高橋まゆみ・創作人形「まゆみの気まぐれ日記」

農道をかっぽして歩く笑顔のおじいちゃん。姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃん。やさしさはいつもそばにいた。

虫の声

2006-09-29 16:17:06 | まゆみのつぶやき室
9月も終わりに近づいて、こうろぎ、くつわむし、鈴虫など虫の合掌が始まっている。稲穂もすっかり黄金色に色付いて、大きくその実を右へ左へと風にくゆらしている。
さて、27日から始まった、青森さくらの百貨店に行ってきました。
前にも書いたが、弘前から近くの、藤崎町のいきいき祭に来た事がある。我が村と藤崎町と同じ常盤村同士で、行ったり来たりの交流があり、この弘前、さくら野はお土産を買ったり、食事をしたり、待ち合わせ場所であったりと、懐かしくも、また今回は人形展という仕事のご縁までいただいた。
今回は4階の催事場なのだが、その階には・な・な・なんと温泉施設が入っているのです。残念ながら時間が無くて入っては来られなかったが、別の意味でここでも1日ゆっくりできるスペースだなぁ~と、仕事がらみでちょっと残念!
しかし、準備を終えて出された地酒がおいしくて、ついつい、グビグビ行ってしまった。たくさんご馳走になりました。

初日が開けた。記念式典のセレモニーでは、今年優勝したと言う、津軽三味線の演奏家が生で三味をはじく。
風の盆で聞いた三味線とは違い、力強く、人と楽器が一体化しているようだった。
記念品のお饅頭、先着100人さま・・・もしっかりいただきながら、会場に入る。

まったく、ご縁の無い弘前ではないので、知った顔の方々が次々と来てくれた。
普通の日のしかも雨。仕事もあったろうに、初日しかいない私の事を知っていて逢いに来てくれたのだ。ありがたい。
女の方が圧倒的に多い、今回の人形展だが、会場の中をぶらぶらしていた。
そんな時、一人の女性がおそるおそる声をかけて来た。

数ある人形の中の認知症の人形にいたく感動したようであった。
しかし、その反面我に返ったようでもあった。
ポツリポツリ話すその言葉の中に、今、介護の毎日だと言う事。病人との葛藤、いきどおり、逃げ出せない苦しさ、悶々としている自分。
そして彼女は言った・・・いじわるな自分になっている事が悲しい  と。
私も言った・・・それに気づいた貴方も素敵だと・・・

人形達は作り手を超えて、人の悲しさ、やさしささえも引き出している今日この頃である。

10月は4日から横浜高島屋で{母の手}展がはじまる。かつて母親達が心と技を注いだ仕事を中心に展示。私の人形も2~3体ほど出品。
信濃の国踊りに参加。小布施、桜井甘精堂{栗の木美術館}で15日からF=80の表紙パネル展。斑尾クラフトフェスタが27日~3日間あり参加。そして、青森から埼玉入間博物館へと会場が変わる。

忙しい秋、でも



愛する事

2006-09-22 09:38:44 | まゆみのつぶやき室
先日、12年の闘病生活をして他界した義叔母。
私の母には弟が一人。そのお嫁さんだ。
叔父さんは教師生活を続け、最終的には校長にまでなった人だが、私が子供の頃は、何となく近寄りがたく、また無口で余計な事は言わない・・・お愛想が無い・・人でもあった。
亡くなったおばさんは、家庭的で料理や裁縫も旨く、祭壇の横にはパッチワークの作品がたくさん飾られた。笑顔の素敵なおばさんだった。
どちらかというと、純日本的な家庭。奥さんがいなければ、お箸すら見つけられない亭主 と言った感じだ。
叔母さんは12年の間に入退院をくり返し、昨年末頃からホスピスに入るようになっていた。

告別式を終え、お斎の席での叔父さんの挨拶が始まった。

小さな弱々しい声ではあったが、その言葉一つ一つを噛み砕くように語った
《発症して12年、そしてこの10ヶ月は毎日欠かさず病院に行き、そばにいた。
妻が病気になった事で、たくさんの事を学ばせてもらいました。
人を思いやる事を知りました。人の大切さを知りました、そして人を愛する事を知りました》

挨拶を終えた叔父さんは席に着くなりハンカチで目頭をずっと押さえていた。
今の叔父さんには昔の威厳もプライドも無かった。
そこには本当の愛を知って、無くした一人の弱々しい素敵なおじさんがいた。

岐阜の人形展

2006-09-17 09:58:33 | まゆみのつぶやき室
16日、岐阜高島屋での、人形展が始まった。
会場によっては、真夜中の搬入、準備というものがあるが、今回スタッフは深夜、1時頃から大きなジオラマや人形を会場に運び込んだ。私も早朝6時に会場作りができた所で人形の飾り込みに入った。
朝が早いのは少しつらい所もあるが、人気の無いデパートでの作業は集中でき、物静かでやりやすかった。
今回の展示会は今年他界した、カメラばあちゃん{増山さん}の追悼展も兼ねているので、たくさんの写真も飾られた。
岐阜は増山さんの地元。今は人もいない徳山村での暮らしや、そこに住む輝く笑顔の人々。同じ村民ならでは向けられる表情を、誰でも撮れるというピッカリコニカで撮り続けたおばあちゃん。やっと地元岐阜での開催年に亡くなってしまった、そして25日展示会の最終日は徳山村のダムに初めて水が溜められると知った。
深い因縁めいた物を感じずにはいられない今回の展示会だが、おばあちゃんへのお悔やみと、今まで一緒にやらせていただいてありがとう・・・と、あらためて感謝の意を伝えたい。
早朝の準備が終え、私はホテルにいったん戻り、職人姿から一応作家さんっぽい姿に着替え開店を迎えた。
今回はマスコミのほとんどが、ありがたい事に取り上げてくれたのでオープン早々人が次々来場してくれた。
何度も見たけどまた来た・・・という人。可愛い花にいるかの置物をくれた青年。
人形店を営む社長さんも大阪から駆けつけてくれたと言った。
ありがたい!ありがたい!

