高橋まゆみ・創作人形「まゆみの気まぐれ日記」

農道をかっぽして歩く笑顔のおじいちゃん。姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃん。やさしさはいつもそばにいた。

2006年ありがとう

2006-12-29 08:42:02 | まゆみのつぶやき室
我が家の朝は早い!

6時に目覚めると、本格的な雪降りだった。30~40センチ程積もっただろうか。目の前の山の木々にも雪の花が咲いた。
暖冬で過ごしやすいと言いながらも、やはり昨年のような豪雪はいらないが、ほどほどの雪は欲しい。

さて、ブログも今年最後かな。

ある人が言った「ブログというのは、誰にでも見られると言う意識の中で書くものだから、本来の言葉とは違う」と。
確かに、それもある。
しかし、日記とかマメに書けない私にとっては、このブログを書いてきた事で、今まで出した事が無い、想いでという引き出しを広げる事が出来た。また出会いや心に留めたい言葉など、ここに残す事でいつでも拝見できる自分の辞書・・・みたいなそんな気持ちで、まだまだ薄っぺらな辞書だけど、これからも少しずつ、持ちきれないほどの厚い物にしたいと思っています。

展示会でも、知りあいでも、本当にたくさんの人がブログを見ていてくれて、また開くのが楽しみなコメントもたくさんありがとうね!

ところで、我が家の夜も早い。
我が家は年寄りの時間帯なので、5時には夕飯作り。6時半には食べ終わっている。
遅い人はそれなりに・・・ですが。

なので、9時過ぎにでも来ようものなら、「夜分に誰だ!」になるので、
その辺よろしく早寝、早起きは健康にいいよぉ~!!!
ていうか、体質がそうなってしまった自分がいる。

ま!ともあれ、皆さん、健やかな年末を、そして良いお年を

          お祈りしております。

                          高橋まゆみ




我が家のクリスマス

2006-12-26 09:06:44 | まゆみのつぶやき室
年々クリスマスネオンや、サンタクロースが賑わいを見せる今日この頃。

暇なおじさんのコメントにもあったが、俳句の季語に一番最初に使われたのが、この『クリスマス』なのだそうだ。
未来君の返事では正岡子規や寒山落木もその季語を使って「八人の子供 むつまじ クリスマス」と詠んだそうだ。
いやぁ~  知りませんでした。一つ賢くなりました。

と言う事で、ちょっぴり、我が家のサンタさんの事を書こう。

私が小さい頃は、サンタさんにおねだりは出来なかった。それでも朝、枕元に置かれた、チョコやキャラメルがぎっしり詰まったクリスマスブーツがあると、嬉しくて、嬉しくて大事に食べた物だ。

しかし、子供が産まれいざ自分達がサンタさんになる番になって疑問が・・・
子供達が物心つくやいなや、おじいちゃん、おばあちゃんは『何、クリスマスに欲しいんだ?』と聞く。
その日が来ると子供を連れ、おもちゃ屋に直行。
いつの間にか、子供達にとって、サンタさんは居ない存在であった。

しかし、孫の喜ぶ顔見たさに、年寄り達も子供みたいにはしゃぐ姿を見ていると、どことなくかわいらしく、否定してはいけない気がした。

旦那は言う「コツコツ生活の為に働いてきて、やっと自分で使えるお金の余裕が出来たからじゃないのかな」と。

私の中では、自然とわかるサンタさんの存在を、夢見させたい思いはくすぶっていたが、そんなこんなであきらめる事となった。

クリスマスが開けると、一気にお正月ムードになり、いよいよ年の瀬だ。
普段、マメに掃除をする方ではないので、今日から少しずつ気になる所からやろうかな。

ご近所さんは猫が好き

2006-12-22 08:46:40 | まゆみのつぶやき室
今年は暖冬なのかな?先日10センチ程、雪が積もった時の我が家の大根。
もったいないでしょう?取り残されています。
でも、我が家だけではなく、ほとんど何処の畑でも全部取りきる事は無く、しっかり保存食用にも確保されて、これなのだ。

そんな信州の田舎に嫁いで25年目の年の瀬を迎えようとしている。
嫁いだ頃、まずビックリしたのは、動物が野放し。

農道を車で通っていると、にわとりが道をふさぐ。のんきに我が物顔でどかない。
しばらく待っていたが、短気な私は車を降り、「どけ!どけ!」と足払いしたものだ。そうかと思えば、猫が『ヒュ~ッ!」と車の前を飛び出し、急ブレーキをかけて、頭をぶつけた事もある。
前の家も後ろの家もみんな猫を飼っている。

