楽しまなくちゃー!!! "Carpe Diem !"

趣味の陶芸、写真、園芸、ボーイとの交遊

思いがけない写真がでてきました New York

2020年06月02日 | 海外旅行

フィルムスキャンでデジタル処理

たくさんのフィルムが残っています 内容を確認して処理をします

スキャナーの読み取りで必要なものはキャプチャーします

高画質に設定すると5184*3456  3600dpi になります

なにはともあれ思いがけない写真が出てきました

30年以上前の1987年にニューヨークで"ASHRAEセミナー"に参加です

レポートは簡単に済ませたのでこれらの写真は使っていないようです

写真の日付は1987.1.22となっています 「ニューヨークの朝」

窓からセントラルパークを見下ろすホテルはEssexHouseでした

ニューヨークのコンベンションセンターで数日過ごしワシントンに移動です

当時は日本でもインテリジェントビルのブームの時期で超高層ビルに

生産性向上のために情報活用を盛り込んだ”かしこいビル”の出現です

ワシントンに移動の日は大雪で飛行機が使えずアムトラック(新幹線)での移動です

デジカメはなっかたはずでどんなカメラで撮ったのでしょうか 記憶がありません

写真は単に記録として撮っただけでしょうがなんとかなっているようなフィルムおかげ!!

ツインタワービルが主流で模型 機械などの展示 セミナーで情報収集

やはり当時のコンピューターを使ったシステムは物珍しかったし

魅力的なことがたくさん盛り込まれて新鮮な感動を覚えています

ビルの外観をたくさん歩いて見学しました トランプタワーが丁度できたところでした

夜はよくは覚えていませんがブロードウエイでミュージカルを観ました

AT&Tで大型のサーバーがたくさん並んでいます 圧倒されたこと覚えています 大変ですよ!!

期間中にAT&T訪問です 今思えばインターネットの説明だったのでしょう

説明の最後にここでEnterkeyをおせばニューヨクでアパートが借りられると

この説明には驚きその時の思いをもって帰国後すぐにPC通信をはじめました

ワシントンで何を撮ったのかよくわかりませんが日本との工事の仕方が気になったのでしょう

ニューヨークからアムトラックでワシントンに移動です 3Hr位です

観光目的だったのでしょう 特に何も覚えていませんが

スミソニアン博物館

あまりに広すぎて人工衛星のところだけで時間いっぱいです

 

このツアー参加の当時は超多忙で日夜仕事にあけくれていました

息抜きのつもりで参加を勧めてくれた上司のご褒美だったのでしょう

AT&Tでの強烈なショックを持ち帰りそれからはコンピューターは

単に計算機ではなく通信器だとすぐにパソコン通信をはじめて今日

までインターネットを利用することが仕事日常生活に役立っています

今回のブログ編集は写真が映し出されるたびに心動き記憶をたどって

思い出せないことの方がはるかに多いことですがいつもより相当に

時間を費やしました ”記憶だけが頼り” 楽しい時間 疲れでした

 

テロリストのように一方的に襲撃してくるのではないが

ウイルスは嫌な奴だ 近づかない 近づいてほしくない

 


北イタリア旅行・ストレーザ・マッジョーレ湖 (no.10)

2014年09月01日 | 海外旅行

マッジョレー湖の「イゾラ・ ベッラ島」  ボッロメオ宮殿と階段状のバロック庭園 (長さ300m 幅180mの 手のひらに乗るような小島)


島にはボッロメオ家のボッロメオ宮殿と階段状のバロック庭園(4 ~ 10月のみ開園)が存在し、イタリアバロック建築の傑作。

ボッロメオ家の カルロ3世が ” 妻への愛の証しとして ”建てたものですが、実際は 迎賓館として 自分のパワーを世間に見せ付ける 

恰好の道具となりました。また大理石と貝から造られたグロッタと呼ばれる地下に洞窟があり、グロッタは「グロテスク」という言葉の語源。

1797年にはナポレオン・ボナパルトも同島に逗留した。現在は観光地化されており、お土産店、レストラン、主要な見学施設となっている。

イギリスのチャールズ皇太子夫妻も新婚旅行で立ち寄ったとのこと。 残念ながら内部は全くの撮影禁止でせっかくの豪華な装飾品の数々

スタッコ装飾、フレスコ画、絵画、タペストリーなど それぞれの時代の頂点の作品で 華やかに彩られています。 

 17世紀の 技術の粋と芸術的エスプリを融合させた  豪華な宮殿の島の雰囲気が目で見ただけの記憶でしかないのは何とも残念。

小さな島に ” あらゆる イタリア文化の粋 ”が 凝縮していたことも 本当に 驚きでした ~! 

