高橋まゆみ・創作人形「まゆみの気まぐれ日記」

農道をかっぽして歩く笑顔のおじいちゃん。姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃん。やさしさはいつもそばにいた。

真っ赤なだるま

2006-11-30 22:57:21 | まゆみのつぶやき室
幼き頃、父親が帰って来てこんなことを言った。
「まゆみ、これに絵を書いてくれ!」
白い画用紙を突き出した。

いつもお酒を飲んでは、母にからんで、正気と酔っ払いと、全く違う父がいた家での事だ。

父のお願いなんて初めてだったから、私は何か嬉しくてその白い画用紙に向かった。その絵は、会社で役員をしていた父が、会社の運動会があり、その宣伝ポスターを書け・・・というものだった。私が小学校4,5年だっただろうか。

私は一目散で色鉛筆を広げ、書いた。
真っ赤なだるまに、手と足をつけて、一生懸命かけっこをしている絵を書いた。
父は何も言わず、会社に持って行った。
その日、帰ってきた父は上機嫌だった。
「まゆみ、みんなにひょうばんだったよ!」と
きっと、絵心にはほど遠い会社員にも、屈託の無い、思い切った絵が受け入れられたのだろう。

今の私の人形の原点はどう考えても、その時の父の喜んだ顔が原点になっていると思っている。

そんな父{栄二}の兄{栄一}の他界の知らせが入った。
今日、30日、葬儀に出向いた。
仏壇に飾られた栄一おじさんは、父にそっくりな笑顔で祭られていた。
おじさんとは、あまり行き来もせず、小さい頃に逢った記憶だけであるが、おじさん以外でも、疎遠になっているおばさん達と会いたかった。
トラックの運転手をしていた父は私をそのトラックに乗せては、親戚の家に行き、泊まり歩いていた。
子供だった頃の私を、おばさん達は忘れず、懐かしく手を握って喜んでくれた。83歳で他界したおじさんによって、引き合わせてくれた再びめぐり合えた親戚の縁だ。おじさんの葬儀の最後の挨拶で、孫とおばあさんが前に立った。二人手を握り締めている。孫の竜太郎君は言う。『父と僕と、この姓をしっかり守って行きます』と。おばあさんは再婚なので血のつながりは無い孫だが、その光景は、暖かい思いやりだけが残った。

あの時書いた、だるまの絵、何処かに行ってしまったけれど、これは前にも書いたかな・・・
それでも書きたい思い出のひとこまです。

月めくりかれんだー

2006-11-28 17:02:00 | まゆみのつぶやき室
肌寒い、朝もやの空気を歩く。
落ち葉を踏みしめ、取り残された野菜畑を背にし、腕をぐるぐるさせながら、坂を上る。朝一番の新鮮な空気を体に巡らせながら、小高い山の池に着く。遠くにもう釣り人がいる。そこに設置された物見の塔に両手をついて、アキレス腱や腰骨を伸ばす。池ではカモたちが水辺に白い線を引いている。以前、子供の成長記念にと植樹した桜の木を探し、池の周りをぐるりと一回り。満開で春を告げた桜の花も、静かに冬の訪れを待っているかのようだ。そして、また一歩二歩、家路へと坂を下る。

ここ5日ほど続けている私のウォーキングでの光景だ。

何故、今の時期?・・・と思うかもしれないが、都会と違い、田舎を歩くというのは人目につくのだ。この辺のお百姓さんは朝飯前に『一稼ぎ』するので、早朝から軽トラックが飛び交う。しかも、ほとんどご近所さんなので、「なんで歩いてるの?」と無い理由を聞かれたり、時には「ねえさん、稼ぐでナァ~」なんて冷やかしもある。なので小心者の私は誰も居ない、今が最高の穴場だ。

しかし、そんな事をいいつつ、昨日も小雨が降っていてネガティブな私は「今日は雨に免じて止めた」となるが、いや、もったいない『やっぱ、歩こう!』というポジティブな自分も居て、今日のような光景が見れるのだ。

