高橋まゆみ・創作人形「まゆみの気まぐれ日記」

農道をかっぽして歩く笑顔のおじいちゃん。姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃん。やさしさはいつもそばにいた。

大地の芸術祭

2006-07-28 08:48:48 | まゆみのつぶやき室
先日、新潟県、十日町の友達 福崎さんから電話が来た。

今、7月23日から9月10日まで、こちらの地区で面白い芸術祭をやっているので一緒に行きましょう・・・という事で出向いた。
飯山から、十日町は県は違えども一時間位で行ける場所にあり、十日町の先には豪雪、地震災害でニュースになった小千谷市がある。
震源地に近い、十日町でも被害は少なくなかったが、そういう災害を乗り越えて、尚且つ文化的な催しものを大々的に行う、その地区のたくましさ、前向きさを感じた。
この、大地の芸術祭というのは、北川フラム氏が綜合デェレクターを勤め、津南、松代、十日町と妻有り地区一体が全て芸術村と化す。

とにかく、広い地域の中に点在する作品の数々なので、一日では見切れない。
谷間の美しい集落の家で毎週活け変えられる日本いけばな界総出演の精華。
5軒が生をつむぐ山間の空き家に設えられた陶の名人たちによる土の結晶。
山の塊に沈む夕日を望む峠に屹立する彫刻。
池に張り出した周囲の風景を差し込む能舞台。
そこに通っていた子供達を幻出させる廃校の美術館。
商店街の空き家に展開される現代美術の粋。

と、ちょっとパンフレットの言葉からだが、その後に
夕暮れ、里山巡遊の末にたどりつく宿での旨い食事と酒、温泉、越後妻有を巡る旅はおそらく今までに味わった事の無いマジカルミステリーツアー   と 締めくくっている。

ちょっと行きたくなるでしょ!

私も福崎さんと全部は見られなかったが、キナーレと言う可愛い商品など扱っている商店が入った綜合施設、また福崎さん自身が人形作家なので、彼女の美術館など拝見し、その後ジェームス、タイル氏{光のアーティスト}の「光の館」やミュージシャンの男性が9年越しで手がけたと言うログで創られた夢空間などを見て廻った。車で移動しながら、道端にあれ!と思うようなオブジェがあったり、あれは地震の後遺症??と思うような、アスファルトが曲線にうねっている駐車場があり、それも、芸術の一つだと福崎さんは言う。

こんな、田舎でよくぞ!というのは失礼かもしれないが、これだけのイベントに協力し現実化した実行者はもちろん、その地区の理解度に拍手を贈りたい。

私は思いましたよ。
まだまだ、知らない人も多いけど、これから世界に発信できるすごいイベントになっていくだろうと。

豪雨

2006-07-22 22:29:05 | まゆみのつぶやき室
冬の大雪、今回の豪雨の被害が連日ニュースで流れている。長野県に住む私も、直接的な被害は無かったものの、間近で、雪の重みに耐えかねて、家が潰れたり、また大雨で千曲川が増水して、川沿いの田畑は水入れになり、収穫まじかの丹精込めて作ってきた、野菜や米は台無しである。
「これでも降るのか」と足元まで来ている増水した川の堤防に立ちすくむ人たち。
腰の曲がったおばあさんや、腕組みをして川を見入っているおじさん、手も出せぬ消防隊員
この姿を目の当たりにしたら、《無常》としか言えない光景であった。

しかし、今日、水が引いた千曲川沿いの堤防を車でゆっくりと走った。
くり返し乗り越えてきた災害にきたえられたのか・・・人の本能は少しでも可能性があるならの精神なのか  あきらめない。
泥水をかぶった田畑に何人ものお百姓さんが働いていた。

