海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「停戦の訴えとローマ会議」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年07月27日 | 国際政治
ローマ発:コンドリーザ・ライス国務長官は、イェルサレムから直接ローマへ飛んできた。悪いニュースが超音速で夜のうちに彼女に追いついた。レバノンの国境地帯で国連の監視団の4人がイスラエルの爆撃で死んだ。ビント・ジュベルでは、イスラエル兵10人がヒズボラとの撃ち合いで死んだ。これは戦争を新たな段階に推し進めるだろうとナスララ師は隠れ家から約束した。停戦のための良い前兆ではない。ローマ会議で最後の可能性だと思われた国際平和部隊にとっては良い前兆ではない。
それゆえ、ローマでは、水曜日にヘリコプターのローターの音が夏空に鳴り響いた。ロマーノ・プロディ首相の招きで、永遠の都は、一日だけ、レバノンという迷宮の首都になった。朝早くから、世界中のジャーナリストたちがイタリア外務省の廊下を埋め尽くした。10時に会議が始まった。午後一時には記者会見で結果が報告される予定であった。しかし、午後2時半になってもそこまで行かなかった。
ライス国務長官からアナン事務総長にいたる15人の立役者が招きに応じた。それどころか、教皇庁のオブザーバーやロシア人やアラビア人やトルコ人もいた。主役二人だけが欠けていた。イスラエルはライス長官が代理を務めていたし、ヒズボラは、もちろん招かれなかった。シリアとイランもいなかった。したがって会議は「花婿のいない結婚式」に似ている。
結局、最後にレバノン大統領フアド・シニオラ、ライス国務長官、イタリア外相ダレマ、コフィ・アナンが合い並んで記者団の前に立った。彼らはまるで埋葬に立ち会っているかのように真面目だった。参観者がローマを去ったとき、彼らは「平和プロセスの仕事を継続するとアナンは言った。だが、次にはシリアとイランが招かれるだろう。ライス国務長官は彼らを「他の国々」と言い表した。この武装対立の後で、「以前の状態」が再現されてはならない。「新たな中東のために、この紛争からその政府があらゆる箇所でやっと「主権」をもったレバノンが出てこなければならない」とライス国務長官は言った。(以下省略)
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