天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『47都道府県・地名由来百科』舞う鶴を見た者・苗字由来知り自由人でストリップ踊り子嬢鑑賞再開を決意す

2015-05-01 10:53:56 | 日記
今日の日記は、今札幌別宅で読んでいる谷川彰英著『47都道府県・地名由来百科』(丸善出版・2015年1月刊)で書かれた私の父方の苗字の命名の根拠?らしき地名の謂れのことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私のもう亡くなっている父は、栃木県益子町(宇都宮氏の郎党・益子正重が源頼朝から所領を安堵された土地)の地元農家の出身です。この著書の【とっておきの地名】隣町の真岡市の由来に関する記述に、その私の苗字命名らしきの根拠?(注:明治維新の戸籍制度開始で、全て日本人が苗字を役所に登録)が書かれていました。以下に、その記述の一部を引用・掲載します。
『天正年間(1573~92)に「真岡」と改称され、天正5年(1577年)芳賀高継(現在の芳賀郡の由来)によって築かれた芳賀城が真岡城と呼ばれたという。その地名の由来について「ふむのあとこと」という文書に、「御前の岡の台に鶴集まりて毎日舞けるを、郷人是を見て、けふも舞うか、けふも舞ふかと云けり、是、真岡郷の初とかや」とあることから、鶴が「舞ふか」によるという説が、よく伝えられている。』
この著書では、芳賀家の郷人が戦国時代末期に、城下の岡台で舞う鶴を見ていたことから、鶴が「舞ふか」から「もおか・真岡」に転用されたとしています。
私の父方のルーツに、芳賀城下の岡台で舞う鶴を見ていた郷人・農民が居た可能性が大いにあります。だから、その苗字の命名根拠は「舞う鶴を見ていた者」だったかもしれません。父が亡くなる前に、その苗字の由来・根拠を聞いていなかった事を、今私は深く悔やんでいます。
さらに、現在は劇場鑑賞を一時中断しているストリップの踊り子嬢鑑賞の私自身に関する根源的動機は、私の苗字の由来(舞う鶴を見ていた者)だったと、今強く確信しています。
だから、私の苗字謂れを全生涯において全うする為にも、いろいろと制約があるサラリーマンを止めた自由人(注:密告による悪行親衛隊らの劇場排除が不可能に)になったら(65歳以降か?)は、ストリップの踊り子嬢鑑賞(鶴=舞うストリッパー)を再開するつもりです。
そして、6年前(2009年)の私が、GW休暇を利用し札幌まで出かけ、すすきのにあるストリップ劇場(今は休館中)に出演中していた踊り子を応援した楽しい思い出を、今別宅マンションにて懐かしんでいます。
私のブログ日記のタイトルにあるように、ストリップの踊り子嬢鑑賞は、私にとって正しく【天命】であったと、今私は痛感しています。
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