最近、田舎にあこがれて、Iタ~ンの移住者が多い。
人口3万弱のこの地にはありがたいお話だし、またそういう人が入って来てくれることで活気ずく。

私も長野市から嫁に来た身なので、偉そうな事は言えないが、いい所ばかり見てあこがれてくるなら、暮らして行けない。
厳しい現実が、体力も精神も奪ってしまう事もある。

でも、そういう現実に負けず、自分達のスタイルを築き、田舎を満喫しているIタ~ンのご夫婦もいる。
どこか、覚悟を感じるご夫婦でもあるが、一つの言葉が忘れられない

村人達の集まりの席で冗談で「こんなに雪で苦しめられるなら、もう出ていく・・・」と言ったら次の日、一升瓶を抱え村の長老が来て奥さんに「この酒に免じて村を出ないよう旦那を説得してくれ」と言ったそうだ。

今では村人以上の村人だ。

自然のすばらしさを忘れず、感謝を忘れず、ひたむきで。

そんな気持ちが村に溶け込めた要因なのだろう。

都会から来ておいしいお蕎麦屋さんを始めた人もいる。
我が家の近くにはしゃれたログハウスを建てた関西出身の人もいる。

自分も含め、住めば都  とは良く言ったものだ




2006-07-18 09:17:04 | まゆみのつぶやき室
15日二度目の水戸の人形展に出向いた。友部駅で降り、イオンジャスコ店にタクシーで向かう。どういう訳かいつもパンチパーマの恐持て系である。しかし声かけようかと迷う前から、運転士さんの茨城弁が始まる。
語尾を流すようなあの独特の話し方。
「どうして、パンチパーマなの?」「楽なんだぁ~・・・」
思わず、見かけと裏腹な言葉のト~ンに顔も緩んでしまう。
そうこうしている間に、あのでかいイオンに着いた。
今回は、連休と言う事もあり旦那が車で迎えに来てくれたのだが、やはり管内で迷子になったらしい。
サイン会ではたくさんの行列ができた。へたくそな私の文字でも人形を見た余韻を抱え、大事そうに作品集を差し出す。
作品集は本物の人形を振り返る思い出記録なんだろうと私は思う。

そんな思い出記録的な役目を果たす作品集について、少し書いて見よう。
私の初版本は「まなざし」と言う本であるが、作っても売ってしまう人形達を何かで残したい。証が欲しい・・・そんな想いで、たまたま新聞広告で目に止まった新風舎の「出す気があれば、相談にのります」みたいな言葉であった。
電話で逢う約束をした。
その時、たまたま地元でやっていた作品展で見てもらうのがいいだろうと、その会場に出版社の方と出向き話し合いをした。
写真集というのはそんなに売れる本ではない。本屋に行っても棚のどこかに一冊あればありがたいくらいだ。彼女は言った。「共同出版と言う形で2000部創りましょう。1000部を本人の買取り、1000部は会社で・・・」と言う事である。
へそくりを全て叩いての決心をした。
写真は今まで撮ったものの中から好きなものを選んだ。その中には自分で撮った物もある。構成や言葉も自分なりに関わって2001年9月  証が出来た。
前に書いたブログの「畑田さん」の中で、まず自分の作品を知ってもらうための資料的な役割をこの「まなざし」はしてくれたのだ。子供で言えば初子。だからかわいい。そして全国展を皮切りに図録ができた。1000円という価格と気軽さは病院のお見舞いに・・・また出向けない人のお土産にと喜ばれている。
そして、2005年6月永久保存版にして欲しい「草の道」講談社ができた。

今「本」を出したいと思っている人はたくさんいると思う。
ありがたいことに私は3冊の写真集を出させていただいたが、今の時代、雲の上の物では無いと思っている。
どんな手段でも、形に残す事は可能だ。
そして、それをするか、しないかは自分次第。

水戸で、ある方に新聞に投稿した物をまとめました・・・と一冊の本をいただいた。初めて逢った人なのに、その人の深い想いを知り、生き様を見せていただいた気がする。人を知るのは一生かかる。でも本というのは凝縮されていて、本当にその人自身の証であると私は思う。

何やってんだぁ~

2006-07-12 09:51:33 | まゆみのつぶやき室
何やってんだぁ~の毎日を過ごす私。
ここ最近、何も出来ていない。悲しいかな・・・きっとこの暑さのせいだ!我が家は居間と六畳の仕事部屋にエアコンが着いているが、ほとんど使わない。
お百姓のじじ、ばば、が その温度差を嫌い扇風機で夏を乗り切る。