さて、そんな日々だが、月めくりカレンダーが後一枚になった。

現在、開催中の埼玉県入間市博物館では連日多くの人が見えて、2万人程になったようだ。すごい!皆さん本当にありがとう。この嬉しい悲鳴を引きずって、今年最後となる、長岡市図書館での作品展が、12月5日から1月8日まで開催される。
5日は準備日だが、6日には、アンビリーバボーでも紹介された陽信孝さん{八重子のハミング}の講演も開かれる。{ハンカチ、忘れないで
今回、この長岡は、ずっと見たいと待ち望んでくれていた男女共同参画の方々の協力で開催される。
山古志村の方々との交流もある・・・とか聞いていますが、まだ日程は知らされていませんが、前々から、密に連絡を取り合い、最近は期待がエネルギーに変わってすごいやる気満々。と聞いた日には、私も
ますんで宜しくお願い致します。


木村さやこさん

2006-11-23 10:00:19 | まゆみのつぶやき室
千曲川ハイウェイミュージアム

北斎館や栗菓子などで知られている小布施町。長野自動車道、中野市インターより小し手前の小布施ハイウェイパーキング内にある施設で、前に書いた《人形のルーツ》でも紹介した木村さやこ、つる吉、ちえこの三人展が3月まで開かれている。
早速、初日の昨日、仲間のすみえちゃんと見に行った。
広い庭、赤く染まった落ち葉に秋の日がふりそそぐ。

八代あきや鶴太朗さんなども開催した事のあるその会場は、北信濃の厳しい風雪に耐えた年期も感じられたが、一階、二階とゆったりと鑑賞できる空間となっている。
木村さんとは、もう何十年来のお付き合いであるが、人に対してオブラートに包んだような物言いはしない人である。時にはドキ!っとするような事をずばずば言うが、後に残らない。そこが彼女とずっと友達で居られる所だろうか。
そんな彼女の人形は私とは180度ちがって、同じおじいさん、おばあさんが多いが洋物である。

今回は、魔法使いや、魔女といった架空のものがほとんどだが、メルヘンチックとか、かわいいものとは掛け離れている。妖艶、リアルといった、洋館などに置いたら、何年もそこに居座っている住人のような。そんな人形達だ。

昔から、一切人の物を参考にしたりとか、基礎を学ぼうとかせず、自分の感性そのままに、物作りに対する自由さの追求をしてきた人だ。
「何年か前、新宿の高層ビルの下で一人のホームレスとすれちがった。一瞬、「ンッ!」と思った。何枚も着ている薄汚れたボロボロのシャツがやけにかっこよかった。深々とかぶった穴の開いた帽子も様になっていた。思わずもう一度振り返った。どうやら私の心は、なぜか自由で何にもとらわれない生き方にどこかあこがれがあるらしい」と最近のコメントにある。

私も彼女からたくさんの刺激をもらってきた。
そして、落ち込んだり、迷ったりしている時もお互い助け合ってきている。

今はパートを続けながらの創作だが、貴方のその感性は今まで出合った事の無いすばらしいものがある。



入間市博物館、そして納豆カレ~!

2006-11-21 08:11:16 | まゆみのつぶやき室
18日、19日は二度目となる開催中の入間市博物館に出向いた。
新聞記者からなったという、話好きな館長さん。祈りが一番好きと言っていたのに、ごぜ・・・の人形を飾ったら、「こっちがいい」と言い出した小倉さん。ブログを見て、「入間・・ではなく、入間市博物館」と訂正を・・・とチェックされた、津久井さん。美術館の皆さん、お手伝いのスタッフのみなさん、みんないい顔で関わってくれたおかげで、今回の成果が出たのだと思います。本当にありがとう。

正直、いくらプロデューサーの地元でも、駅から離れているし、わざわざそれを目的に見に来てもらうのだから、どうかな?と思っていました。
しかし、しかし驚いたのは、二度目、三度目と言う人の多いこと。大宮で見た!横浜で!東京で!と他の会場で見ていた方も多かった。
そして「あの人形無かったよね!」と照らし合わせ、やはり作り続ける事の大切さをあらためて感じた。
人形の旅はこれからも続くが、何度も逢いに来てくれる人達の為にも、新たな創作意欲がわいてきます。

