楽しまなくちゃー!!! "Carpe Diem !"

趣味の陶芸、写真、園芸、ボーイとの交遊

合津若松・大内の宿、塔のへつりに行きました。

2013年10月27日 | 旅行

 

    「国選定重要伝統的建造物群保存地区」 江戸時代の宿場の面影を今もそのままに残した貴重な村です。

     街道は会津西街道または南山通りと呼ばれ、 会津若松と日光今市を結ぶ重要な道で、参勤交代にも使われ

      たとのこと。    会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として

      1640年ごろに整備された宿場町。(観光案内より)

    

    今は殆どの家でお土産店または蕎麦屋等の店へと変わり、農業から観光産業へと完全に切り替わってきました。

 

 自然にをしっかりとのこして、道の両側にはきれいな水が流れています。 昔は生活用水で洗濯などにも利用したのでしょう。

 

 なぜか”紫舟さん” 伊勢神宮の遷宮の祝いのぼり、村の突き当りに小高い丘があります。 ここが絶好の撮影スポット、たくさんの人が順番待ちです。

 

 お店の方にはたくさんの写真を快く撮らせていただきました。 おいしいおまんじゅう、黒米きんつば、お茶をいただきゆっくりと気持ちよく写真が撮れました。

 

 

 大川羽鳥県立公園、大川ラインの一番の景勝地。 天然記念物(s18)

百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し見事な景観を創りました。

へつりとはこの地方の方言で危険な崖を意味します。

     

          烏帽子岩、屏風岩、舞台岩、土俵岩、像塔岩、護摩塔岩、九輪塔岩、屋形塔岩・・・・・13の塔

 

 つり橋を恐る恐るわたり、奇岩舞台 虚空蔵尊にたどりつきます。 橋の上からでは写真を撮るどころではありません、vivaも何とか渡り切りました。

 

昨日の移動中は一日中あめでしたが、朝からすっかり晴れて待望の「大内の宿」に来ることができ写真を撮ることができました。viva・晴れ女のおかげでしょう。

新しいカメラ、レンズでどこまできれいに撮れるか、どんな色合いになるのか楽しみにしていました。 人物、近景は先日の着物祭り、火縄銃大会で確認できて

いましたので、今回は遠景写真の効果を期待していました。 やはり明るいレンズでは近景は柔らかく、はっきりとした、奥行きのある色合いになります。

今回の遠景ではやや硬い写真になっているように思います。  PCの編集では近景は全く編集不要でした。(手を加えるとかえって不自然になります)

今回もほとんど手を加えることなくトリミングのみにしました。 空の色もPLを使わず丁度いい感じになっています、遠景を意識しすぎて絞りすぎたのでしょう。

好みのやわらかさ、遠近感が少し足りないように感じます。 105mmズームあるので望遠はあまり必要にないように思いました。

ここには載せていないお店の人の写真の整理が楽しみです、お年寄りの、日陰でソフトにきれいな色合いで撮れているようです。

重さもあまり気にならず、やはり新しくしてよかったと思っているところです。 いまさらながらアドバイスして薦めてくれた友人に感謝です。

                                        <お気に入りの一枚です>

                       

 

                  

                         

                               旅の締めくくりは ”会津磐梯山”    viva photo

                          「八重の桜」では磐梯山を背景に桜色の傘がたくさん花開きます。

                          今回もゆっくりと、東北の雰囲気、こころを感じながら旅しました。                           

                           東北旅行・5回で一段落です。 どこも写真に、心にしっかりと残って

                          います。 今度は力強く復興した東北を訪ねてみたいものです。

 


会津若松・八重の桜に行きました。

2013年10月24日 | 旅行

       会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」。白虎隊士も見た国内唯一の赤瓦の天守閣が甦りました!

鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、

戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。

明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成13年には天守閣に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が

江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。平成23年には赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、

現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。(観光案内より)

            赤瓦、実際に見るととてもきれいで、印象強くなにか外国の建築物を思わせるせるような気がします。

 

 赤瓦が印象的です。日差しが強いときはきっとキラキラと輝くのでしょう。どこに行ってもお城の石積みには驚かせれます。 現在でも技術は継承されています。

 

 

 戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、

滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、

「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。 (観光案内より)

20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました

 

 「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」   本来の会津の時の進み方ではなかった。 白虎隊十九士の墓 ”あまりにも時の流れが速すぎた”                         

 

    「さざえ堂」  六稜三層の形がさざえに似ていることからこの名で親しまれています。 堂内に入ると、上り下りするためのらせん階段があり、参拝者は

 一度も対向する 他の人に出会うことなく、また一度も同じ道を通ることなく、一方通行で堂内を参ることができるという世界的にも珍しい建物です。(観光案内より)

  街のなかどこにでもたわわに実った柿の木を見かけます。 名産のあんぽかきを作るのでしょうか、軒先につるしかきもよくみました。

 

 今年もvivaとふたりで秋の旅行に東北に行きました。  会津若松は今年のTV”八重の桜”のおかげで大変な人気、ひとでのようです。

 観光、歴史探訪、天気が良ければ”大内の宿”の写真を撮りたいと、BLGのともにいろいろ相談しました。 おかげさまでゆっくりと楽しめました。

 ITM/HNDから東北新幹線にのりかえローカル線で会津若松にむかいました。  東北新幹線ではボーイが”はやて”、”しんがたこまち”、”はやぶさ”、

 ”あさま”、”ときMax”、”やまびこ”など以前から大好きで名前、かたちをよく知っています。 昨年は写真を送ったところ名前が違うと、大失敗でした。

 今回はお土産に”こまち”、”はやて”のクッキーの入ったおもちゃをたのまれてさがすのに大変でしたが、東京駅でやっとGET、ほっとしました。

 