宣伝効果もあり、今回の岐阜はたくさんの方に見ていただける作品展にまちがいないと確信して、名古屋から中央線、振り子電車に酔いも忘れて眠り込んでいた。

村のお祭

2006-09-10 11:39:05 | まゆみのつぶやき室
9月に入ると村のあちこちで、祭礼が行われる。
昨日、我が村でもずっと練習を重ねてきた獅子の舞いが披露された。
基本的には、村の長男が代々踊ってきたが、最近はIタ~ンで村に入ってきた人や次男、三男が踊る事もある。小さな村の小さなお祭は全て手作り。主人は今年焼き鳥担当、息子は金魚すくい・・・・一応値段も決まっているが、適当この上ない。
獅子を舞うだけで、特別何といってないのだが、その日はどの家もご馳走をし、ほろ酔い気分で諒を取りながら、近くにいてもなかなか話せない仲間と顔を逢わせ、雑談するのが楽しみだ。
しかし、最近一つ催しが増えた。
村人達が考えた、途中で帰ってしまう人たちの足止めか、最後に空クジ無しの抽選会だ。
一人一人番号が呼ばれ、くじを引く。
それぞれが、スーパーのナイロン袋にかさばる物が入っているようだ。
近くにいた母ちゃん達と見せ合う。
どーも、100均で仕入れた物ばかり。ハンガー、タオル、カップラーメン、物入れ・・・ありがとさん・・・でした。

村に嫁いで、最初は嫌だった。
日曜の度ごとに、行事があり、お客さんも大勢来るので、1日食事の支度をするのは嫁の役目。気も使う。
一つ終われば、また次が来る。そんなくり返しに嫌気が差していたが、それも繰り返されると、自然に身に着いてしまって、今ではお客さんが来ないと物足りない。

雪を踏みつけて二年参り。田植え休みのマレットゴルフ。秋の運動会に祭礼。
小さな催しはまだまだあるが、この地で教えてくれた、自然の豊かさ、地域のつながり、そして苦しい生活の中での楽しみ方。

周りの田んぼでは、そろそろだよと黄金色の稲が風にゆれる。
そして、祭礼が終わると一斉に稲刈りの時期になる。

風の盆

2006-09-04 22:27:32 | まゆみのつぶやき室
9月2日、私は富山八尾町にいた。
大切な人の一人、坂田さんご夫婦に前々から声をかけていただいていた「おわら風の盆」がとてもいい・・と言う事で一度確かめたかったのだ。
今回はラッキーな事に、坂田さんの伝で、一軒を貸しきる事が出来、米や飲み物を持参し、13人ほどの雑魚寝の合宿が始まった。
八尾の町に生まれた人はこの2日間を一年かける・・というくらい練習に励むそうだが、交通規制があると言う事で、午前中に着いた私達はまず町を散策。石畳の下を水が流れる音がする。灯篭が道案内をする。穏やかな坂道を下駄がカラカラ行きかい夜店のソースの匂いが食をそそる。
そんな時間を過ごしてお待ち兼ねの夜がきた。
期待と好奇心、浮かれ立った足は音のする方へと向かう。

何人かの女性が笠を深くかぶり、粋な着物姿で町を練り歩く。
胡弓の主旋律に三味の音、搾り出すようなおわら節。
そんな街流しを探していると、いつの間にか小さな町の道路は観光客で溢れていた。踊りを見るというよりも人を見る・・と言う感じで、ひとまず退散。

坂田さん曰く、人が少なくなってからがいいんだよ!・・・って一体何時だよ!
もう12時だぜ!・・・10時頃にはいつも寝てしまう私にとっては未知の世界。
しかし、折角きたんだから、見なきゃ損。
頑張りましたよぉ~。
そうこうしていると、何処からとも無く、すぅ~っと踊り手たちが主張もせずに淡々と無表情で街を流す。
いつの間にか追いつかないほどあちこちで、さまざまな人たちが自分のおわらを踊り出す。一人で胡弓を引き流す人。ひょっとこの仮面をかぶり踊る人。年期の入ったご年配の男踊りを見せる二人。中年女性の色気と貫禄で踊る連。
さまざまな風の盆は夜通し、伝えられてきた伝統を踊り続ける。
体が覚えてしまう踊り・・・何年か離れてもまた踊りたくなってしまう・・・という地元の人の言葉を聴いたが、時間が経てば経つほど、八尾の人は疲れた顔も見せず、媚びない踊りをさらけ出す。
風の盆恋唄は読んでいないけれど、恋が生まれても不思議でない御祭だ。
朝まで、頑張れなかったが、来年は絶対起きて見てやる・・・と思うのはわたしだけでしょうか???