紹介させていただきます。

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先月は、熊本地震におきまして大変なご心配をおかけし申し訳ありませんでした。

 ゴールデンウィークに熊本へ帰ることが出来まして町の様子や実家、親族の暮らしも目で見て確認してきました。

私が見てきたものや現地の人から聞いた話になりますが、熊本の現状をご報告いたします。

  

5月4日~6日に、福岡空港経由で熊本へ帰省しました。

4日に熊本市内を見て阿蘇市そばの妹宅に宿泊し、5日に阿蘇の西原村のボランティアに参加、6日に熊本市内を見て、新幹線で福岡空港を経由し東京に戻りました。

行政が物資要請を中止しており、復興が進んでいるように見えていましたが、現状はまだまだ時間がかかりそうな状態でした。

 

箇条書きにて失礼いたします。

 

<高速道路>

*植木インターまでの道は、特に地震の痕跡を感じられなかった。余震が起こると、余震の影響から50キロや80キロの速度制限がかかっている道路もあった。

*植木インターを降り、一般道を行くと地面の地割れがところどころにあった。

 

<町並み>

どこも、手がつけられないところはそのままで、片付いているところはお店も開いていて、なんとも言えない状況だった。屋根を覆っているブルーシートが地震の爪痕を色濃く残し、道に積み上げられている不燃ごみや粗大ごみが風景を変えてしまっている。

実家近くの古い建物が多い、新町は人が住んでいる気配がなくなり、半壊の建物も、全壊の神社もそのままの状態になっていた。そこに行政審査が来た色つきの張り紙がしてあり、赤色の危険を表す張り紙が多かった。一階を駐車場にしているマンションは倒壊している状態のまま残っているものも多かった。

 

<熊本市西区の実家>

玄関前の地面の隆起、家の支柱にヒビ、お風呂が壊れていまだ入れないため毎日銭湯に行っている。

住める状態ではあるようで、行政の審査が来なくても暮らせるだろうと言っていた。地面の隆起の具合をみると、余震が続く今後どのように建物が変化していくか読めない状態。

いつも通りの家に戻ったわけではなかったが、地震の爪痕が色濃く残る状態は改善されつつあった。

当時の震度7の地震が来た際、初めて立っていられない地震を経験したため、震度5以上になると恐怖がよみがえると話していた。

 

<阿蘇>

妹宅のある阿蘇近くの大津町にいた3日間で、震度3と4の余震が4回あった。地響きがするクラスのため衝撃が強い。間隔が短い。一度震度4が来たら、5分後にまた震度4が来ることもあった。

妹の職場は阿蘇にあり、職場ではいまだ仮設トイレを使用している。建物内の損壊が激しいため、窓ガラスも割れ天井が落ち、片付けも進まない。余震が続くため、職員総出でヘルメットをかぶり作業にあたり地震が起きたらすぐ屋外避難をするようにしているとのこと。阿蘇大橋が崩壊した地区のそばにある立野病院は、廃業となり従業員は解雇、患者は別施設へ移動になったそう。

 

<西原村ボランティア>

阿蘇山からの火山灰も降ってくるため、ボランティアをするにも乾燥とほこりと猛暑で、熱中症になり、1日だけの1回で精一杯になってしまう。

朝8:30にマルキン食品阿蘇工場に集合後受付開始のはずが、多くのボランティアが集まり、炎天下の中作業開始までに時間がかった。9時の時点で30℃近く気温が上がるため、作業開始前に体力を消耗してしまう。

継続者と初めての人で、受付を分けており、継続者がグループのリーダーとなり来た順で各地域にマイクロバスで乗り込んで行く。作業は必ず団体行動、16時には受付場所に帰ってこれることが前提で作業にあたる。ボランティア保険は、皆が加入する。

「病院管理栄養士にできる専門的な仕事があるか」確認をしてみたところ、回答に時間がかかり、早めに受付は済ませていたが西原村のその日の作業定員がいっぱいになってしまった。

震災当初は、炊き出しなど衛生面で管理栄養士の需要があったらしいが、今は特にないと回答を頂いた。

元々、地域で募集しているボランティアには在住地に条件があり、ゴールデンウィーク中熊本市内と西原村以外、九州在住以外の人は受け入れがなかった。今現在は、条件が変化しており、九州在住外も可:熊本市、西原村。九州在住限定:宇城市、御船町、大津町。熊本県内在住限定:菊陽町、嘉島町、南阿蘇村、菊池市、益城町。町内限定:山都町、甲佐町 八代市:市内限定。となっているよう。