忙しい農家の人は子供を一人で置く事もあり、一度、炬燵で寝入っている子供に抱かれていた猫の姿があった。
二年ほど前に死んでしまったが、我が家にも「ベル」という真っ黒い犬が居た。
飼い犬になると恐くも無いし、かわいいのだが、子供の頃、犬に追いかけられた事がとらうまになって恐さは消えない。
ある時、友達の家に行ったのだが、彼女は犬が大好き。ハスキー犬という恐い顔をした大きな犬を二匹家の中で飼っていた。
その二匹、私が部屋に座るやいなや、肩に前足をのっけて、背負った格好になる。勿論、固まった。
声も出ない私を見つめながら友達はのんきに言った「だめだよ~ ふざけちゃ~」その後、恐さよりも重さに絶えていた私が居た。

実家に行くと、これまた動物好きな家族なので、チワワ、ラブラドール、フェレット、シーラカンスのような唇のでかい魚、鳥、などがいる。前にはそこに、猫やハムスターも飼っていた。

しかし、動物を飼っているお宅は多いと思うが、可愛がれば可愛がるほど返してくれるのが無垢な動物だ。
言葉という中で翻弄される人間たちは、言葉無き動物達に癒しを求めるのかもしれないね。

二度目の長岡

2006-12-18 09:37:35 | まゆみのつぶやき室
一ヶ月近くの長岡の人形展。新潟、直江津駅に車を置いて、汽車で一時間。
本でも読んでいるとあっという間に着いてしまうありがたい距離だ。

今まで、47箇所ほどの会場を廻ってきたが、今回ほど「やってきて良かった!」と思えた事は無い。
カウンセラーをしている吉田さんの熱烈なラブコールから実現したこの展示会であるが、気力、体力を用しても彼女らに何の見返りも無い。あるのは「たくさんの人の笑顔」に出逢う為だ。
平石さんを始め、皆仕事を持ちながら、今回の人形展を盛り上げてくれるウィル長岡の人たち。
二度目の17日。会場は図書館なので、朝から人が中に吸い込まれてくる。
二階の踊り場でしばし観察。次々に足は階段を登る。

男性も居る。子どももいる。おばさんも多い。いつもの光景だが、その中に一つの家族を見た。寝たきりのお母さんを連れて、お父さんが車を押す。娘がつばを飲み込めない母親のタンを取る。孫が傍らで寄り添う。
声をかけると、「筋萎縮症」の病気を併発し、声も出ないが動かす口元を娘は読み取り「うれしい」と私に告げる。
「寝たきりの自分の母」を見た思いだった。
しかし、私はそんな母をこういう場所に連れてこようとはしない。
でも、何のためらいも無く、その家族は言った。《好きなんです。母は出かけるのが》と。
たとえ寝たきりでも、頭ははっきりしている。感情がある。喜ぶ・・・のだ。一人で動けなくても、器材を離せなくても、家族の力でどうにでもなるのだ。

本当はやってやれ無い事は無いのに、見ようとしない自分がいた。

人に「近くにある大切なものを大事にしましょう・・・」なんて偉そうに言っているけれど、本当は一番それに気づいていないのは自分かもしれない。
そんな、身に沁みる出会いもあったり
今もって、仮設住宅に暮らす被災者の方々や生産物を何とか生かそうと日々前向きに取り組んでいる人たちとの交流会では、物作りの楽しさ等を語り合い、楽しい一時が流れた。

その日は目一杯の心の栄養をいただき、ホテルの二つ枕のベットに入る。
目をつむると、タンを取っていた娘さんの顔が浮かんだ。
「こんなに人形で泣けるなんて・・・」と

《母の手》の作品は貴方達なんだよ。







コンプレックス

2006-12-15 08:41:47 | まゆみのつぶやき室
人にはさまざまなコンプレックスと言う物があると思うが、私の場合『くせっけ』がどうにも我慢ならない。
時々「いいじゃない、くせある方が、パーマ代も掛からないし・・・」等と言われるが、これは本人にしか解らない悩みなのだ。ある美容院では「手に負えない」と三行半を突きつけられたこともあった。

思春期の学生時代は雨の日は爆発してしまうので、大嫌いだった。
朝起きれば、あっちにこっちに、天にまで昇って行こうとしているので、手に負えない。そんな頃、どうにも髪型が決まらず、デートの約束をすっぽかした事がある。勿論ふられた。

しかし、時代は進歩して、縮毛矯正というパーマがある。

風にサラサラなびく髪を持つ岩崎宏美や浅野温子、今話題の石原真理子のようになれるのである。
今でこそ、何処の美容院でもやっているが、出始めの頃は3万くらいの高価なパーマだったので、必死こいて、石原真理子になるべく、貯金をした。

ドキドキしながら、かけた縮毛矯正パーマ。

時間もかかったが、掛け終ると世界が変わった。
『嘘でしょう?これが「わ・た・し!」・・・』

もう、雨の日に爆発する事も、あっちこっちに、踊り狂う事も無い。

それから私は何度も掛けたが、費用や、髪が痛む事も合って、髪を伸ばし、ゴムでくくって、広がりを押さえて生きてきた。

しかし、おばさんの代になると、もうどうでも良くなる。

今はくせそのままで、短くしている。

美容師の学校に通う息子は時々居間のテーブルでカットの練習をする。
たくさんの練習用の頭をかいま見る。

[何で、くせっけ用の頭がないんだよぉ~]
やはり、世の中ここからが間違っていると思うよ!





