天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

フーバー著『裏切られた自由』大西洋憲章遵守の約束したスターリンは「誰が紙に書かれた約束を信用するか?」

2018-10-14 12:41:51 | 日記
今日の日記も、度々の投稿ハーバード・フーバー著『裏切られた自由 フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症【下】』で書かれた、ロシア革命後のソビエト連邦の熾烈な権力闘争に勝ち抜いたスターリンの1931年に発した声明の事です。添付した写真は、1943年12月1日開催されたテヘラン会談の頃のスターリンです。
この著書には、テヘラン会談(アメリカ・イギリス・ソビエトの首脳が1943年12月1日にイランの首都テヘランに集まった会議)でスターリンが、大西洋憲章(1941年8月14日に出された声明で「世界の侵略的国家を武装解除し、民族自決、言論の自由、信教の自由、恐怖からの自由を獲得する為の普遍的な原則」とルーズベルト大統領が発言)に、言及しています。その声明に対する誠意度に、フーバー前大統領は大いなる疑問を強く抱いていました。以下に、そのスターリン声明に関連する彼のとても卓見した記述を、以下に一部引用掲載します。
『1943年12月1日、テヘラン会議でスターリンは、大西洋憲章に以下の言葉で言及した。
<合衆国、ソビエト連邦、大英帝国は、イランが平和が平和を願う他の国々とともに、大西洋憲章の理念に従って、国際平和の樹立に貢献するよう希望する。憲章は関係4カ国すべてが承認しているところである。>
この大西洋憲章が発表された後、ルーズベルト大統領は憲章への忠誠を20回以上語っている。チャーチル首相は10回、スターリンも11回も繰り返している。共産主義者の大西洋憲章への忠誠の言葉など、レーニンの教えやスターリンがしばしば口にした忠誠の誓いを知る者からすれば、それを守ることなど期待すべきではなかった。スタリーンは、1931年に次の声明を発している。
<愚かな官僚は別として、誰が紙に書かれた約束事を信用するだろうか?。共産党、そしてその指導者の評価は、いかなる声明を出したかで決まるものではない。何をしたかで決まる。声明文書をありたがるのは、書庫を駆けずり回るネズミくらいのものである>
テヘラン会談で、三首脳は大西洋憲章の遵守を再確認した。しかし、大西洋憲章(の精神)が死んだのは、このテヘランであった。』
この記述を興味深く読んで、このフーバー前大統領の卓見した歴史的な洞察に、私は今大いなる敬意を払っています。当時の日本政府は、共産主義者スタリーンの本性を見抜く事も出来ず、空約束(スターリンは「誰が紙に書かれた約束事を信用するだろうか?」と語る)の日ソ不可侵条約を一方的に信じ込み、ソ連に全く無理で無駄な太平洋戦争の和平の仲介を依頼していました。当時の日本政府高官は、その外交能力が全く欠如していたのです。
スターリンが語ったように、「共産党指導者は何をしたかで評価される」をソビエト連邦は強く実践し、朝鮮半島の北半分を共産化し、千島列島を帰属させ、新たに北方4島を領土化したのです。スターリンが語ったように、空約束の日ソ不可侵条約をありたがるのは、「書庫を駆けずり回るネズミ」の日本政府だったのです。
そのスターリンの発した言葉は、現在のロシア最高指導者・プーチン大統領にも面々と引き継がれているのです。だから、安倍首相も太平洋戦争当時の指導者の二の舞だけは避けてほしいと、私は今強く願っています。

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