しかし我が家は北窓が少なく、風の通りが悪い。
年寄りに遠慮もあってか、自分もできるだけ我慢する。
だから、夏は嫌い。やはり春、秋が何につけてもやる気が起きる・・・でもないか。
やはり、作り手は目的や、刺激に気力をもらう。

そんな、ぐ~たらな中、いつも花便りをくれるお茶屋の孝さんから、荷が届いた。
ピーナツバターに奥さんの梅ジャム、ワールドカップサッカーの旗、そして、そして何と、大工さんの小道具一式{もちろんミニチュア}
私が差し上げた松沢さんという木の作家さんの大工人形がきっかけだと思うが、世の中には本当に器用な人がいるもので、{鋸、ノミ、金ずち、カンナ、曲金、釘抜き、キリ、墨つぼ}そして木の道具箱まである。
今まで、かき氷機やら、火鉢に入った網焼き餅一式、またミニ新聞など色々作って送ってもらっているが、どれもプロ並だ。
こういう人がいてくれると、本当にありがたいし、またエネルギーもいただける感じだ。

他の知りあいにも、一人酒という作品用に見つけたといって、ミニチュアの一升瓶を送ってくれた人もいる。
素通りしてしまう、人の為にの気持ちが、彼らには無い。その気持ちが何より嬉しい。

大事な宝物たち

さあ!眺めてばかりいないで、仕事すっかな!

畑田さん

2006-07-02 12:36:56 | まゆみのつぶやき室
5年前のある日、突然の電話がかかってきた。

「実は、前にある人形作家のプロデュースをしていた畑田という者ですが、一度お逢いしたい・・・」

その人形展は地元長野で見たことがあった。その時私は「こんな世界で作品を見せられる人がいるんだぁ~」と憧れを感じた。
それをまわしていた人であった。
「実は銀花という雑誌で気になって、前の作家さんのように廻したいんだよ」と彼は言った。
しかし、私の手元には一つの人形も無かった。というのは売って来てしまったからだ。そうしなければ、パートをずっと続けていることになる。
そして次の言葉だった。「二年後なら大丈夫ですか?」・・・
何とも、少し冷たい感じのビジネスワァーク的なお言葉。

しかし、あの憧れの人形展の話が今現実として目の前に来ている。
話をいただいて、とにかくやって見るしかなかった。
平成15年神戸阪急の初回展に向け、それからの私は無我夢中で製作に明け暮れた。夢中になりすぎて、トイレに倒れこむ日もあった。知らず知らず世が明けて、子供のお弁当を持たせられない日もあった。阪急の初日が来た。
そして、手回しのいい畑田さんによって作られたりっぱなジオラマに人形を置いた。

ジオラマに負けている。二年間頑張って来たけど、物足りない。
お金を払って見てくれるのに申し訳ない・・・そんな自分の中の恥ずかしさ、もどかしさを感じながら、今以上の創作意欲がわいた。

それから、毎日人形作りが仕事になっているが、今年でもう4年目。人形の数は並べ切れないほどになっている。

時々、サイン会などで、横にいる畑田さんを「ご主人ですか?」と尋ねられる人がいるが、「家の主人はもっと若いです」と私。

しかし、畑田さんと出会う前は、こんなに仕事に意欲を燃やし、バイタリティな人は廻りにいなかった。元NHKのバリバリのプロデューサーということもあり、その顔の広さ、行動力にはとても年金をもらう年とは思えない。

今の私は畑田さんの力なくしてはありえないことだが、4年も一緒にやっていると、好きなことも言える。
「いろんな事やりすぎ!奥さんもっと大事にしなよ!」などなど

はぁ~い!と畑田さんは無邪気に応えるけれど、頭と気持ちはそこに無い。
あるのは次なにしようかな・・・だ

一生、プロデュースと言う仕事が生きがいの人のようだ。