楽しまなくちゃー!!! "Carpe Diem !"

趣味の陶芸、写真、園芸、ボーイとの交遊

陶芸作品ができました。ボーイの作品

2015年05月27日 | 陶芸作品

なまこ釉 益子土 土鍋風・みみつきさら (220Φ*50h)

 土鍋風・みみつきさら、メバルの煮付け皿を前回と同じ益子土、なまこ釉薬でつくりました。

前回は花柄、うずまき模様を化粧度土でうきあがらせましたが黒風になってしまいました。。

今回は粉引き化粧土を内側全面に塗りこみ、その上になまこ釉薬をしっかりと掛けました。

やっと思い通りのなまこのきれいなブルー変化がでました。 やはり益子土では化粧土で

下地処理がたいせつなことよくわかりました。 鉄分の多い土の場合は大切なことです。

みみつきさらとセットで、益子土、なまこ釉薬で小鉢をつくりました。 (90Φ*70h)

 ボーイが遊びに来てすぐに大きな皿のようなものを作っていました。

大きすぎるといったらすぐに半分にすればと切って2つにしました。

お月さんだから黄色にしてねとのこと、黄瀬戸釉薬をかけました。

学校に行くお守りにと、たまねぎをつくりました。

 

参考までに前回に作ったみみつきさらです。 サイズ、益子土、なまこ釉薬は同じです。

 

 ただいま冷麺鉢を作成中、しばらくは製作に時間が取れないのでゆっくりと什器でも作ってみましょう。

普段使いにと思っても簡単にはいきません、 使いやすさが大切、難しいものだと苦労しいています。

 

今回の写真はEOSM3で撮ってみました。 従来のマクロからすこし変化をつけたいと思っています。

 

 


撮影会で京都大原に行きました。

2015年05月26日 | 写真・撮影会

 新緑の京都大原に撮影会に出かけました。

天気もよく何はともあれ”外国の人”がいなく静かで良かったです。

 三千院の新緑は圧倒的に写真を撮る側に迫ってきます。最高のポイントです。

往生極楽院、わらべ地蔵の”光”にトライしてみました。

 茨城から修学旅行にきていた男子高校生のグループが傘をかざしてモデルなってくれました。

楽しい雰囲気と新鮮な風景でいい写真が撮れました。 ありがとうございました。 残念ながら載せません・・・・


 

初めての宝泉院でこの額縁写真を撮りたくて、・・・・・静かにお抹茶をいただきました。  五葉の松立派でした。


 

大原女・昼食のあと寂光院に行きました。 火災から15年、かなり古の趣を取り戻しているようです。

この寂光院にくるといろいろな歴史・物語を思い出します。 

ご本尊の地蔵菩薩像も立派に復興されていました。  

『平家物語』の大原御幸・諸行無常を思い出させます。  

    


 今までに何回か訪れているところですが、写真目的は初めてです。 歴史を思い浮かべながら風景と一体化

する気持ちよさは格別でした。 大原女の道をあるきながら子供が小さかったころに歩いたこと思い出しました。

今回はEOSM3でできるだけカメラまかせに自然な雰囲気がでればと、撮ってみました。

来週はこの近くの貴船神社での撮影会です。 がんばって久しぶりにEOS6Dで撮ってみましょう。

新緑の生きいきとした色合いが今回と比較できるでしょう。レンズに迷いはありますが・・・・・・・・・・

 

 


堀 文子展に行きました。

2015年05月17日 | 日記

「一所不住・旅」をテーマ

神戸で開催中の「堀 文子」展にいきました。 よく目にする絵があるとのこと

学生時代のバンド仲間サックス奏者”坂田明”との交流があり彼の愛するミジンコの

絵もあるのではと期待して出かけました。 vivaに誘われたからでしょうが・・・・・・。

イタリア・トスカーナでのきれいな山、花の作品には 昨年旅行したイタリアの

写真”トスカーナーの朝焼け”と記憶がだぶりました。

80歳をこえてからヒマラヤで幻のブルーポピーを探しスケッチ、した

きれいなブルーのはな、しかし茎には恐ろしいほどのトゲがあります。

現在96歳とのことそれぞれの年代で思いのたけを表現されているのは

大変な感動を覚えました。

「徹子の部屋」でみる青いドレスの「アフガンの女王」もみました。

初期の作品から最新作までおよそ130点を展示し、堀文子の芸術そして、人間像に迫ります

 ガウディも見たかったのですが、・・・

 
この美術館は安藤忠雄作品・不思議なエントランスです。

 休憩時間にEOSM3のカメラテスト AFはやや早い。

 色合いの区別、雨模様ではいまひとつ判断が困難です。柔らかさはOKでしょう。

 

 


堺の歴史探訪に出かけました。EOSM3テスト

2015年05月14日 | お出かけ写真

堺の中心・旧紀州街道の交差点・宿院 「チンチン電車」が生き生きと走ります。 

戦国時代、堺は貿易港として黄金の時代を迎え対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展しました。

当時の堺は世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。「東洋のベニス・堺」

さぞや立派な町並みがのこっているのではと期待してJR七道駅から散策をはじめました 。

 

十六世紀後半庶民の間に広まったタバコ。その葉を刻むタバコ包丁こそが江戸時代の堺の刃物の原点とのことです。

幕府の極印「堺極」を認められた堺のタバコ包丁は、全国で売られその名を高めていきました。  街中では刃物店をみかけませんでした。

ポルトガルから種子島に鉄砲が伝えられた直後、堺の商人が種子島を訪れ鉄砲の製法を学んできたことから鉄砲つくりが始まったとのこと。

  

 地図を片手に旧紀州街道を仁徳天皇陵の方に向かって歩いていきます。 ところどころに面影が残る建物に出会います。 線香の店

 

 江戸時代初期の庄屋の町家「山口家住宅」 大きな土間と土間に面した部屋、土間には大きなこいのぼりがかざってありました。

 

 初めて使うEOSM3のモノクロフィルターを試してみました。 F3.5ですがややボケ味がすくないようです。

 

 江戸後期から明治初期の寺子屋「清学院」 硯のかたちがまちまちで、苦労してあつめて勉強していたのでしょう。

 

日蓮宗「妙国寺」 電動大扉があり拝観料を払ってから庭園、宝物殿を案内、見学します。   写真は全くダメ・・・・記憶に残らない。。。。

ここで「堺事件」という大変なことを説明されました。 フランス水兵と土佐藩士のトラブルで双方で20人以上の死者がでて国際問題に

なり土佐藩士11人が切腹したとのこと。 横浜の生麦事件、神戸事件、下関事件のことは知っていましたが「堺事件」のことは初めてです。

日本史山川の教科書にもでてきません。 掛け軸、遺髪などなまなましく残されています。 大変ショックを受け帰宅してから調べました。

 

堺の町には豪商のなごりのりっぱな町並みがあるのではと期待して出かけました。 しかし、ところどころに面影があるだけです。

豊臣秀吉は大阪城を築城ののち、環濠を備えた武装都市を置くことは危険であったため、この濠の埋没を命じ、その面影なくなりました。

大阪夏の陣で豊臣方が堺の町を焼き払ったこと、戦争による火災消出など残念ながら街並み、旧紀州街道はおもわくはずれです。

気持ちを切り替えて、千利休、与謝野晶子の展示館、最近できた「利昌館」で歴史資料を見学しました。まだ堺観光地図にもでていません。

帰り道は民営第一号の阪界電車”チンチン電車”でゆっくりと街並みをたのしみながら天王寺まで。 とりあえずはEOSM3のテストでした。