 

<大津町ボランティア>

西原村が満員となったため、近くの大津町に派遣された。大津町スポーツの森に災害ボランティアセンターが設置されていた。沖縄の福祉協議会が派遣されてきており、運営していた。要求のあった住民の方に今から行っても大丈夫か確認をとり、必要人数を確保し、現地に向かった。

作業に必要な用具は貸し出しがある。ヘルメットや防具マスク、スコップ、中敷き(足のけが防止)、軍手など。男手で、マニュアル車を運転できる人の需要が多かった。独居の方宅で、大きな家具を運び出し、処分場まで運ぶことや瓦を片づけたりと力仕事が多い。たまに、女性のボランティアを指定されることもあるらしいが、ほとんどが男手を必要としていた。

私が派遣されたお宅は、窓も全部割れ、中は砂ぼこりと破損した家具の山だった。女性の独居や高齢者は特に、すぐ片付けることも出来ないため、非常に助かるとおっしゃっていた。

 <熊本市中心部>

街中のアーケードは、元通りになっており、ニュースで見た映像より随分立ち直っていた。

ただ、鶴屋百貨店の本館は建物が古いため、営業出来ていなかったが、14日から営業を再開した。お店はどこも閉店時間が19時をめどに早い。

東区については、熊本で大きな道路でもある東バイパスは、19時以降お店も開いているところが少なく、道路も暗かった。唯一開いていたファミリーレストランは、吸水がうまくいっていないためか、水の出が悪かった。阿蘇も同じで、お店が閉まるのも早い上に道路が真っ暗になるため危ない。

 

<熊本城>

道路自体が、立ち入り禁止になっているため、中に入れない。

街中から見える部分は傷が分からないが、側面を通れる道路から見える裏の部分は崩壊した状態がそのままになっていた。

熊本城のそばにある神社は、雪崩に巻き込まれ、建物ごと崩壊していた。

 <その他>

地区や土地で現状は異なるが、熊本全域のテレビ画面は常に、地震情報と地震に伴う各種手続きの相談窓口や連絡先の情報が画面端に流されていた。

町内無線や、携帯への警報音など、余震がおさまらないため、平穏な日常を送れない。ボランティアに関しても、雨の日は危険が増すため熊本市以外は雨天中止になってしまう。作業が進まない。

また、新たな情報として長期でボランティア出来る人にも来てほしいと西原村のボランティアの際言っていた。技術が必要な農家の手伝いなど、毎日違う人に教えることは被災者のストレスにもなるため、同じ地域で長期的にボランティア可能な方を求めていた。

 

益城町や南阿蘇村など、全壊など被害の激しい地域では仮設住宅や公営住宅の募集が始まったが、定員に対して応募者が多すぎて全てをまかなえていない。

  

見てきた熊本の現状は、以上になります。

 まだまだ復興に時間はかかりそうですが、少しずつ着実に復旧しているようにも感じました。

  

現地に入ってみて正直、どうすることが地元のためになるのか答えが見つからないのですが、先週からやっと学校が再開し、仮設住宅も少しずつ始まりました。

スーパーなども開いており、生鮮食品も並んでいました。日常生活を取り戻すにも時間がかかりますが、九州各県近場の福岡や宮崎など、道路が崩壊し、正常な道がない時にも独自に道を見つけ物資を運んだり、がれき撤去に力を貸して下さったりと近隣の県の人たちに随分助けられたと家族やボランティアで出会った人たちも話していました。

  

頻繁に熊本に帰ることはできませんが、立ち直るまで地元の様子を注意深く見守り、帰省した際は出来ることをやりたいと思います。

温かいご支援ありがとうございました。

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以上になります。引き続き、義援金等、お力添えできればと思います。

コメント

獺祭 飲み比べ

2016-05-04 22:45:41 | 美味しいバイオ

獺祭 磨き二割三分、

純米大吟醸の磨き三割九分、

そして純米大吟醸50、

近所の居酒屋で飲み比べしました。

磨き三割九分がふくよかで味わいがあって好きだなあ。

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