天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

本日読売新聞朝刊「昭和時代第5部1980年代」野口悠紀雄一橋大学名誉教授証言は経世済民を全く理解せず

2015-11-07 19:33:19 | 日記
今日の続編日記は、本日読売新聞朝刊記事・昭和時代第5部1980年代(1980~89年)での証言『間接金融行き詰まりの末』を投稿した”早くからバブルに警鐘を鳴らした一橋大学名誉教授の野口悠紀雄さん(74)”の口先批評家だけの全く無責任なコメントの事です。以下に、そのコメントの一部抜粋を引用・掲載します。
『私は1987年、雑誌(週刊東洋経済・近代経済学シリーズ)に、”バブルで膨らんだ地価”という論文を掲載した。・・原因は、日本銀行の金融政策にもあるが、戦後経済の転換点にあったことが根本だ。・・私の論文は当時、経済学者からも激しい批判を招いた。日本経済は成長し、土地に対する需要も増え続けており、地価が上がるのは当然という考えが支配的だった。人はバブルの渦中には、これがバブルだと認識できないものだ。』
この野口悠紀雄一橋大学名誉教授は、相変わらずの無責任なコメントを記事で披露しており、この記述を読んで、私は強い憤りを抱きました。彼は、安倍政権のアベノミクスを完全否定して、株価2万円超えもこの効果では全くないと断言している、デフレ礼賛のインフレによる経済成長を否定する、全く国民の幸福を考えない些末な学理だけを追求する机上の空論を優先する経済学者です。その姿勢は、全く当時から何も変わっていません。逆に、このような主張が、世の中を不安に陥れる弊害を、彼は全く理解していません。
経済とは、福沢諭吉が命名したように、【経世済民】が大原則です。もし、いち早く”バブルで膨らんだ地価”という主張を強く推し進めるなら、その対処法(民を救う・済民)を明示するのが”経済”学者の重要な責務ではないですか。バブル崩壊の責任を、日本銀行と融資した銀行に転嫁(結果責任)するだけなら、誰にでも出来ます。
私自身も1986年に藤沢に住宅を購入して、バブル崩壊を目の当たりに実地体験しています。今でも、購入した時の地価まで戻っていなくても、何も泣き言を言わず頑張っているのです。だから、”それみたことか!”と何も方策を示さず国民を突き放すだけの経済学者など、私はその存在を全く認めません。
そして、現在も続いているコラム(週刊東洋経済・近代経済学シリーズ)を、即刻、出版社が中止するべきだと、今強く確信しました。
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