海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「テロの危険に対する政策は、理性的か」と題する『ツァイト・オンライン』の記事。

2008年12月21日 | 災害と事故
ツァイト紙:テロの危険、気候変動、電磁波照射は、そこらじゅうにわれわれを待ち伏せているように見えます。ですが、私たちはそれを一体正しく見積もっているのでしょうか?
ユンガーマン:われわれに印象を与えるのは、いつも、2001年9月11日のテロのような大事件です。私たちはこれに注目し、それに対して不安を持ちます。われわれにとって不気味である事物をより多く恐れるわけは、われわれがそれを理解しないからです。携帯電話から出ている電磁波は、手でつかめませんからね。
ツァイト紙:私たちは、リスクを間違って捉えているのでしょうか?
ユンガーマン:人間が統計的なデータによっても、科学的な認識に適したやり方でも、あるリスクを評価できないということが多くの人を不安にさせているのです。日常、車を運転していて、重大な事故が起こらなかったというのは、単にわれわれが運がいいからです。このことを、われわれはすぐに忘れてしまいます。ドイツでは毎日、平均13人が交通事故で死んでいるのですが。このことは、脅かされているという感情は、事故がおこるかどうか、どれぐらいしばしば起こるかということとは、あまり関係がありません。
ツァイト紙:それでは、私たちは感じられたリスクにだけ従っているのでしょうか?
ユンガーマン:そうです。私たちは、それを知覚されたリスクと呼びます。保険会社は、そうやってお金をもうけています。彼らは泥棒に入られて荒らされた家の中で悲しんでいる女性の写真を見せます。ドイツでは泥棒に入られる確率はとても低いのです。ですが、保険会社はそんなことは言いません。私たちはただ、恐ろしい写真を見て、自分にもこれは起こるかもしれないと想像するのです。こうして、家財に対する保険契約が結ばれることになります。
ツァイト紙:そうすると、知覚されたリスクに従うことは、間違っているかもしれませんね。
ユンガーマン:問題はそのことです。家に泥棒が入るという確率を過大に評価し、心臓麻痺になる確率を過小評価するとしたら、それはかなり危険です。電磁波の危険のように、感覚的に認識できない出来事の危険度を過大に評価することは、十分に意味があります。危険は実際現実的であるとわかるかもしれず、大きな損害を与えるかもしれません。
タァイト紙:ですが、憶測されたテロの危険のために、政治的な行動主義が始まるとしたら、私たちは過剰反応をしがちではないですか?
ユンガーマン:出来事による衝撃は、リスクの判定を短期間に非常に高めます。このことは、飛行機事故の例でわかっています。そして、しばらく経つと、われわれの判断は以前のレベルに戻ります。(以下省略)

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