高橋まゆみ・創作人形「まゆみの気まぐれ日記」

農道をかっぽして歩く笑顔のおじいちゃん。姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃん。やさしさはいつもそばにいた。

千の風になって

2006-08-31 09:29:09 | まゆみのつぶやき室
29日、鳥取県、米子市に向け早朝旅立った。
新幹線、あさまに乗りホットコーヒーをすする。ビニールの大きなバックから同乗してきた数冊の本の中の一冊を取り出す。
前日、御茶屋の伊藤さんから送られてきたものだ。
え?写真集・・・と思いきや一つの詩が写真の中で言葉を落とす。
「千の風になって」だった。

    私のお墓の前で   泣かないでください
   そこに私はいません  眠ってなんかいません
      千の風に  千の風になって
    あの大きな空を吹きわたっています

    秋には光になって  畑にふりそそぐ
   冬はダイヤのように  きらめく雪になる
   朝は鳥になって    あなたを目覚めさせる
    夜は星になって   あなたを見守る

    私のお墓の前で   泣かないでください
   そこに私はいません  死んでなんかいません
      千の風に  千の風になって
    あの大きな空を   吹きわたっています

      千の風に  千の風になって
    あの  大きな空を 吹きわたっています

    あの  大きな空を 吹きわたっています

言葉の一つ一つを噛み砕くように、読み返した。
何て、すごい詩なんだろう・・・
作者不明と言うこの詩は、新井満さんが掘り起こし本にしたものだが、その中にこんな一説がある。
「その詩は{生者}ではなく{死者}が書いた詩だったからだ。追悼文とはその名の通り、後に残された人々が死者を偲んでつずる・・・天国へ送る手紙・・・であろう。ところがこの詩は、死者が天国で書いて・・・天国から送り届けてきた返事・・・とも言うべき内容なのである。

この詩を今回ブログで書いたのは人形展で出会った人の、さまざまな断ち切れない想いを抱えて生きている人の多い事を実感したからだ。
新井さんは、こうも書いている
《私はたしかに死にました。けれど、人間以外のいのちに生まれ変わって、今もしっかりと生きているんです。だから心配しないで下さい。私のお墓の前でそんなに嘆き悲しまないで下さい・・・》作者はそういう詩を書いたのだ。と

まさしく、作者不明のこの詩は、風が届けてくれた天国からの手紙に違いない。

結果報告

2006-08-26 20:15:29 | まゆみのつぶやき室
24時間テレビの信濃の国ダンスコンテスト行ってきましたよぉ~。

結果からいいますと、準優勝でした。
予選は三組のグループで争ったのですが、どうも「三組しか応募が無かったのでは」といううわさも。
その中の準優勝でした。

やはり、緊張と長時間の疲れから、失敗もしましたが、前の二組は多人数で小さな子供が目一杯頑張って踊っている。
それに比べたら、おばさん達の信濃の国は頑張ったけど本番に弱かった。
でも、何でも目標を持って頑張る事は悪くない。
正直この数日、寝てもさめても頭の中を信濃の国の歌が踊っていた。
優勝したところしかテレビには出られないのだが、明日の夕方6時頃らしい。

優勝した子供らの勇士をテレビから応援しようと思います。

あの、かわいらしい子供にはやはり勝てないね!

でも、ほっとしています。

格好から入る私達は朝から順番に美容院でセット。
何となく1日つぶれてしまった。

来年はもうすこし、見てくれた人を虜にさせるような踊りをしたいものだ!
がんばった、自分におつかれさん。

24時間テレビ予選

2006-08-24 08:54:35 | まゆみのつぶやき室
以前、ストレッチ体操の発表会の事を書いたが、その時私達のグループの前に軽やかに踊るグループがいた。
8人で構成されたこのグループは、エアロビクスのグループで県歌「信濃の国」をダンスバージョンで踊っていた。
目が点になった。
人形展で北海道に行った時、実物ではないがテレビで「よさこい祭」のコンテストをやっていて、そのすばらしさに鳥肌がたったものだ。その時の感動がよみがえった。
こんなふうに、仲間に入って踊れたらいいな!おばさんは思いました。
しかし、翌々目を凝らして見れば、そう若い人ばかりでもない。
長女23歳と同級生だった子の母親も踊っている。
ひょっとしたら、ひょっとするかも。「私にもできるかなぁ~?」とその母親に尋ねる。「やろう!一緒にやろう!」と簡単に言う。
いつからか、やりたい事は我慢しないでやろう・・・と言う人間になっていた。
週一、一時間ばかりのエアロビはストレッチとは違い有酸素運動なので、タオルが湿るくらい汗をかく。かいた後の何とも気持ちのいい事か。
シャワーの後のビールがうまい。
しかし、ここに来て先生が「24時間テレビで踊ろう」という。
完璧に踊れるみんなの足を引っ張る私。リズムに着いていけない。体が重い。腹がじゃま・・・あ~あ、ほんとに出るのかよ。
しかし、先生は出られない・・・と言う事でその人数合わせで何とか頑張らねば。
24時間テレビに出演が決まったわけではない。
26日の予選次第だ。
秋にやる「信濃の国」踊りではいつも優勝している子供もいるグループも予選に出ると言う事なので、難しいと思うが、とにかく決まった以上、かっこよく踊るよりも、間違えないで、皆に遅れないで、足を引っ張らないように気をつけよう。