 

 ベスカトーリ島 ここにも宮殿があります。 (3つの島があります)   ベッラ島に10分くらいで到着です。

 

 巨大な木の門をくぐって園内に入るとすぐに白いクジャクの親子がお出迎えです。 

羽を広げて!! 追っかけてみましたが・・・・

   

 白いクジャクが羽を広げそうになっていますが、この島の紋章のユニコーン(一角獣)がいたるところに見えます。

 

階段式のバロックの庭園の表側です。庭園には 多種多様 エキゾチックな木々が生い茂り、優しい香りを漂わせる尖塔や人物像が林立して 

何やら 不思議の国に迷い込んだような気分 ・・・  裏側にも階段式の庭園があります。

  

 フランス様式のような幾何学模様の庭園          頂点にはユニコーンが、全体を見下ろしています。

 

 

  お土産物やさんが細い路地に立ち並んでいます。 昼食はチゃ-ルズ皇太子夫妻もたちよったレストランで、

細めのパスタ、とてもおいしかった。

   

 グロテスクを意識しているのでしょうか、なんとなくいつものお土産屋さんの通り、雰囲気とは違うような気がします。

   

  絵葉書も売っていない徹底した秘密主義??? 現在も使われているからでしょうか。 ストレザーの町に帰ります。

   

 狭い町ですが、いろいろな言葉が聞こえてきます。 ジェラートを食べてスーパーで食品のお土産を、皆さんおなじようなことです。

  

 夕食は自由行動でしたが、添乗員さんの計らいでピッツアを食べたいとのリクエストでおいしい店に出かけました。

  

 レジーナ・パレスホテル 最後の夜を迎えました。            ベッラ島のライトアップ、クロスフィルターで撮ってみました。

 

 朝早くミラノ空港に向かいます。 例によって帰りは雨に送られて。    フランクフルト空港、これからルフトハンザ航空でKIXに帰ります。

 「viva photo」 

今回の北イタリアの旅行は古いヨーロッパの歴史からはじまり、自然、文化など十分楽しめる内容でした。 特にイタリア人を夫に持つ若き

添乗員さんのやさしい説明、癒しの言葉が旅慣れたメンバー11名の皆さんにも大変喜ばれました。 ホテルも食事も申し分なく大満足です。 

写真の機材選択には事前に準備したつもりですが、自然のきれいな色合いを求めるとやはりフルサイズがいいのでしょう。 街歩きにはG1Xで

十分きれいな画像でA3拡大も問題なさそうです。 ともかくもトリミングなしでを心がけましたので、解像度には満足しています。

vivaも自分で場所選びを少々できるようになったのでしょう。 二人の目線が違うものを撮っている写真が少ししくらいは、あるようです。

 (blg使用写真:180枚)

 


北イタリア旅行・イタリア アルプス (no.9)

2014年08月29日 | 海外旅行

           ブルー湖からながめる 「モンテ・チェルビーノ」(イタリア語)、マッターフォルン (4478m)

今回の旅行の大きなテーマはスイス・アルプスをイタリア側・南から眺めることです。 まずはマッターフォルンをチェルビーノの町から

見上げました。 丁度反対側はスイス・ツェルマットで標高もほとんど同じです。 ずっしりとした安定感のある姿はまさに”座したる巨人”

メンバーの皆さんスイス側からの眺めた経験のある人ばかりで、やはりどちらもマッターフォルンはすごい、”モンテ・チェルビーノ”に感激。

    2011.06 スイス・写真と比べてみました。

 

標高2050mのチェルビニアから眺めるアルプスの山々です。どの山も3000m以上はあるので頂上までは1000m以上あります。

スイス側から見たときにはヤギ、ヒツジなどの放牧が見られました。 イタリア側はスキー、自転車競技などが盛んなようです。

 

 日曜日でもあって朝早くから自転車レースに参加する人がホテルからスタートに向かって出ていきます。3500mから一気に下るレースとのこと。

  

 朝食の後ブルー湖に再度出かけて逆さマッターフォルンを見に行きました。晴れの天気できれいな写真が撮れました。"thank you fine ladys"

 

