楽しまなくちゃー!!! "Carpe Diem !"

趣味の陶芸、写真、園芸、ボーイとの交遊

北イタリア旅行・イタリア アルプス (no.9)

2014年08月29日 | 海外旅行

           ブルー湖からながめる 「モンテ・チェルビーノ」(イタリア語)、マッターフォルン (4478m)

今回の旅行の大きなテーマはスイス・アルプスをイタリア側・南から眺めることです。 まずはマッターフォルンをチェルビーノの町から

見上げました。 丁度反対側はスイス・ツェルマットで標高もほとんど同じです。 ずっしりとした安定感のある姿はまさに”座したる巨人”

メンバーの皆さんスイス側からの眺めた経験のある人ばかりで、やはりどちらもマッターフォルンはすごい、”モンテ・チェルビーノ”に感激。

    2011.06 スイス・写真と比べてみました。

 

標高2050mのチェルビニアから眺めるアルプスの山々です。どの山も3000m以上はあるので頂上までは1000m以上あります。

スイス側から見たときにはヤギ、ヒツジなどの放牧が見られました。 イタリア側はスキー、自転車競技などが盛んなようです。

 

 日曜日でもあって朝早くから自転車レースに参加する人がホテルからスタートに向かって出ていきます。3500mから一気に下るレースとのこと。

  

 朝食の後ブルー湖に再度出かけて逆さマッターフォルンを見に行きました。晴れの天気できれいな写真が撮れました。"thank you fine ladys"

 

 高速道路で途中で古代ローマ遺跡のあるアオスタを通りモンブランの登り口のあるクールマユール、ラパリュ(標高 1370m)へ向かいます。 

このあたりにイタリア側入り口があるモンブラントンネル(11.8km)がありイタリアからフランス・シャモニーへ抜ける重要な交通ルートです。

 モンブランも 北側・フランス シャモニーと南側・イタリア クールマユールで山頂を挟んで背中合わせになっています。

  2011.06 スイス写真と比べてみます。

 

   (イタリア語:モンテ・ビアンコ)     モンブラン (フランス)    ヨーロッパ最高峰 4807m

2014.07.27 イタリア・リフージオ・トリノ展望台(3335m)       2011.06.27 フランス・シャモニー エギューイ・デュ・ミディ展望台(3842m)

 

リフージオ・トリノ展望台はたくさんの人です。 寒さの中ここでも日光浴をしている人がいます。     山の天候はすぐに変わります。 

 

                             グランドジョラス    ヨーロッパ3大北壁 標高:4206m

2014.7.27 イタリア・リフージオ・トリノ展望台(3335m)          2011.6.27 フランス シャモニー エギュイ・ディ・ミディ展望台(3842m)

 

 険しい場所にさらに展望台が建設されています。2段目のロープウエイは小さくて支柱のないロープを山頂に向けてほぼ垂直に上っていきます。 

 下りに途中ロープウエー乗換駅(2173m)で屋外高山植物園に寄り道しました。 女性は急にフラワー・カメラマンになり夢中です。

 

「viva photo」

  

 

これから高速道路でいよいよ最後の目的地 北イタリア屈指の高級リゾート地”ストレ-ザー”に向かいます。   マッジョレー湖畔に連泊です。

 


北イタリア旅行・ジェノバ、トリノ街歩き (no.8)

2014年08月25日 | 海外旅行

 フェラーリー広場、都市国家時代のドカーレ宮殿

紀元前6世紀にはリグーリア人が住んでいたとされるジェノヴァは、ローマ帝国時代以前から海運を利用した交易活動を行い、
 
地中海を守る役割を担ってきました。  1100年頃に自治都市となり、ピサやヴェネツィアと並ぶイタリアの四大海運共和国の
 
権勢をふるいます。(海軍の国旗の4つの紋章)最強と言われた船団を擁し、黒海での通商を独占するなどして富を得たジェノヴァは、
 
"誇り高き都la Superba"とも呼ばれていました。

 

 アメリカ大陸を発見したコロンブスが14世紀半ばに青年時代を過ごした生家です。偉大な成果の割にはあまり裕福ではなかったそうです。

 

