天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

佐藤剛著『上を向いて歩こう』週刊朝日でメロディが先・歌は犬が鳴くと嘲笑さる坂本九の悔し悲し如何許りか

2015-05-04 14:05:02 | 日記
今日の日記は、数年前の札幌別宅滞在での”晴耕雨読”ではなく”雨無晴読”を実践して今読んでいる佐藤剛著『上を向いて歩こう』(岩波書店2011年刊)で書かれた1963年『週刊朝日』での朝日新聞編集者だった劇作家・飯沢匡氏の間違った捏造記事のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、朝日新聞社の捏造報道体質は50年以上前からあったと確信した記述を、この著書から一部引用・掲載します。
『発行部数数百万部を誇り、当時の社会では多大な影響力を持っていた雑誌「週刊朝日」の1963年12月27号の巻頭に掲載された”この一年、時代の照明を浴びて登場した、話題の人々を取り上げて”での朝日新聞の編集者出身で劇作家・飯沢匡氏の「上を向いて歩こう」制作秘話の余りにも無責任な発言の唖然としていまう。
・飯沢”これは強調しておきたいんだけれども、あれがアメリカで受けたのは、九ちゃんの力じゃないですよ。作詞の永六輔でもないですよ。中村八大の作曲がいいんです。九ちゃんの声はどうでもいいんで、イヌが鳴いていると同じことなんだから。中村八大がボロロンとやると、永六輔がつけるんです。歌詞の【ムーイテ】はラッキョウをむくみたいな、そんなのないですよ。これをみても、メロディが先だということがわかるんです。”
音楽についての専門家でないことを割り引いたとしても、怒りを禁じ得ない内容である。飯沢匡氏の事実認識がすべての面において、根本から間違っていたところに、致命的問題があった。当の中村八大本人は、詞が先にあって後から曲を付けたと明言しているのだ。この時、「イヌが鳴いていると同じ」と嘲笑された坂本九の悔しさと悲しさは、いかばかりであっただろうか。事実はこの記事で語られていることと、全く真逆だったのだ。こうして、ひとつの楽曲と一人の歌手の為した音楽史に残る偉業は、当時は全くといっていいほど、正確には伝えられなかった。しかし、その坂本九はこのような嘲笑に反論もせず、1962年7月1日号「週刊明星」でのインタビューで
”でももう「上を向いて歩こう」はぼくだけの歌じゃない。世界中の人の歌なんだ。世界中の人へのすばらしいメッセージだと思いませんか。ぼくはそのメッセンジャー・ボーイになれただけでも、光栄ですよ。』
私は1953年生まれですので、日航機墜落事故で亡くなった歌手・坂本九さんのことをリアルタイムで良く知っています。でも、この当時の雑誌「週刊朝日」の捏造記事は、全く知りませんでした。この著者と同じように、この劇作家・飯沢匡氏の発言と発行元の朝日新聞社に、私は今大いに噴飯しています。
心優しい九ちゃんが、「イヌが鳴いていると同じ」と劇作家から嘲笑されても、永六輔氏の作詞制作が間違って捏造報道されても、何も名誉棄損や間違った事実の訂正要求を、その関係者がその間違った捏造報道したの朝日新聞社らに公的な訴え(注:当時はそんな権利意識を多くの国民は持っていなかった)を起こさなかったかったら、大きな騒動にもならなかったのです。だから、当時の私自身(注:当時は小学生でもあり入る情報が一方方向で多方面からの検証不可能)も、その週刊朝日の垂れ流した害毒に侵され続けてしまったのです。
そして、この朝日新聞社の脈々と受け継がれる捏造報道のDNAは、約30年後の1990年代の従軍慰安婦強制連行へと悪しく発展して行ったのです。この著書を読破した私は、この国賊報道機関・朝日新聞社は、その存在を完全に否定されるべきだと、今強く確信しました。
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