海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

ミーシュコフスカ著『ホロコーストの子供達の母』の書評。

2006年07月13日 | 差別と格差
オスカー・シンドラーは、1990年代にスティーヴン・スピールバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』で広く公衆に知られるようになった。このドイツ人企業家は、第二次大戦中に1300人のユダヤ人を「強制労働者」として自分の工場で「戦略物資」を生産させるという名目で、収容所送りになる前に救った。これまで殆ど知られていなかったのは、ワルシャワのゲットーから2500人のユダヤ人の子供を救い出したポーランド人の看護婦イレーナ・センドラーである。睡眠薬を飲ませて、袋や箱に詰められた子供達は、地下室や排水溝を通ってゲットーの外へと運ばれた。ソーシャル・ワーカーであったセンドラーが沢山の人的接触のお蔭で作成できた偽の証明書で子供達には別の身分証明書が作られた。彼らは養い親や僧院や孤児院に新しい家庭を見つけた。逮捕後、拷問を受けたにも関わらず彼女は庇護者の名前を明かさなかった。彼女は、戦後に家族とのつながりを容易にするために、子供達の正確なデータを隠した。
 イレーナ・センドラーによって救われた子供の一人に、1934年生まれで、現在、ポーランド科学アカデミーの文学研究所教授のミハイル・グロヴィンスキーがいる。イレーナ・センドラーが1989年以後に初めて公に認められた非常に有名な人物になったという事実は、グロヴィンスキーを最近の歴史、特に共産主義ポーランドにおける反ユダヤ主義の歴史の確認へと導いた。「英雄のリストには、単に左派に属していたが、共産主義というイデオロギー的ユートピアからはずっと離れていたこの女性の場所はなかったのです。」その上、「戦争直後の数年以来、ポーランド人民共和国では、何らかの仕方でユダヤ人とかかわりのある一切は、微妙で危険なテーマで、それについて人々は黙っているほうがよかったのです。」ミヒャエル・グロヴィンスキーは言う。「アンナ・ミーシュコフスカのこの著書は、驚嘆すべき、信じられぬほど勇気があり、犠牲を恐れない女性達だったイレーナ・センドラーとその助力者に対する賛美です。」
[訳者の感想]ユダヤ人の子供達をワルシャワのゲットーから救ったセンドラーの話は、はじめて聞きました。これは次のドイツ語版に対する書評です。センドラーという名前から彼女はドイツ人を先祖に持つポーランド人ではないかと思います。
Anna Mieszkowska:"Die Mutter der Holocaust-Kinder. Irena Sendler und die geretteten Kinder aus dem Warschauer Ghetto.”Aus dem Polnischen von Urszula Usakowska-Wolff und Manfred Wollff. Deutsche Verlags-Anstalt.München, 2006.319 S.,22,90Euro.
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