              ガリバルディ通り:建物とその使い方を含めて世界遺産に登録されています。(珍しい登録方法です)

ジェノヴァ共和国時代の16~17世紀に、都市計画に基づいて造られた通りで、たくさんの宮殿が並んでいます。海上貿易で繁栄していた

ジェノヴァ共和国の中でも、特に財力と権力を持った富豪達がここに宮殿を建て、これらの邸宅群は「パラッツィ・ディ・ロッリ」と呼ばれています。

国外からの重要なお客様をおもてなしする宿として登録されており、賓客の位によって、どの邸宅でもてなすかが振り分けられたそうです。

 

 白の宮殿:ブリニョーレ‐サーレ家が建てた宮殿。内部が美術館。    赤の宮殿:ブリニョーレ‐サーレ家の宮殿。こちらも内部は美術館です。

 サン・ロレンツォ大聖堂   白と黒の大理石の縞模様のファサードは、13世紀頃につくられたゴシック様式です。内部の宝物館には、

 キリストが最後の晩餐で使ったと言い伝えられている聖杯が収められています。(話掛けです) 天井画がとてもすばらしい。

 

 ヨーロッパ最大級のジェノヴァの水族館がありミラノ、トリノなど北イタリアの産業都市を背後に持つジェノヴァ港はイタリア最大の貿易港であり

EXPO会場になったポルト・アンティーコとそのシンボルのBigo。 Bigoはジェノヴァ方言で、船の積荷を下ろすためのクレーンの名称です。

 

「これからトリノに移動します」

トリノ」というイタリア語が「小さな雄牛」を連想させることから、街の紋章として雄牛が使われるようになり至る所に雄牛のシンボルを見ることができる。

トリノ市内は道路が碁盤の目のように90度に交差する、至って分かりやすい街並をしている。これはローマ帝国時代の建築の名残で、帝国崩壊後の暗黒時代

以降も、礎石が破壊されることなく生かされてきたものである。首都がトリノからローマに移りFIATなどの発展で工業都市に変わっていった。

  

 サンカルロ広場、カステロ広場をとって王宮  サボイヤ王国時代の宮殿。(トリノがイタリアの首都であった時代)

政治力と財力を共に備えたフランス貴族サヴォイア家がトリノに初めて居城を構えたのは1280年。1560年にサヴォイア家がトリノへ遷都したことで、

トリノは歴史上最も長く栄える貴族家の支配する王国の首都となる。その後、フランスの影響を色濃く受けて行く。

トリノに来たら何としても ”ドゥモ” に立ち寄って観たいものがあります。(未公開) 当日は結婚式が始まるところでした。

 聖骸布は、キリスト教でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。(ドゥオモ、ビデオ画像)

「双子の教会」   大変きれいな広場、街並み、言葉も上品なイタリア語とのことです。 やはり元首都ですか!!

トリノの旧市街を走る、何本ものアーケードは、サヴォイア貴族が「雨に濡れずに街を歩きたい」として建設したもの。
 
有名な・アル・ビチェリン ・小さな趣あるカフェ。この店生まれのチョコレートドリンク「ビチェリン」は今やトリノ名物ホットでとてもおいしかった。

 トリノからバスでマッタフォルンの見える「チェルビニア」(2458m)に向かいました。 途中逆さマッタフォルンの「ブルー湖」によってみました。

夜運よくマッターフォルンの夕焼けを見ることができました。 スイス側からみるよりどっしりとしています。孤高の巨人、座したる巨人・・・・・・・・・

 明日はモンブラン、マッターフォルンをイタリア側(南側)から展望台にあがってみます。 これも期待のテーマです。 天気を祈る!!!