同窓会

2006-08-17 08:38:56 | まゆみのつぶやき室
14日、猛暑のお盆に35年ぶりの同窓会がひらかれた。
れんげ畑に囲まれた三陽中学の同窓会だ。れんげ草は「踏まれても、踏まれても、また立ち上がる」という強い花でもある為、文化祭の名前もれんげ祭と呼ばれていた。
35年ぶりの同窓生はどんなだろう?
きっと、皆おじさん、おばさんになっていて、解らない人も多いだろう。
ちょっとばかり、怖い物見たさ・・・いやいや懐かしさを抱きながら会場に向かった。
皆が来る人来る人に注目しキョロキョロしていた。
今回は同窓会なので、全クラス。
一クラス40人くらいで6クラスあったので、全員が揃えば200人を超える。
しかし、長い年月の中で他界した人、病気療養中の人、仕事や家の都合で家を開けられない人などがいて、集まったのは100人前後であったと思う。
それでも、あの頃、若々しくて、カッコよかった担任のイングリッシュティーチャーにも逢え、懐かしさの花が咲く。
ものの5分もしないうち、いいおじさん、おばさんが、何々ちゃん、何々君、とあの頃のまま呼び合い、出された料理にもほとんど手を出さず、思い出話で盛り上がった。
中学の頃は部活が盛んで、吹奏楽部でクラリネットを吹いていた私。
コンクールに向けて、先生とぶつかり合いながら、練習に励んだあの頃。

今はあの頃の一途さが無くて寂しい・・・という締めくくりになってしまったが、
目標に向かって励む楽しさを教えてくれたのもあの頃である。

恋愛話でも盛り上がった。
誰々と、誰々ちゃんが・・・だったよねぇ~。と何とそういう話の記憶力の恐ろしい事か。良く覚えている物だ。
しかし、意外と同窓生同士のカップルも多く、クラスに一組くらいは結婚していた。
時はあっという間に流れたが、その後二次会、三次会とクラスに別れ想いで話の会は続いた。
最後は人数も一桁になってしまったが、落語家になった古琴亭菊千代さんと、今の仕事の話などもし、尽きない話に区切りをつけた。

気心知れた、幼なじみのような仲間と話す事の安心感。楽しさ。
是非是非、また計画してくださいね!


じゃがいも

2006-08-12 11:35:02 | まゆみのつぶやき室
春にじゃがいもの花を摘んだが、お盆はこのジャガイモの収穫の時期でもある。
12日、朝からどんよりしている。しかし雨はない。
「さぁ~!今のうちだ」
日中の光ギンギンのあの暑さの中では、とても芋堀りをする気分になれない。
と言う事で、子供抜き大人4人の作業が始まった。
おじいちゃん達が大きなフォークみたいな道具で土を掘る。
そして私達が根についた大小さまざまなジャガイモをほどき米袋に入れる。

我が家はキタアカリという品種の、中が黄色い甘いジャガイモだ。
何時間か黙々と作業をこなす。
いつものごとく、おばあちゃんが、スイカを一つ抱えてきて「ちょっと、一服しようと言う」
曇り空であってもやはり夏。
汗は、次から次から滴り落ちる。
畑の隅に腰掛け、包丁なんてない。鎌でスイカを二つ割り。
鎌には泥もついているが、そんな事は気にしない。
皆で、手で小分けにし、おいしい所だけ頬ばる
残ったスイカは手を洗う。スイカって、べたべたせず、さっぱりしますよ!
そんな光景をもう何度も見てきたが、さすがに会社員の家に育った私は最初カルチャーショックだった。
スイカで手を洗うなんて、なんて贅沢。もったいない。
でもそれが出来るのも、自給自足の強みだろうか。
農作業は大変な仕事だが、それを跳ね返すような幸せがある。

そんな事も教えてもらいながら、これから、もう少し百姓になろうかな。

今、家では親指ほどの、小芋を甘辛く煮付けていまぁ~す。
おいしいんだな!これが。

金沢での人形展

2006-08-05 10:47:56 | まゆみのつぶやき室
8月3日から金沢大和さんで作品展が始まった。2日準備の為、直江津まで車で行き北陸線で金沢に向かった。いつものごとく、前日準備日、そして初日サイン会をして帰るパタ~ンだが、今回の二日間は中身の濃いものであった。