 高速道路で途中で古代ローマ遺跡のあるアオスタを通りモンブランの登り口のあるクールマユール、ラパリュ(標高 1370m)へ向かいます。 

このあたりにイタリア側入り口があるモンブラントンネル(11.8km)がありイタリアからフランス・シャモニーへ抜ける重要な交通ルートです。

 モンブランも 北側・フランス シャモニーと南側・イタリア クールマユールで山頂を挟んで背中合わせになっています。

  2011.06 スイス写真と比べてみます。

 

   (イタリア語:モンテ・ビアンコ)     モンブラン (フランス)    ヨーロッパ最高峰 4807m

2014.07.27 イタリア・リフージオ・トリノ展望台(3335m)       2011.06.27 フランス・シャモニー エギューイ・デュ・ミディ展望台(3842m)

 

リフージオ・トリノ展望台はたくさんの人です。 寒さの中ここでも日光浴をしている人がいます。     山の天候はすぐに変わります。 

 

                             グランドジョラス    ヨーロッパ3大北壁 標高:4206m

2014.7.27 イタリア・リフージオ・トリノ展望台(3335m)          2011.6.27 フランス シャモニー エギュイ・ディ・ミディ展望台(3842m)

 

 険しい場所にさらに展望台が建設されています。2段目のロープウエイは小さくて支柱のないロープを山頂に向けてほぼ垂直に上っていきます。 

 下りに途中ロープウエー乗換駅(2173m)で屋外高山植物園に寄り道しました。 女性は急にフラワー・カメラマンになり夢中です。

 

「viva photo」

  

 

これから高速道路でいよいよ最後の目的地 北イタリア屈指の高級リゾート地”ストレ-ザー”に向かいます。   マッジョレー湖畔に連泊です。

 


北イタリア旅行・ジェノバ、トリノ街歩き (no.8)

2014年08月25日 | 海外旅行

 フェラーリー広場、都市国家時代のドカーレ宮殿

紀元前6世紀にはリグーリア人が住んでいたとされるジェノヴァは、ローマ帝国時代以前から海運を利用した交易活動を行い、
 
地中海を守る役割を担ってきました。  1100年頃に自治都市となり、ピサやヴェネツィアと並ぶイタリアの四大海運共和国の
 
権勢をふるいます。(海軍の国旗の4つの紋章)最強と言われた船団を擁し、黒海での通商を独占するなどして富を得たジェノヴァは、
 
"誇り高き都la Superba"とも呼ばれていました。

 

 アメリカ大陸を発見したコロンブスが14世紀半ばに青年時代を過ごした生家です。偉大な成果の割にはあまり裕福ではなかったそうです。

 

              ガリバルディ通り:建物とその使い方を含めて世界遺産に登録されています。(珍しい登録方法です)

ジェノヴァ共和国時代の16~17世紀に、都市計画に基づいて造られた通りで、たくさんの宮殿が並んでいます。海上貿易で繁栄していた

ジェノヴァ共和国の中でも、特に財力と権力を持った富豪達がここに宮殿を建て、これらの邸宅群は「パラッツィ・ディ・ロッリ」と呼ばれています。

国外からの重要なお客様をおもてなしする宿として登録されており、賓客の位によって、どの邸宅でもてなすかが振り分けられたそうです。

 

 白の宮殿:ブリニョーレ‐サーレ家が建てた宮殿。内部が美術館。    赤の宮殿:ブリニョーレ‐サーレ家の宮殿。こちらも内部は美術館です。

 サン・ロレンツォ大聖堂   白と黒の大理石の縞模様のファサードは、13世紀頃につくられたゴシック様式です。内部の宝物館には、

 キリストが最後の晩餐で使ったと言い伝えられている聖杯が収められています。(話掛けです) 天井画がとてもすばらしい。

 

 ヨーロッパ最大級のジェノヴァの水族館がありミラノ、トリノなど北イタリアの産業都市を背後に持つジェノヴァ港はイタリア最大の貿易港であり

EXPO会場になったポルト・アンティーコとそのシンボルのBigo。 Bigoはジェノヴァ方言で、船の積荷を下ろすためのクレーンの名称です。

 

「これからトリノに移動します」

トリノ」というイタリア語が「小さな雄牛」を連想させることから、街の紋章として雄牛が使われるようになり至る所に雄牛のシンボルを見ることができる。

トリノ市内は道路が碁盤の目のように90度に交差する、至って分かりやすい街並をしている。これはローマ帝国時代の建築の名残で、帝国崩壊後の暗黒時代

以降も、礎石が破壊されることなく生かされてきたものである。首都がトリノからローマに移りFIATなどの発展で工業都市に変わっていった。

  

