高橋まゆみ・創作人形「まゆみの気まぐれ日記」

農道をかっぽして歩く笑顔のおじいちゃん。姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃん。やさしさはいつもそばにいた。

6月の風

2014-06-08 10:39:06 | まゆみのつぶやき室
6月に入り、うだるような夏日が続いていたと思うが、今、雨が止んで、さわやかな風が仕事部屋に入って来ています。

娘のお産があったり、カレンダー用の撮影に立ち会ったり、トーク日があったり・・・・気忙しい日々が続く。

今回、4人目の孫となるが、初めての女の子。名前は「華音(かのん)」と付けるようだ。今どきの名前だが、ノンと呼ぶことにした。

娘とは小さい頃から、そりが合わず、良く衝突した。
きっと性格が良く似た親子だからと、私の大人げなさが問題だったと今さらだが、反省する。

子育ては親育てとも言うが、あまり家に帰って来なかった、娘が里帰りして、買い物に出たり、ご飯を食べたり、そんな中で子供の頃言えなかった不満だったり、さみしさを、自然と話せるようになっていた。

時がそうさせたのか

お互い子を持つ親になり、相手の気持ちを思いやれるようになったのか

色んな親子がいる中で、誰もが少なからず、そんな思いを持っているのではないかと思う。

最近手にした本の中でこんな言葉に出会った。

「曇りのない目で 相手と向き合う」

好き嫌いを決めてしまうからこそ、その思い込みにとらわれ、偏った見方しかできなくなる
先入観を持たずに相手の「あるがまま」を認めれば、好き嫌いなど無くなってしまう。

自分がかけている色眼鏡を外し、曇りのない目で相手を見れば、それまでは気付かなかったその人の人間性そのものが見えてくるはずです。

とわいえ、相手の態度や言葉の発っし方がどうしても受け入れられない、その時は「自分はああいう振る舞いをしてはいけない」と自分を戒めればいい。
その人がいたからこそ、自分は大切な事に気づけた。

枡野俊明さんの言葉だが、さすが仏の場に身を置く人の教えでもあると思った。

避けては通れない人間関係の中で、時々「はっ!」とした、もやもやを振り払ってくれるような言葉に出会う事があるが、今の自分にはピッタリの言葉でもあった。

最後にこんな事も書かれている

相手が初めて会う人であっても、身近な人であっても、「一期一会」の心で向き合う。
それは、あるがままの自分を大切にすることでもあるはず。
そういう気持ちで人と接する中で、かけがえのない出会いが生まれ、心から信頼し合える関係を気づくことができる・・・・・・と。


以前、二人連れの70歳くらいのご婦人と人形館で出会ったことがある。
結婚して初めての住まいの近所同士で、離れてもなお付き合いが続いて50年近くになると言う。
今はお互い一人になったけど、こうして一緒に旅が出来るの。……と静かに語っていた。


この言葉のように、お互い相手の好きな所も嫌いなところも見つめて、歩んで来たのだろう。

「あるがまま」を認めながら