そんな入間から帰り、冬に近づき、肌寒さが身に沁みる今日この頃。
冬の間の必需品、たくあん漬け、野沢菜漬けはおばあちゃんの手によって終わっていた。樽いっぱいに漬けられる漬物は最終的には色もあめ色に変わり、酸っぱくなってしまうのだが、田舎の人は無駄にしない。塩出しをして、油いためや、おかかをまぶして、最後までいただく。
前にスキー客が野沢温泉の皿一杯に出してくれる野沢菜が食べたくて、ここに来る・・・と言う言葉を聞いた事がある。
まさしく、漬物は文化。私も何処で食事をしても漬物が欲しいタイプだ。

そんな漬物好きな私だが、ずっとはまっている物がある。
そう納豆カレ~が大好き。

今でこそ、メニュ~に入っている店も多いと思うが、長野の山小屋と言う店で初めて納豆カレ~を食してから、ハマっている。30年以上になる。
納豆が好きなのもあるが、正直カレ~があって、納豆を切らしていたら、買ってきてでも乗っけるタイプ!
うまいよぉ~
皆さんもやってみて!

成沢未来さん

2006-11-17 09:25:16 | まゆみのつぶやき室
私が原稿用紙に向かうことは「生きる」ということです。何かを書き続けることは、両親に対する私のお礼です。ただ不自由なだけでは両親がかわいそう過ぎます。大きな意味はありませんが、今日の創作はこうして続けています。

自分自身に負けていつも泣いていたころ、私を励まし叱り付け、包み込んでくださいました両親を始め、いち早く私を拾い上げて下さり文学の本質を説かれた中嶋雅子先生。先生と共にこの喜びを分かち合いたいと思います。「先生オレあまり時間がないけれど、ここまで来る事ができました。本当にありがとうございました」
出版を機に後押し下さいました桜井左七先生。特に今日平和学の扉をお示し下さいましたこと、私の進むべき道を見極めた思いです。
これからも、原稿用紙に向かってまいります。そして何より尊い「いのち」を描き続けることをお約束いたします。両親が名付けた「未来、自由、希望」は私たち兄弟のテーマでもあります。

抑圧され、虐げられ、蔑まれる。あるいは優位に立つ。人は格差の中に安堵を求めた戦いの歴史の果てに今の平和があるなら、私たちは力を合わせ、命ある限りペンを握っていきます。それが、かの日ペンを置いて旅たたれた、無念の学徒兵に報いることだと思いました。

父ちゃんの言っていた、「ひとつのことを長く続けろ。結果は必ず付いて来る。」は本当でした。
母ちゃんの涙で育てた、ひ弱な未来も二十歳を迎えました。ありがとうございます。自由、希望ありがとう。


これは、先日、地元新聞の新毎選奨を受賞した時の成沢未来さんのその時の挨拶文だ。先月までパネル展でお世話になった、小布施の桜井甘精堂の社長、左七さんが送ってくれたものを書かせていただいた。
以前、何か印刷物でこういう方がいるんだ!と言う事は知っていたが、この挨拶文を読んだときに、目の前でご両親が涙ぐんでいる姿が目に浮かんだ。

成沢さんは今年二十歳になる男性だが、先天性脊髄髄膜瘤で脊髄の一部が欠損し、水頭症も併発した。小学校までに10回以上、体にメスを入れたが、下半身にまひが残った。
自身の障害や内面を見つめ、家族や周りの人への思いをつづったみずみずしい文章は、小学生の時から文芸コンクールで受賞を重ね、高校2年では全日本短歌大会で文部科学大臣奨励賞を受賞。そして今大学では平和学を学んでいるそうだ。
生まれた時、10歳まで命があるかどうか、と言われた。《一日も長く生きて》と母が名付けた「未来」の名のまま20歳の今を生きる。と紹介文で記されている。

じんわりと、心に入ってくる感動的な言葉だが、子供達がたった一つしかない命を自らたってしまうと言うニュースが流れる度思うのは、「もったいない」と言う事だ。こんなにもたくさんの可能性があるのに。夢や、希望を捨てて欲しくない。
「いじめ」は昔からあるし、大人の世界だって、たくさんある。
だけど、ずっとそこで止まっている訳じゃない。状況は変わって行くし、変える事も出来るのだから、逃げないで・・・!