  

 

  「八重の桜」、会津の歴史については

   武家屋敷でしっかりと見学しました。

   家老 西郷頼母さんの屋敷にて

              viva photo

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


写真クラブの撮影会で曽根天満宮に行きました。

2013年10月15日 | 写真・撮影会

                     

                      

 長さ10メートル余りの青い真竹が勢いよく本殿前に入ってくる。、竹割は一ツ物の神事に付随して行なわれる。

 昼宮には大幟をつけて一ツ物の先を行く。その役割は、一ツ物の先導と露払い. いつの頃からか地搗歌で囃し

 辻々で打ち付けるようになり、社殿での神式(じんしき)が終わって帰る際には、粉々に割られるようになった。

一ツ物(ひとつもの)神事は曽根天満宮秋季例大祭において最も重要な神事で 一ツ物とは、馬又は肩車に乗って登場する児童のことで、

額に「八」の字を描いている。 「万一の事故があっても他に変わることのできない唯一のもの」という意味と思われる。

神様の姿を具現化しており、祭りの期間中一ツ物頭人には神様が憑依ひょういし、神の意志として受け取っていたようである。

そのため一ツ物は馬に乗せたり、肩車をして地面に足をつけないように大切に扱われる。(観光案内から)

               

 

 

 
「屋台練り」は「ヤッサ」と呼ばれ、百数十人の若者に担がれて練りだされる。屋根に蒲団を三層に重ね、その四方に反りを持っている。
 

 

順番に宮入りを待っています。 先導役の竹、待っている間にいろいろと説明をしてもらいました。 自分のところのエビのことなど自慢でしょう。

一ツ物とは別に行事と呼ばれる児童、行事は烏帽子に浄衣じょうえ(白い狩衣)を着けていて、判然と区別されている。

一ツ物が神の意志を告げたとすれば、行事が聞き取り役であったと推察される。ともかくも子供を大事に大切にすることよくわかります。

 

   

              お面掛け神事。

   五升の重ね餅が2台と御神酒が2升供えられ、

   翁舞・仕舞が奉納される。

   曽根天満宮秋祭りのかくれた名物である。
 

 

 

 


長浜・国友火縄銃大会に行きました。

2013年10月13日 | お出かけ写真

                               

                             国友・種子島両鉄砲隊による火縄銃の競演は、迫力いっぱいです。

                             種子島に鉄砲が伝来した翌年の1544年、国友で鉄砲の製造が始まった。

                             国友は戦国時代、信長、秀吉、家康などの庇護を受け、大坂の堺とならぶ

                             一大鉄砲の産地として栄えました。

発砲すると鼓膜が破れそうなくらいとんでもない大きな音がします。種子島衆と国友衆が交互に撃ちます。

種子島衆の射撃は雰囲気に重みがあり、すごみが感じられます。 発煙で一気に何も見えなくなります。

国友衆の代表の方のすごい射撃です。 反動がとんでもないくらい大きいと思うのですが、さすが!!!!!

やはり筒の掃除、手入れがたいへんなようです。 危険を伴うのでしょう、真剣そのものです。

火縄に火をつけて順番を待ちます。  いまではライターで火をつけるとのこと、昔は大変だったことでしょう。

待っている間に精神統一、何か覚悟が感じられます、実際には戦争ですから、命がけですから。。。。。。

この鉄砲はまたまたすごい破壊力でしょう、火薬の残骸が飛び散ります。 体力のいる大仕事でしょう「。

手で持ってみるととても重く簡単には移動、構えなどできそうもありません。 きれいな飾り、家紋があります。

         

         これからも伝統を受け継いで、新しい国友の”エジソン”がでてくればうれしいです。


長浜・着物フェスティバルに行きました。

2013年10月13日 | お出かけ写真

                         

  ”観光案内”  パンフレットのようにお願いしました。

"長浜きもの大園遊会は、歴史と文化に彩られた長浜の市街地一帯を、全国から

集まった着物女性約1000人がそぞろ歩く日本一の着物イベントです。

参加者には海外旅行・高級きもの等豪華景品が当たる大抽選会や、

まちかどイベントなど様々な催しをご用意しています。

      古いまち並みに着物姿が映え、長浜が1年間でもっとも華やぐ1日です。 (パンフレットから)

  

 たくさんのカメラマンが”きれいきれい”と大騒ぎです。 外国の方も飛び入りで愛嬌を振りまいてくれています。 「きれいに撮ってくださいね!!!!」 ok、ok!

 

  このお二人さんに写真を撮ってほしいと頼まれ、少々ポーズをお願いしながら撮影しました。 きれいにとれたらWebにUPしてくださいねとのこと。

  お天気も良く皆さん楽しそうに秋をきれいに着飾って楽しんでいました。  このごろではスナップをとることが難しいのでこのような機会は大変に

  ありがたいことです。   受付を済ますと黒壁通り、市内をそぞろ歩きで神社に集合です。   カメラマンの数も負けず劣らず大変なものです。

  神社では1000人もの着物姿のj女性ばかり、圧倒されます、本当にきれいです。 すばらしい企画です、今後も続けてほしいものです。