楽しまなくちゃー!!! "Carpe Diem !"

趣味の陶芸、写真、園芸、ボーイとの交遊

宝塚民話 no 2.1 鹿の鏡井戸

2022年06月07日 | 宝塚民話巡り

宝塚民話 no 2.1 鹿の鏡井戸
甲山のふもと仁川の下流に、鹿塩という里があります。奈良時代のころのことです
都のある奈良の春日大社には、各地域から
鹿が神の使いの手伝いをするために集まっていました 
この鹿塩の里にも鹿がたくさん住んでいて、
そのうちの一頭の雄鹿が春日大社へかけつけていきました
 
この年もまた、里の熊野神社のお祭りの日が来ました。
お祭りの日には毎年、春日大社の使いが、お供物を
持って来るならわしになっています
祭り太鼓がなりだすと、太鼓の音に呼び寄せられたように、
雄鹿と雌鹿がやってきました
背中にいっぱいのお供物を積んでいます。雄鹿はこの里の鹿で、
春日大社の神様の使いを受け、雌鹿を連れて久しぶりの里帰りです
 
熊野神社の神様にお供物を渡すと、二頭の鹿は祭りの輪に加わりました 
里の人たちは労をねぎらい、珍しいものをたくさんごちそうしました
里の人々の歓迎を受け、謡い踊っているうちに雌鹿は旅の疲れが
出たのでしょう 眠ってしまいました
 
雄鹿は、寝ている雌鹿を起こすのはかわいそうと、
そのままにして、昔の友達に逢いに出かけました
 しばらくして目を覚ました雌鹿は、雄鹿がいないのでびっくりして、
あちこち探しましたが、いくら探しても雄鹿は見つかりません
 
知らない土地です 心細く、かなしい思いで神社の裏山まで
来ると井戸がありました
 のどの乾きを覚えた雌鹿は、かけよって井戸を覗きました
するとなんと、そこに雄鹿がいるではありませんか 
喜びの声を一声あげると雌鹿は井戸に飛び込んでしまいました
水面に写った自分の姿を、探していた雄鹿と見間違えたのです
 疲れていた雌鹿は溺れて死んでしまいました
 
そのことを知った里の人たちは大変悲しみ、
雌鹿のしかばねを丁寧に塩で包んで、
「かなしくも みるや雄鹿の みずかがみ」
という歌を添えて、春日大社へ送り返しました
 
それからしばらくして、帰ってきた雄鹿は、
雌鹿のことを聞いて大変悲しみ、
自分のおろかさを嘆き、悔やみましたが、
雌鹿は帰ってきません 
食べ物も食べず、井戸の回りをウロウロするばかりです
 
ある朝、里の人が行って見ると、井戸を抱くようにして雄鹿は死んでいました
 里の人たちは二頭の鹿の愛情の深さを思い、塚を建てて霊を弔いました
その塚を「鹿の一里塚」と言います 
そして雌鹿を思い、お祭りには塩を一切使わなくなったことから、
このお祭りを「しおたち」・「しおたち祭り」と呼ぶようになりました
 
そして雌鹿の覗き込んだ井戸を「鹿の鏡井戸」として今に伝えています
また「鹿塩」の名も鹿を塩付けにしたところから、
付けられた名であるとされています
本文は以下です
https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/.../100.../1003689.html
 

宝塚民話 no.1.1 仁川の大池

2022年06月07日 | 宝塚民話巡り

宝塚民話 no.1.1 仁川の大池
むかしから、池や沼には「ヌシ」といって水の精がいると言い伝えられています。
仁川にある鹿塩の池のヌシは坊主頭だったので「坊主池」と呼ばれていました

また、暑い夏がやって来ました。 
鹿塩の子ども達は今年もこの池で水浴びをしようとやって来ました。
昨年、池のヌシに水の底へ引きずり込まれ、
もう少しでおぼれ死ぬところだった次郎坊は
「今年もヌシが悪さしよるかもわからん。気いつけや」
「こんど悪さしたら、みんなでこらしめたろうな」
ごん太もひきずり込まれかかったことがあるのです。

遊びに夢中になり、ヌシのことを忘れてしまった時
「キャー、助けてー」太郎坊の声です。
太郎坊の手が、水面から消える瞬間に次郎坊とごん太は
やっとのことで助けることができました。

翌朝、里の子らが集まって相談が始まりました。
「このままでは安心して水浴びもできん」
「なんとかして、ヌシをこらしめねばならんぞ」
相談がまとまりました。次郎坊とごん太の腰に綱をしばり、
二本の綱はよられて一本となり、
里の子ら全員が持ちました。太郎坊が指揮者です。

次郎坊とごん太は長い一本の綱のはしをそれぞれ持ち、
水の中に入り、おぼれかかるまねをしました。
するとどこからともなく、ヌシがやってきて、
次郎坊の足をつかみました。

間いっぱつごん太はヌシの回りを泳ぎ、
綱でグルグル巻きにしました。
太郎坊の合図で子どもらは、綱を引き始めました。
ヌシはとうとう岸に引きずり上げられてしまいました。
子どもらに囲まれたヌシは坊主頭をかきながら、
「悪気があってのことではないんや、
君らも坊主頭やろ。それでな、おれの友達かと思い、
遊びたかっただけなんや。
これからは気いつけるさかい許してくれ」と、あやまりました。

子どもらに許され池に帰ることになったヌシは、
「今度から池で泳ぐ時は、わしの友達と間違えんように、
頭にトンボをのせといてくれや」といって帰っていきました。

それからは鹿塩の里では「鹿塩のトンボ」といって、
男の子が生まれると、
頭にトンボを置いて、水難をはらう風習があるそうです。
本文は以下です
この写真は宝塚市のオープンデーターを利用しています
 

