29日、鳥取県、米子市に向け早朝旅立った。
新幹線、あさまに乗りホットコーヒーをすする。ビニールの大きなバックから同乗してきた数冊の本の中の一冊を取り出す。
前日、御茶屋の伊藤さんから送られてきたものだ。
え?写真集・・・と思いきや一つの詩が写真の中で言葉を落とす。
「千の風になって」だった。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの 大きな空を 吹きわたっています
あの 大きな空を 吹きわたっています
言葉の一つ一つを噛み砕くように、読み返した。
何て、すごい詩なんだろう・・・
作者不明と言うこの詩は、新井満さんが掘り起こし本にしたものだが、その中にこんな一説がある。
「その詩は{生者}ではなく{死者}が書いた詩だったからだ。追悼文とはその名の通り、後に残された人々が死者を偲んでつずる・・・天国へ送る手紙・・・であろう。ところがこの詩は、死者が天国で書いて・・・天国から送り届けてきた返事・・・とも言うべき内容なのである。
この詩を今回ブログで書いたのは人形展で出会った人の、さまざまな断ち切れない想いを抱えて生きている人の多い事を実感したからだ。
新井さんは、こうも書いている
《私はたしかに死にました。けれど、人間以外のいのちに生まれ変わって、今もしっかりと生きているんです。だから心配しないで下さい。私のお墓の前でそんなに嘆き悲しまないで下さい・・・》作者はそういう詩を書いたのだ。と
まさしく、作者不明のこの詩は、風が届けてくれた天国からの手紙に違いない。
新幹線、あさまに乗りホットコーヒーをすする。ビニールの大きなバックから同乗してきた数冊の本の中の一冊を取り出す。
前日、御茶屋の伊藤さんから送られてきたものだ。
え?写真集・・・と思いきや一つの詩が写真の中で言葉を落とす。
「千の風になって」だった。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの 大きな空を 吹きわたっています
あの 大きな空を 吹きわたっています
言葉の一つ一つを噛み砕くように、読み返した。
何て、すごい詩なんだろう・・・
作者不明と言うこの詩は、新井満さんが掘り起こし本にしたものだが、その中にこんな一説がある。
「その詩は{生者}ではなく{死者}が書いた詩だったからだ。追悼文とはその名の通り、後に残された人々が死者を偲んでつずる・・・天国へ送る手紙・・・であろう。ところがこの詩は、死者が天国で書いて・・・天国から送り届けてきた返事・・・とも言うべき内容なのである。
この詩を今回ブログで書いたのは人形展で出会った人の、さまざまな断ち切れない想いを抱えて生きている人の多い事を実感したからだ。
新井さんは、こうも書いている
《私はたしかに死にました。けれど、人間以外のいのちに生まれ変わって、今もしっかりと生きているんです。だから心配しないで下さい。私のお墓の前でそんなに嘆き悲しまないで下さい・・・》作者はそういう詩を書いたのだ。と
まさしく、作者不明のこの詩は、風が届けてくれた天国からの手紙に違いない。