37、至徳山浄泉寺(寺町2-6-10)上杉家家臣、宗誓が開基と伝える。浄興寺塔頭は松平光長高田入封の時、寺名を替える。白虎隊望月分隊士分西郷鉄次郎、金子鉄次郎、石山繁之助、同侍分鈴木岩次郎、高津且之助、佐藤直三郎、他
38、姫磧山正念寺(寺町2-6-10)休玄が浄興寺善芸に帰依、文禄頃に新井姫川原に正念寺を再興、万治年間に浄興寺塔頭となる。猪苗代分隊士分手代木勝吉、小浅岩雄、同侍分津川三津三郎、伊与田久吉、目付一瀬甚三郎、諏訪数馬、侍目付士分平野九郎左衛門、佐藤順吾、同附人町野傳次郎、他
39、多珂山正光寺(寺町2-6-10)始め日立多珂に建立され、文永4年(1267)、浄興寺と共に長野長沼に移る。兵火により焼失後新井三木本から文禄2年(1593)、春日山城下に移り、浄興寺塔頭となる。寄合組備之内、鈴木多門、樋口丈助、南摩八之丞、野村監三郎、他
40、井上山玄興寺(寺町2-6-10)もともと浄興寺の家令を務める。慶長年間に建立、寛文5年の地震後、現在地で浄興寺塔頭となる。猪苗代隊士分佐藤織之進、小川甚蔵、池上源七郎、同侍分竹田忠三郎、同足軽分渡辺善三郎。小田切八蔵、他
41、村井山浄正寺(寺町2-6-10)北面の武士、善西が長野筑摩村井に建立、永禄年間に浄興寺に従い新井三俣に移り、慶長3年(1598)、春日山城下に移り浄興寺塔頭となる。白虎隊望月分隊士分望月辰太郎、原四郎八、同侍分沢野豊助、岩田栄次郎、上田栄治、玄武寄合組中隊頭三宅忠三郎、他
42、春峰山西光寺(寺町2-6-10)法珍が文禄年間に柏崎に建立したのが始まり。寛永年間に浄興寺塔頭となる。猪苗代分隊士分一瀬一馬、田口友左衛門、吉田五郎、同侍分野崎新兵衛、野本廣吉、他
43、歓喜踊跳山浄興寺(寺町2-6-45)建保2年(1214)常陸笠間に草庵を親鸞が開創したのが始まり。信濃をへて上杉謙信の招きで越後に移る。境内に親鸞の頂骨を祀る本廟がある。白虎隊分隊荒木粂吉、林新八、樋口八太郎、浅井鉄平、寄合組梶原分隊士分大竹栄吾、太田健治、同隊小沼武之助、穴沢林之助、笹原金次郎、他
44、昇道山善福寺(寺町2-6-45)慶長3年(1598)、順理により福島城下善光寺町に再興され、寛永13年(1636)に浄興寺塔頭となり、寛文5年(1665)、に浄興寺と共に現在地に移る。寄合組梶原分隊士分梶原政之助、山口孫四郎、同侍分秋山文助、山口新吾、横山鉄女、他
45、龍興山宗恩寺(寺町3-3-6)寛永2年(1623)、春日山林泉寺玄室膺頓により創建、もとは春日の林泉寺の隠居寺。別撰組分隊士分小池清次郎、永井小次郎、渡部傳蔵、一柳徳馬、他
26、守栄山善行寺、27、吉祥山日朝寺、28、法光山長遠寺、
29、念妙寺(移転先)、30、紫雲山引接院来迎寺、31、青龍山常栄寺、
32、迦宝山光樹寺、得願寺、法顕寺、33、終南山悟真院善導寺