宝塚民話No.2-5 中山寺の弥助

2022年02月22日 | 宝塚民話巡り

少々長いので文頭で右クリックで ”ここから音声で読み上げる”

宝塚民話No.2-5 中山寺の弥助
 
今から百年以上むかし、明治のはじめの頃のこと。
中山寺に弥助という大変正直な寺男がいたそうです。
弥助は諸国巡礼の途中、中山寺まで来て、どう気が変わったのか、
そのまま居着いてしまったのだそうです。
 
寺では弥助がどこから来たのか、素性さえもわかりませんでしたが、
境内の掃除、寺の使い走りとよく働き、そのうえ正直者の弥助を重宝がり、
そのまま住まわせていました。
 
それから何年もたち、弥助も年を取って体も弱り、今日か明日とも
知れぬ体になりました。
看病していた一人のお坊さんが「昔から人は生まれ変わるとよく言われるが、
このように仏のような正直者の来世はどうなるのか見てみたいものですね」と
言い出しました。
 
「一度試してみてはどうだろう」ということになり、弥助が息を引き取ると、
右の手のひらに「中山寺の弥助」と書いて丁寧に弔いました。
そして、供養の為に地蔵菩薩の像を境内に建てました。
 
それから一年程たったある日のこと、酒造りで名高い灘の主人と名のる
立派な身なりの人が供をつれて中山寺を訪ねてきました。
その人がいうには「この者は私共の番頭です。

どうしたことか、
この家に生まれた男の子の右手が硬く握られたまま開かないと相談に来ました」
「そ、そうなんです。手のひらを洗ってやろうとしても、洗えませんし、
それよりも、一生このままだったらと心配で、心配で……」
 
「そこで祈祷師に頼んで無理やり手を開いてみると、右の手のひらに
“中山寺の弥助”と書いてありました。
何度洗っても、何でこすってみても字は消えません。
 
それで祈祷師がいうには、それは前世の人の名であろう。
その人のお墓の土でこすると、消えるはずだということで、こちらを訪ねれば
その人のお墓がわかるのではないかと思い、お訪ねした訳でございます」

そこまで聞くと、和尚はびっくり「まさに弥助の生まれ変わりじゃ。
ほんとうに良かった、良かった」と弥助の生まれ変わりの良さを喜びました。
 
正直者で働き者の弥助さんの話を聞いた二人の男達は、さっそく弥助さんの
お墓の土を持ち帰り、赤ん坊の手のひらをこすってみると、
なんとも簡単に文字は消えてしまいました。
 
番頭さんは安心し、「この子もきっと弥助さんのような正直者で
働き者になるだろう」と大喜びだったそうです。
 

「宝塚民話巡り」はこれで一段落としましょう!!!

 

 

 


宝塚民話No.1-12 おしゃりさん

2022年02月18日 | 宝塚民話巡り

宝塚民話No.1-12 おしゃりさん

中山寺に「おしゃりさん」といって身の丈が三尺の神代杉で作られた、

荒削りの僧の座像が伝わっています

この像は、雨乞いをするときに用いるもので、明治の始めの辰年の

旱魃の時にも大変な御利益があったということです

雨乞いの祈祷は、本堂で行われますが、その像に白粉を塗り、

祈祷を行う僧はみな水色の袈裟を着けます

祈祷が終わると、像は卜部左近のお墓のそばを流れる足洗川につけられて、

白粉を流し、儀式は終わるのです

あるとき、寺の番人をしていた安兵衛という人がいましたが、親子でふざけていて、

たわむれにこの「おしゃりさん」の頭をコツコツと叩きました

するとたちまち北の空がまっ暗になり風雲が出て来たと思うや、

ドットと雨が降ってきました

さあ大変、みるみるうちに川の水かさは増して行きます

里に急を知らせに言った安兵衛の親子は行方不明になりました

翌日、雨が上がると、ずっと下流で、二人の・・・・・・・・・

悲しい物語です
本文は以下です
https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/.../100.../1003694.html

宝塚民話No.1-11 巡礼街道の狐

2022年02月15日 | 宝塚民話巡り

宝塚民話No.1-11 巡礼街道の狐
 
むかし村人が「巡礼街道」と呼んでいた街道は生瀬から池田を通り西国街道と
 
交わって大勢の人が利用していました
 
中山から山本までの間には両側に大きな松が生い茂って昼間でもうす暗く
 
あまり気持ちの良い場所ではありませんでした
 
江戸へ向かおうと三田の殿様一行がこの場所へさしかかるとお供の侍達は
 
下にぃ下に」と一段と声を張り上げて行きました
 
すると向こうからも供侍を連れた行列がこちらにむかってくるではありませんか
 
やや、どこのお殿様の行列であろう 何も聞いておらんぞ」と言っている間にも行列は
 
どんどん近づいてき肩がふれあう程になりました
 
腹を立てた三田藩の侍大将が「無礼者っ」と相手の大将らしい男に太刀で
 
切りかかるやいなや相手の行列はパット消えてしまいました
 
三田藩の侍達はそりゃあ、もう腰を抜かさんばかりに驚きました
 
そして気を落ち着かせよくよく見るとびっくりするような老狐がひっくり返っているではありませんか
 
「この老狐め、みね打ちじゃ。しっかりせい。」とどなりつけたら気がついた老狐は
 
スタコラサッサと、すっとんで逃げて行きました
 
その格好のおかしいことといったらありません 殿様はじめ皆で笑いころげたそうです
 
それにこりて狐は出なくなったかって・・・・・・・
 
それがそれからもちょくちょく出て来ては旅人をばかにしたり驚かせていたようですが
 
ちょっと調子に乗り過ぎていたのでしょう
 
最後にとうとう・・・・・・・・