最近準備も手馴れてきて早く終わり、夕食までの空き時間ぶらぶらしていた。
メルサ?だったかな。大きなショッピングプラザがあったので入った。2階3階と上がると、何と俳優の榎木孝明さんの絵画展をやっていた。
榎木さんは取材ではあったが、我が家に来てくれたことが有り、それがご縁で舞台のおり、楽屋にお邪魔した事もある。本人とは行き違いになってしまったが、あの繊細で自然体の絵に久しぶりにふれた。

その後松任の時にもお世話になった、北陸朝陽放送の方に金沢らしい小料理屋で食事をご馳走になった。
金沢って、特に食べ物やさんの建物が情緒があっていい。
どこも、みんなおいしそうに見えてくる。

翌日、東京から7時間かけて、夜行バスで御茶屋の知恵子さんが着いた。
12階に上がり朝食をとった。何でも千恵子さんの実家は三味線やで、その時の修行に来ていた方が金沢にいるということで出向いたようでもある。その後、オープン前に少しでも時間があれば何でも見たい私は、疲れている知恵子さんを引っ張って市場に出かけた。
山国の私はもうお魚を見ると、舞い上がってしまう。

ほとんど、同じようなお魚だったが、店が多すぎて、何処で買ったらいいか解らない。その時だった。
「高橋さぁ~ん」「こっち!こっち!」プロデューサーがいた。
店選び、買い方・・・は間違いなし・・・と意気込む畑田氏に連れられ一軒の店の前に立つ。
どちらかというと、卸のような箱のままストン、ストンと活きのいい魚が入った箱が並ぶ店であった。
畑田氏は「もう、いくらでお願い」と言う買い方がいいというので、時間もないことだし同じような買い方をした。
多分、違っているのは「送料、消費税込み込みでね!ついでにおまけもつけてね」とおばさんしている所であろうか。
そんな事で、しっかり今回はお土産をゲットし、会場に入った。

夏休みのせいか、親子連れが多く、子供がピョンピョン跳ねながら楽しそうに見ているのが印象的だった。
二度のサイン会を終え、約束していた中川さんに連れられ、民家の食事所でゆったりとした会食をした。
私の前には庵主さまが微笑む。隣には輪島から来てくれた漆職人のご主人の奥様、高名さん、私の隣にはこうしたご縁に涙する知恵子さん、心尽くしのもてなしをしてくれた中川さん。目も味も最高の金沢の風情を味わいながら人から人へのつながりをかみしめていた。

その後、なで肩の知恵子さんがたくさんの荷物にひっぱられながら、私もパンパンに膨らんだバックに引きずられ、下りの新幹線に乗った。

しあわせな金沢の旅でした。
                 合掌

エレベーター

2006-08-01 22:42:33 | まゆみのつぶやき室
女性には嬉しいバーゲンセールの時期である。

バーゲンには目が無い私も早速デパートに出かけた。
3~5割引の正札に、ついついあれもこれもと手にしてしまう。

しかし、迷い戸惑いながら買ったのは3割引、4900円の白のTシャツ一枚であった。今まで、どちらかと言うと人形でもおなじみの古布が好きで、古布で洋服を仕立てている人から譲ってもらい、着る事が多い。
しかしある時、そんな私を見て友達が言った。「まゆみさん、そういう服着て、麦わら帽子かぶって、くわでも背中に背負ってごらん。何処から見ても、その辺にいるお百姓さんに見えるよ」・・・ガ・ガ~ン!!!顔こそ、苦笑いであったが、かなりショックであった。
しかしだ。良く良く鏡の前でファッションショーをやってみて見ると、いらない肉も加担して、友達が言ったようにも見える。
そんな事で、バーゲンでゲットしたTシャツを持ってエレベーターに向かった。
ドアが開いたので、一番先に乗りボタンの前に立つ。後から続いて連れのご夫人が二人乗り込む。その時、一番最後に乗った70~80代のご婦人がエレベーターのドアにぶつかってしまった。勿論間の安全装置で何事も無かったが、その時であった。もう一人の女性が「ボタンを押せば、締まるでしょ!」といかにも怪訝そうに私を犯人扱いした。そして「押してませんよ!だから聞いてからボタンを押したんでしょ・・・自然にしまったんです」と返した。
しかし、ぶつかったご婦人を見たら、ニコニコ穏やかそうな人だった。

一瞬、気分悪い思いもしたが、エレベーターによって、早く締まるものもある。
ドアの近くにいたら、ドアを持ってあげる事を忘れてはいけないと思った。

もう、30年近く寝たきりの母の残してくれた言葉
「自分が嫌だと思う事をする人は、自分を成長させてくれる神様なんだよ」と

お母さん、まだまだ駄目だわ!私。