 サンカルロ広場、カステロ広場をとって王宮  サボイヤ王国時代の宮殿。(トリノがイタリアの首都であった時代)

政治力と財力を共に備えたフランス貴族サヴォイア家がトリノに初めて居城を構えたのは1280年。1560年にサヴォイア家がトリノへ遷都したことで、

トリノは歴史上最も長く栄える貴族家の支配する王国の首都となる。その後、フランスの影響を色濃く受けて行く。

トリノに来たら何としても ”ドゥモ” に立ち寄って観たいものがあります。(未公開) 当日は結婚式が始まるところでした。

 聖骸布は、キリスト教でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。(ドゥオモ、ビデオ画像)

「双子の教会」   大変きれいな広場、街並み、言葉も上品なイタリア語とのことです。 やはり元首都ですか!!

トリノの旧市街を走る、何本ものアーケードは、サヴォイア貴族が「雨に濡れずに街を歩きたい」として建設したもの。
 
有名な・アル・ビチェリン ・小さな趣あるカフェ。この店生まれのチョコレートドリンク「ビチェリン」は今やトリノ名物ホットでとてもおいしかった。

 トリノからバスでマッタフォルンの見える「チェルビニア」(2458m)に向かいました。 途中逆さマッタフォルンの「ブルー湖」によってみました。

夜運よくマッターフォルンの夕焼けを見ることができました。 スイス側からみるよりどっしりとしています。孤高の巨人、座したる巨人・・・・・・・・・

 明日はモンブラン、マッターフォルンをイタリア側(南側)から展望台にあがってみます。 これも期待のテーマです。 天気を祈る!!!

  「viva photo」 

  

 


北イタリアの旅・要塞の村・チンクエ・テッレ(no.7)/リビエラ海岸

2014年08月10日 | 海外旅行

 チンクエ・テッレ 二番目の村 「マナローラ]

チンクエッテレで一番のワインの産地、海に張り出すように岸壁の上にたったいろとりどりの家並みは奇跡です。

 

 「海洋国家戦略」によってその隔離された環境から他の地域の影響が及びにくく、国内の団結力を維持し、海上交通力と

制海権を握ることで、貿易によって国の発展と存立に貢献してきた地域の人々の生活は大変だったことでしょう。

(イタリアにはジェノバ、ヴェネチア、アマルフィ、パル 4大海洋国家)

平地がなく、土地も痩せているチンクエ・テッレで、人々は急斜面の固い岩盤を砕いて石垣を築き、岩盤を砕いた際に出た砂を土壌

にして畑を作った。この痩せた土地に根付いた作物がブドウである。 人々はこのブドウからワインを醸造して生活を成り立たせた。

ブドウ畑を守る為には土台となる石垣の修復は欠かせない。 古い石垣は雨と風の影響で崩れやすくなっているからである。

 ここで育つブドウは、あまりたくさんの実をつけない  。しかし、そのぶん味が凝縮したコクのあるワインが産まれた。

それは古くからジェノヴァの商人によって、広く輸出されていた。多くの貴族、王子、王たちがそのワインをテーブルに

置くことを大きな誇りにしたとのこと。 (観光案内より)          有名なシャッケートラ - 甘口のワイン飲んでみました。

 

 チンクエッテレで一番のワインの産地、海に張り出すように岸壁の上にたったいろとりどりの家並みは奇跡です。

 

 海では勇気を試すように次々と高いところからとびこんでいます。 

   

 昼食を済ませてまたローカル電車に乗って最後の村「ヴェルナッツア」にむかいます。 白ワイン”シャッケートラ - ”とても甘く、高かったです。

 

チンクエ・テッレ 三番目の村 「ヴェルナッツア」

多くの文人や画家に、”チンクエ・テッレの魅力の源” とうたわれた町

  

 2011年大洪水で建物が大きな被害に遭い現在も修復中です。     村のシンボル、アンティオキアの聖マルゲリータ教会があります。 

  

 石段をのぼって国旗を、大変です。        町の中にクールスッポトが???          暑さでみなさんばてぎみです。

 太陽がいっぱいのイタリアの夏を十分堪能して、きれいな写真が撮れました。 レバントからバスに乗り換えて海洋都市”ジェノバ”にむかいます。

[viva photo]