天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『麒麟がくる』落合将氏談「室町幕府と共の光秀・二人三脚の光秀と信長・変は何を終わらすか」私は違和感有

2021-01-18 14:10:54 | 日記
今日の日記は、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の制作統括・落合将氏が語った人物像「光秀と信長、二人三脚の大きな国づくり」他に、私がとても強い違和感を持った最終回までの宣伝用コメントです。以下に、ネットニュース「シネマツゥディ」から、彼の語ったコメントの一部を抜粋・引用します。また、参考に添付した写真は、NHK宣伝用物語のダイジェスト版本の表紙です。
『光秀と信長、二人三脚の大きな国づくりは、成し遂げられることなく、悲劇的な結末を迎えます。その先に何を見据えたか、信長は何を思うのか、・・・室町幕府とともに生きてきた光秀、改革者であるはずの信長に何を見て、戦乱の種がどこにあるのかを見出して、何を決断するのか?、本能寺の変は、何の時代を終わらせるのか、・・すべてのねじれが収斂し、決着を迎える最終回(私注:本能寺の変がメインテーマ)に向けて、残り4回、固唾を飲んで見守ってください!。』
私の番組を全く視聴しないで、批判をするのは、良くない事と強く自覚しています。しかし、今までのNHK大河ドラマの一愛好者として、落合将氏が語ったコメントに聞捨てならない思いを、今強く持っており何卒ご容赦願います。以下に、その批判する点を個別に紹介します。
・(1)「光秀と信長が、二人三脚で大きな国づくりを目指した」・これは、主君である信長を過少評価し、逆に光秀を過大評価しています。光秀は、単なる信長の一部下で、自身から主体的な行動など一切していません。
・(2)「室町幕府とともに生きた光秀」・これは光秀の主君か、もしくは朋輩だったと思われる幕府の家令・細川藤孝の立場と見間違って、全く同位置視化しています。光秀は、単に出世の為、室町幕府を一時期にただ利用しただけです。
・(3)「変の先に光秀は、何を見据えたか?」・それを描くなら、何故制作者は最終回を「本能寺の変」で終わらせるのか?私には甚だ疑問です。巷間言われている光秀の【三日天下】を覆し新たな光秀像を今回構築したいなら、「山崎の戦い」で敗走する最後までの生き様を丁寧に描くべきです。逆に、その後の光秀には全く大義など無いから、あえてカットしたと視聴者に完全証明しているだけと私は思っています。
そして、制作統括者が宣伝用コメントをいくら発信しても、全く大義ない明智光秀を物語の主人公にした最初の大きな失敗が、最後まで上昇しない視聴率に強く影響したと、私は確信しています。だから、今回の事例を教訓して、NHK制作者は今後の良い番組作りに、私は励んでもらいたいです。
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