  「viva photo」 

  

 


北イタリアの旅・要塞の村・チンクエ・テッレ(no.7)/リビエラ海岸

2014年08月10日 | 海外旅行

 チンクエ・テッレ 二番目の村 「マナローラ]

チンクエッテレで一番のワインの産地、海に張り出すように岸壁の上にたったいろとりどりの家並みは奇跡です。

 

 「海洋国家戦略」によってその隔離された環境から他の地域の影響が及びにくく、国内の団結力を維持し、海上交通力と

制海権を握ることで、貿易によって国の発展と存立に貢献してきた地域の人々の生活は大変だったことでしょう。

(イタリアにはジェノバ、ヴェネチア、アマルフィ、パル 4大海洋国家)

平地がなく、土地も痩せているチンクエ・テッレで、人々は急斜面の固い岩盤を砕いて石垣を築き、岩盤を砕いた際に出た砂を土壌

にして畑を作った。この痩せた土地に根付いた作物がブドウである。 人々はこのブドウからワインを醸造して生活を成り立たせた。

ブドウ畑を守る為には土台となる石垣の修復は欠かせない。 古い石垣は雨と風の影響で崩れやすくなっているからである。

 ここで育つブドウは、あまりたくさんの実をつけない  。しかし、そのぶん味が凝縮したコクのあるワインが産まれた。

それは古くからジェノヴァの商人によって、広く輸出されていた。多くの貴族、王子、王たちがそのワインをテーブルに

置くことを大きな誇りにしたとのこと。 (観光案内より)          有名なシャッケートラ - 甘口のワイン飲んでみました。

 

 チンクエッテレで一番のワインの産地、海に張り出すように岸壁の上にたったいろとりどりの家並みは奇跡です。

 

 海では勇気を試すように次々と高いところからとびこんでいます。 

   

 昼食を済ませてまたローカル電車に乗って最後の村「ヴェルナッツア」にむかいます。 白ワイン”シャッケートラ - ”とても甘く、高かったです。

 

チンクエ・テッレ 三番目の村 「ヴェルナッツア」

多くの文人や画家に、”チンクエ・テッレの魅力の源” とうたわれた町

  

 2011年大洪水で建物が大きな被害に遭い現在も修復中です。     村のシンボル、アンティオキアの聖マルゲリータ教会があります。 

  

 石段をのぼって国旗を、大変です。        町の中にクールスッポトが???          暑さでみなさんばてぎみです。

 太陽がいっぱいのイタリアの夏を十分堪能して、きれいな写真が撮れました。 レバントからバスに乗り換えて海洋都市”ジェノバ”にむかいます。

[viva photo]

  

 

 


北イタリアの旅・要塞の村・チンクエ・テッレ(no.6)/リビエラ海岸

2014年08月09日 | 海外旅行

            「リオマッジョーレ」  チンクエ・テッレ5つの村のまず一番目。

五つの村の中で一番大きな村、19世紀終わりより、フィレンツエの画家シニョリーンをはじめ多くの画家をとりこにしました。

 

チンクエ・テッレ(イタリア語: Cinque Terre)は、イタリア北西部のリグーリア海岸にある5つの村を指します。険しい海岸に

色とりどりの家屋が並ぶ文化的景観によって知られており、ポルトヴェーネレや小島群などと共に世界遺産に登録されて、

ワインの産地としても知られています。チンクエ・テッレの村々は11世紀に要塞都市として建設され、以後1000年にわたって、

隣の村との往来は船で行われていました。陸路で孤立したこれらの村々には、今も往時の面影が色濃く残っていす。

これから3つの村を訪れて海洋国家時代からの要塞としての歴史的な建物、現在の日常生活の写真です。 

   

 

 ベローナからバス、ローカル電車を乗り継いでチンクエッテレ最初の村リオマジョーレにつきました。 駅前には昔の様子が書かれています。

 

 地下道を抜けて外に出るとあっと驚くばかり、目を見張るような鮮やかな色の建物、まっすぐに立っているのかどうか???