ブログ

2006-11-14 19:21:07 | まゆみのつぶやき室
ブログっておもしろいね!
全国の知らない人と話が出来るんだもの。
まだまだ、パソコンを使いこなせ無い私。昨日、HPを管理していてくれる管理人さん{渡辺さん}が来てくれたので、ブログに写真を取り込む方法を教えてもらった。携帯の写メールからは、何とか行けそうだが、デジカメからは、なれるまで、迷子になりそう。
そのうち待っててくださいよ、バァ~ンと写真入りで気まぐれ日記書きますんで。

と言う事ですが、このブログに変えてから、前に良くメッセージをくれていた人たちから、全然来なくなってしまって、寂しく思います。

私もまだ、初心者なので、ここでブログへのメッセージ方法を書きます。
こういうメッセージを読んでいただいた後に、小さく下に{comment}と書いてあるところをクリックすると、頂いたメッセージが出てきます。それをスクロールして下まで来ると、名前、URL,本文など書き込むところがありますが、名前{ペンネームでOK!}とメッセージだけ書いて投稿すれば、もう届くのです。

URLアドレスを入れるの面倒だよね、でもそれは結構ですので、メッセージくださいね。
私も返事をなるべく出そうと思っています。

今週、また入間博物館に18日、19日伺います。
とても、交通の便がいいとは言えないところみたいですが、口コミでたくさんの人が見に来てくれて、本当にありがとう。
中には10回以上も逢いに来てくれる人もいたみたいですね。

新しい作品を入れ替えて、まだ見ていない作品にまた逢いに来ていただけたら、幸せです。でした。

葉物がい~っぱい!

2006-11-10 10:01:45 | まゆみのつぶやき室
今、我が家の裏庭には、沢山の野菜がなっている。春菊、ほうれん草、水菜、長ネギなど。もう一つ、長峰といって、小高い運動公園にも畑があり、そこでは大根、野沢菜、かぶなどが取りきれないほどになっている。

百姓はほとんど年寄り任せだが、食事の支度担当の私は、幸せそのもの。

昨日も、桃のようなでっかいカブをスライスしきゅうりとにんじんで色目を良くし、即席漬けにした。はい!漬物OK
水を含んだ大根と、掘りたてのさといも、買ってあった鳥の手羽と時間をかけて煮込んだ。はい!薫物OK
後は、炬燵が恋しい季節になってきているので、きしめんより太い、ごんぶと麺があったので、豚肉と長ネギをたっぷり入れて主食の一品完成。

そして、そして、何と今しかお目にかかれない、鮭の生子があったので、塩水で解き、酒、みりん、醤油で味付けし手作りのいくら丼。
何て、贅沢、幸せなんだろう。まだ、古米が残っているので、新米は口に入らないが、自給自足の味を噛み締めています。

そんな先日、友達のかっちゃんに連れられて、自分も出品しているという灯り展を見に行く為に長野に向かった。
真っ赤に実ったりんご畑の農道を走る。
「ねえ、かっちゃん。あのりんご私に食べてくださいって呼んでるよ
男っぽいかっちゃん「いや!呼んでねぇ~から・・・」しばし無言。

「でもほらぁ~  手の届く所で食え!食え!って言ってる」
「ふざけんなぁ~!高橋まゆみりんごどろぼう・・で新聞に載っても知らねぇ~ぞ!」

そんな冗談のような、本気のような会話は続いたが、本当に、買ったものではなく、あの木になって揺れているりんごがどうして旨そうに見えるのか不思議だ。
会場に着き、創作された灯りの数々。

世の中には器用な人、アイデアマン、職人気質の人などさまざま。
暗い部屋に灯された明かりは何とも幻想的だった。
ちなみにかっちゃんの作品は和紙と流木で作られた、素朴な温かみのある作品だった。

久しぶりの芸術鑑賞の日でした。


地区文化祭

2006-11-06 08:54:26 | まゆみのつぶやき室
昨日、5日は地区文化祭の日だった。
例年のごとく、公民館には子供達の書いた絵や習字が壁に並ぶ。
また、地域の人たちの手習いの作品の数々。
そんな中、「無理です・・・」と断り続けて来たのだが、今回文化祭に関わっている我が家のおじいちゃんからの頼みでは、断る訳に行かない。しかもタイミング良く、斑尾からの人形が帰ってきている。と言う事で、地区の皆さんに見てもらおうと、5体程の人形が参加した。
そんな中・・・あれ!と思う事があった。

一人の女性が人形を並べている。
見たことがある。人形ではなく衣装が。
今は卒業したが、前に家の娘が良く底の厚い靴を履き、何とも言えないロック系の格好をして、ライブに行っていた。「これ!ナオトだよ・・・カッコいいでしょ!」何のこっちゃ???だったが、その黒い、何か破けたような、継ぎ接ぎだらけの洋服のメーカーがナオトという所の物だったらしい。
その服が人形に着せられていた。

まだ、プロではない、半プロのようなインディーズと言うバンドの追っかけさんが良くする格好で、深田恭子が「下妻物語」で来ていた、あのパラソルにお人形のような格好もそれだと言う。

人形を飾っている彼女に聞いてみた。「これ  ナオト?」「知っている人がいるんだぁ~」見たいにきょとんと目を丸くしていたが、話を聞くと、前にナオトで洋服を作っていたという。また、今はイベントや通販で人形の衣装などを作り仕事にしていると言う事だった。

珍しく出品した地区文化祭での出会い。捨てたもんじゃない。

娘が居たら、飛び上がって喜んだに違いないが残念。

こういう若い子がどんどん出て、感性を見せ付けて欲しいな!

母の背と純子ちゃん

2006-11-02 20:14:54 | まゆみのつぶやき室
斑尾フェスタ、最終日、母と娘のバトルが始まる。
「そんな、おばさんくさい服着てくの?」古布の洋服を身にまとった私。
「山に行くのに何パ~ティ~みたいなかっこして、気取ってんの?」と化粧バッチリの娘。そんなやり取りも時間の加減で見捨て、会場に向かう。
午前中から、人がたくさん来てくれる。知りあいがほとんどの会場で、会話が弾む。事務処理、片付けの包装、いらっしゃいませの挨拶・・・いつの間にか心得ていた娘。
私は今回大きな魔女を出した。どうしても思い描く魔女の帽子に手こずっていて、洋裁をしてきた娘に聞いた。「布に芯を張って、糸で引っ張ればいいんだよ・・・」あっという間の解決だった。
人形なんて興味ない・・・絶対お母さんの道には進まない・・・というものの。
母の背は利いていたかに思えた秋の日の一日でした。

そんな斑尾に久しぶりぃ~の純子ちゃんが来てくれた。
彼女は友達の友達は皆友達だ!の人で逢わなければ逢わない・・・逢えば逢う・・と言う所だろうか。彼女は、自分で花を栽培し、ドライにしリースを作り、ギャラリーや物産館などに出していた。

そんな彼女が今、手打ち蕎麦の店をやっているという。
と言っても、私と同じ、個人で開業するほど余裕は無く、市の公共施設で、主資金を募って、何人かで始めた事業だ。
ここは、二階に蕎麦道場があり、講習もしている。
《一度食べにきて!》と言う言葉に誘われ行ってみた。
好んで食べる蕎麦ではない私だが、ここには彼女が朝打った蕎麦のみである。
九割、八割、七割、とつなぎの料によって値段とかこだわりが違うようだ。
お勧めを・・・と言う私。ナァ~ンか食べなれてるって見かけだけ???

出て来た。
見かけは、オーソドックス。
純子ちゃんのお蕎麦、ゆっくり口に入れる。
鳥肌が立った。うまい!
旨いに言葉はなかった。大盛りくらいの量の蕎麦をあっという間に食ってしまった。
勿論、おいしい蕎麦だったが、本職に近い、前向きさ、真心、努力がこの蕎麦の味となったのかもしれない。
純子ちゃんは言う。
まゆみさんも追いでよおぉ~。蕎麦打ちに・・・て
私の性格知ってる?

その気になったら、迷い無く行っちゃうよぉ~
でも、家に来たお客さんに「私が打った蕎麦です」なんて出せたらいいよねぇ~。
今、その気満々です。
プロデューサーの畑田さん、人形は後にしてね!