未来くんパートⅡ

2006-12-12 10:10:23 | まゆみのつぶやき室
先日、成沢未来さんの事を書いたが、二度目ともなると、さんからクンに変わってしまう所が私のいい所だ???

でも、未来くんは我が子と一緒の年でお母さんのような関係かもしれない。
そんな未来くんから、ブログを見て、お手紙をいただいた。

短歌をするだけあって、それは見事な言葉使いをする。おばさんは完全に負けた!
しかし、ご両親の育て方だろうか、目上の人に対する礼儀もわきまえ、読んでいてとても気持ちのいい文章だった。一緒にいただいた17歳の時に出版した「一等賞の旗」では成沢一家がたどって来たつらい日々、お母様の無償の愛、お父様のやさしさとたくましさ、11歳年下の双子の弟達の誕生の喜びが綴られ、感動者の私は、「また、いい本に出合ってしまった」と言う想いでいっぱいだ。

手紙の最初に書かれていた言葉を、またここで書かせていただく
『自己犠牲とは、まるで落ち葉のようでもあります。自身が腐敗しその体に残るわずかな栄養分を、母体にあった木に与える為に生まれてきたのです。夏の間は懸命に茂り、秋にはこの世の別れを告げるため炎と化しそして散るのも、そこにはちいさな風が起こり、その風がレクイエムとなって犠牲になった落ち葉を哀れんでいるのでしょうか。
私もこの落ち葉のように朽ちてなお、『犠牲愛』のために生まれ変わることができたら、そうできたら今度は大樹にとなって、生きる全てのものの為に木陰を作ろう』・・・・この言葉は未来くん自身の体が何度も刻まれ、命をつないでくれた家族の愛を身に沁みて感じている。そして平和学を学ばれているから書ける言葉だと思いますよ。

あらためて『ハンディは痛みや苦しみは伴うけれど、それ以上に与えてくれる心の大きさは計り知れない』素敵なものだと思います。

ありがとう。久しぶりにあたたかい感動をいただきました。

信濃毎日さんから来年の新年会の招待状をいただきました。
その時に逢えるかな?
           おたいせつに    



2006-12-08 08:30:50 | まゆみのつぶやき室
ご縁とは不思議な物で、何処でどうつながるかわからない。

人形は田舎の主婦が趣味で始めた手仕事だった。
しかし、長く続けているとご褒美がいただけるもので、それが人形を通して出来たご縁というものだと思う。

6日から始まった、長岡市立図書館での作品展は、「人形に逢いたい」『ここに呼びたい!』と強く願ってくれた人たちのおかげで実現した物でもある。ウィル長岡の皆さんだ。皆、それぞれに仕事を持っていて、何の見返りも無いのに、大事な時間を割いてはこの作品展の為に前向きに動いてくださった。
本当にありがとうございます。
でもそのかいあって、あたたかい、たのしい会場になりましたね。
初日、私と同じ世代のお嫁さんがお姑さんを連れ添って来ていた。
腰の曲がった、かわいいおばあさんだった。お嫁さんと立ち話しをしていると、どうしようもない、心の葛藤があるのだと言った。おばあさんは、子供みたいに喜んで、一つ一つを覗き込んでいた。
皆同じだ。葛藤の無い人間が居たら、お逢いしたい。
でも、こうして、いっしょに連れ添って来てくれる事自体が、貴方の本来の姿だと私は思うんです。
「人間の醜さは一時の物。人間のやさしさは一生の物」
偉そうに!ね。  でも私はそう思うんですよ。

宝物のご縁をたくさん頂いているが、今年は特に暇なおじさん・・・事、伊藤さんには、どれ程の時間やエネルギー、感性を使って、人形の小道具を作っていただいた事か。はなめがねの新聞も、花火のかき氷も、自転車も、囲碁も。まだまだいっぱい!お見せして無いものもあるんですよ。伊藤さんは全くのボランティア。
送った、お金もつき返してくるところもあって、助けてもらった一年でした。

坂田さんは、自分で見た、いい物を人にも見せようとする人で、「風の盆」はよかったぁ~。小さくても、こだわりがあって、心をよみがえらせてくれたり、休ませたりできる隠れ喫茶・・などもミニ本にして届けてくれる。

生きる事のたくましさ、思いやりを教えてくれた陽さん。

一年お世話になった仕事関係の方、そして大切な家族。友達。

人形に出会わなければ、めぐり合えなかったご縁。


一生ものです。

             合掌