 

 村の中では手作りのおみやげ物を売る店がたくさんあります。 日本の人にはほとんど会いませんが、ヴァカンス、観光客でいっぱいです。 

  

  

  *** しばらくは同じような写真が続きます。/ 特徴を表現すること、なかなか難しそうです。***

 [viva photo]

  

 

  


北イタリアの旅・ドレミテ紀行・ケーブル登山 (no.5)

2014年08月08日 | 海外旅行

ドレミテ街道 <コルナタンベッチオ1220m--->ボルツアーノ260m> 約3000mの岩山群と点在する湖

(添乗員さんが工夫してつくられました、スイスアルプスまで見えるように表現したものもいただきました。)

CH「イタリア湖水地方・スイスアルプス・ドレミテ紀行」の旅行に出かけました。    11名の旅慣れたメンバーにイタリア人と結婚している

添乗員さんでイタリアの歴史街道を巡ってきました。 世界遺産のドレミテ渓谷に興味を持ってからローマ帝国から今日までイタリアの

先端的な進化、中心的な存在の北イタリアの都市など、古代から続く古い歴史と異文化の交じり合った町、村、近代的な発展の

歴史にふれ厳しい生活環境、優雅な雰囲気 の自然を満喫してきました。 

ヨーロッパを旅行するたびに出てくるローマ帝国の繁栄、  ゲルマン人の侵入による分裂から1000年も続いた東ローマ帝国、

分裂を繰り返していき遂には滅んだ西ローマ帝国、こちらは現在のフランス、ドイツ、イタリアの元となり地理的には理解しやすく、

旅行を楽しめます。  ともかくもヨーロッパの歴史の原点・イタリアの歴史がわからなければ、との思いで今回の旅行をします。

 

 

 ドレミテ紀行2日目は「サッソポルドイ峠の絶景」・・・・この旅で唯一の不幸な天候・霧が出てきて残念ながら絶景を見ることができませんでした。

記念に絵葉書を買ってきました。  やはりこれは見たかった風景です。 しかし5人の晴れ女性のおかげで天候には恵まれました。感謝、感謝!! 

 

 ホテルを出発するときはいい天気でした、あちらこちらに花がきれいに飾ってあります。 180度の曲がりくねった道をどんどん登っていきます。

 

サッソポルドイ峠展望台へのケーブルの乗り場です。 ケーブルカーに乗ってあがっていくほどに霧が濃くなっていきます。 これがみえるはず。

 

恐ろしいくらいの険しい岩と岩の間をぬってどんどんあがっていきます。冬のような気温で展望台の周辺には雪氷がのこっていました。(2950m)

 

展望台につくとまったく霧のため何も見えませんが、想像の説明です、ほんの一瞬岩山のてっぺんが見え隠れしました。 

 

ドロミテ紀行最後の町”ボルツーアーノ”にバスで向かいます。  ドロミテ街道の西の入り口で標高262m,地上に戻ります。暑さの実感でしょう。

途中での休憩ところ BAR(エスプレッソ) 自転車が多いです。 高速のトンネル、スイスに抜けるトンネルもできています。

   

       「ボルツァーノ の街歩き」

 

ドドゥオーモはボルツァーノ・ ブレッサノーネ司教区の司教座聖堂です。 ウィンのシュテファン大聖堂を思わせます。

  

 博物館の大行列は、エッツィと呼ばれるアイスマン。 町の道路の両側にはアーケードがあります。 ここは大変きれいな街で有名なところです。

イタリアの街案内は公認のガイドがつくことになっています。 日本語がまったくわからず説明も動作で示したり親切にしてくれます。

 

  1918年までオーストリア領だったこともあり、イタリア語とドイツ語の2カ国語が公用語になっている面白い町です。 異文化のまじりあった街。

 

  [viva photo]

    

  

  二泊三日の「ドロミテ紀行」が終わりました。 今回の旅の一番の目的の場所で天候もよく11名のメンバーとも楽しい旅を過ごしました。

 これから、イタリアの海洋国家時代の名残を残す村々をたずね、スイスアルプスを南側からマッターフォルン、モンブランを眺め、涼しい

 高級リゾートの湖水地方に向かいます。 1-2日は夏の日差しををまともに受けて暑い日が続くことでしょう。 天気は良好で安心です。

 今からベローナの街に向かいます。今日のホテルはクラウンプラザ フィエラ、久しぶりに高層シャープなホテルです。