大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

福井 大安寺

2018-07-13 | 

名古屋乗り換えで福井に行った。普通、小田原からは米原経由で福井に行くが、乗換え時間を「もっとゆっくり」にすると名古屋乗換えで案内がでる。福井行の特急「しらさぎ」は4番線発車で待ち時間に名古屋駅名物の「名代きしめん 住よし」に入る。3・4番ホームは電車の発着数が少なくこのホームの「住よし」は空いているという事で人気があるみたいだ。
 
 
福井駅の改札を出ると近くのベンチに白衣の人形が座っていた。マジマジと人形を見ていたら若い女の子に声を掛けられた。人形と一緒に写真を撮ってくれという。ポーズをとるのが大変、写真を撮るときの顔の向きや角度があるらしい。ニッコリした顔は別人みたいだった。福井駅には11時頃着いたが、駅前の閑散さに驚く。
福井松平家の墓所がある田ノ谷の大安寺に向かう。田ノ谷のこの所には昔、田ノ谷寺といい、七堂伽藍を持つ大寺であったが、天正二年(1574)、門徒一揆により焼失、荒廃したが、万治元年(1658)、結城秀康の孫、福井藩四代藩主松平光通が此跡に一寺を建立、開山は臨済宗大愚和尚。萬松山大安寺と号し菩提寺とした。光通は大安寺殿と法号し肖像を置き、代々の石塔がある。
 
 
 
 
 
 
万治元年(1659)に庫裏、翌年万治二年に本堂、寛文三年(1633)に鐘桜が建てられ、大愚和尚遷化の寛文九年(1669)の翌十年に開山堂が建てられた。延宝二年(1674)に光通が没すると、寺上方の山に廟所を造り、延宝五年(1670)に開基堂が建てられた。本堂・庫裏・開山堂・開基堂・ 鐘楼は国指定重要文化財に指定されている。本堂と越前松平家墓所の間に大愚宗築による明暦四年(1658)と銘のある亀趺石碑があった。
 
 
誰かの顕彰碑かと思ったら、この碑は佛體だという。三百六十年前に作られた亀に背負われた石文は難しかった。横に福井藩権大参事毛受洪の墓があった。

亀趺石碑銘
夫碑者佛體也古人曰釋子所歸敬莫如佛誠哉斯言也吾越前大守源光通
公誓勉五常路知六藝昼学武雄夜敬佛道所以野人懐慧勇士望風芲竹有
和気草木知威名至誠之所致自身之所直也為先祖開此山為太平建籍藍
附與山僧為住持山僧本好樹下願一居故應命住此山於此假大守余風為
光使元祚智門造建此碑上報四恩下莫三有銘當坐禅工夫行者豈不念道
眼未明而四恩難報哉豈不念道行非我修而誰修哉豈不念法山零落而求
妙心於瘡紙哉豈不念一子出家九族生天哉豈不念辞親棄俗為何事哉菩
提之種利済之行如件銘曰
禅坐鉄脊梁如海深山固信則渡船得疑則藤依樹教外傳耳聲霊方薬□苦
草見乱吐言浅聞何如足不得徳不孤無功功難論一念即万年不□猶一遇
普導世間同登覚路
   明暦四戊戌年七月初八日
   萬松山大安禅寺住持 前住妙心大愚宗築書

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする