大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

下醍醐

2019-02-06 | 

醍醐寺の総門を潜った瞬間、このお寺は広いなと思った。一直線の桜馬場の先の西大門(仁王門)までかなり距離がある。事実、京都の寺境内地処分地積(譲渡)では仁和寺(十四万九千坪)に次いで、十一万一千坪とこの2寺が群を抜いている。勧修寺から随心院、三宝院と廻って昼、近くになった。醐山料理があるという雨月茶屋で食事をとってから仁王門に向かう。
  
 
醍醐寺の説明によると、山科盆地の東側、笠取の山頂にかけての広大な地域に位置し、山頂一帯を「上醍醐」山裾を「下醍醐」と称している。醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で山号は深雪山、空海の孫弟子理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのに始まる。醍醐寺という一宇の寺があるのではなく一山の総称で、堂宇は山上と山下に分れ、上醍醐、下醍醐という。山号の深雪山は醍醐の花見で秀吉が詠んだ歌から採ったと言うが本当だろうか。現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のものだが、国宝の五重塔は天暦六年(952)の建立で、府内最古の木造建築物だという。現在、平成30年の台風21号の影響により、上醍醐への入山を禁止しているという。残念というより、これ以上、歩かないで済むかと思うとホットする。
国宝 金堂
 
不動堂
 
祖師堂と日月門
 
右)観音堂
 
 
国宝 五重塔       右)清瀧宮拝殿
 
左)清瀧宮本殿
 
 
山城国宇治郡笠取山にある醍醐寺は聖宝僧正が多年、各地の名山を訪ねたが令法久住の地は得られなかった。普明寺で佛法相応の霊地を求め七箇日間の祈願したところ、笠取山の峰に五色の雲が現れた。この峰を登った所、故郷に帰ったようになり、精舎建立を望んだとき、突然一人の老翁が現れ、泉水を汲んで醍醐味と褒めた。僧正は精舎建立の志を述べた。老翁は「此の山は古より佛練の場所で、諸天衛護の名神の居る所也、伽藍を建立すれば、法燈永く龍華の開く時迄も栄えるだろう。我は此山の地主横尾明神である。仏法を広く伝え、人々を救うのであれば我共に衛護す。云々」と告げて消えたと醍醐寺縁起にある。この醍醐味が醍醐寺の名の由来になったと伝えられている。五色とは何色かと思ったら基本、青・黄・赤・白・黒(樺)の五色(ごしき)で、仏教では如来の精神や智慧を五色で表すとのこと。陰陽五行では木は緑、火は赤、土は黄、金は白、水は黒。五行の色でいうと、北=水(黒)、東=木(緑)、南=火(赤)、西=金(白)、中央=土(黄)だという。五色の雲とはどんな色をしているのだろうと思っていたら、先日、いろいろな色が混ざると灰色に見えるとNHKの番組で放送していた。聖宝僧正が見たのは灰色の雲だったなんて言えば怒られそう。
醍醐寺近辺では食事ができる場所が極端に少ない。醍醐寺境内に昭和4年に宮内省より下賜され、京都御所より移築した建物を利用した「醐山料理 恩賜館」があった。
 
1日30膳までの限定の旬の京野菜をたっぷり使って、彩りも豊かに盛り付け、醍醐寺の伝統料理をもとに創り出された醐山料理の数々をぜひご堪能くださいという醍醐の四季「一味膳」(二段)を予約したかったが、12月はすべて×印、予約は4ヶ月前から出来るので、かなり混んでいるかと思い、隣の雨月茶屋に行く。
 
「一味膳」(一段)しかメニュウーに無いのかと思ったら二段の「一味膳」も出来るという。店の人に恩賜館が予約出来なかったと話をしたら、怪訝な顔をしていた。恩賜館は団体客や個人客が少ない季節は閉館している様だった。

コメント
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