今日の日記は、私の中国・西安旅行記(2)です。
5月6日(木)朝より、西安観光が始まりました。宿舎の到着が1時間遅れて深夜になった為、中国人の現地ガイドの王さんが観光スケジュールの時間配慮をしてくれて、ホテルの出発時刻が1時間遅らせて9時30分になりました。だから、私はとても助かりました。まず、最初に向った観光地は、ホテルからバスで20分ほどの昨日読売新聞夕刊で報道された秦始皇兵馬俑博物館です。
この秦の始皇帝兵馬俑は、私が中国の歴史を学んだ時代にはまだその遺跡は発見されておらず、何も知りませんでした。1975年7月11日、前日の中国国営新華社通信の「兵馬俑坑」発見ニュースの打電を受けて、各国のマスメディアが「世紀の大発見」として大々的に報道した時、私は初めてその遺跡の存在を知りました。そして、1987年にユネスコの世界遺産に登録されました。だから、中国ではとても新しい歴史遺跡です。
この兵馬俑の第一発見者は、1974年3月29日に井戸堀りをしていた農民の楊培彦さん(当時の年齢46歳)だそうです。その発見者の楊さんは、今だ御健在(現在81歳)で、この秦始皇兵馬俑博物館の中にあるガイドの王さんに特別に案内された売店で、観光客の相手をされていました。兵馬俑ガイドブック(日本語版も有り)を買うと、その本に彼のサインがもらえると、ガイドの王さんが私たちに説明してくれました。それほど、発見者の楊さんは、中国の有名人になっているようです。
その「世紀の大発見」のくだりのインタビュー記述を『シルクロード第一巻:長安から河西回廊へ』(陳舜臣・NHK取材班著:1980年4月日本放送出版協会刊)から抜粋引用します。
『「あなたが、秦始皇帝兵馬俑坑を発見されたそうですね」
「そうです。しかし、私だけではありません。わが人民公社(私注:当時の中国では、農村部では今だに人民公社が組織されていた)の農民たちが、農業用の井戸を掘っておりました。すると4mくらい掘ったところで、土器の破片のようなものが見つかりました。さらに掘ってみますと、何か妙なものがゴロゴロ大きな塊りとなって出てきます。ここの土壌は黄土層ですから、そんなものが出てくるはずはないのです」
「それでどうしたのですか」
「私たちは、それぞれに”水がめではなかろうか、いや釜だろう”とか勝手に想像しましたが、なかなか埒があきません。まあ、それで学者を呼んで調べてもらったわけですよ」
「それが兵馬俑、世紀の大発見だったというわけですか。さぞ、びっくりされたことでしょう」
「私たち農民は少しも驚きません。びっくりしたのは考古学者ですよ。ハハハハ・・・」
「あれだけの大発見をされて、今は英雄ですね。楊さんは」
「いや私一人ではありませんよ。中国では農民はみな英雄なんです。ハハハハ・・・」』
この著書を帰国後読んで、中国農民の民族性がとてもよく判るインタビュー発言だと、私は思いました。また、私は残念ながら、楊さんのサイン入り兵馬俑ガイドブックをその時買いませんでしたが、その著書はとても内容のあるガイドブックでした。だから、この兵馬俑にとても興味があって秦始皇兵馬俑博物館を訪れたい方に、特別な情報を今日の日記で提供しました。
5月6日(木)朝より、西安観光が始まりました。宿舎の到着が1時間遅れて深夜になった為、中国人の現地ガイドの王さんが観光スケジュールの時間配慮をしてくれて、ホテルの出発時刻が1時間遅らせて9時30分になりました。だから、私はとても助かりました。まず、最初に向った観光地は、ホテルからバスで20分ほどの昨日読売新聞夕刊で報道された秦始皇兵馬俑博物館です。
この秦の始皇帝兵馬俑は、私が中国の歴史を学んだ時代にはまだその遺跡は発見されておらず、何も知りませんでした。1975年7月11日、前日の中国国営新華社通信の「兵馬俑坑」発見ニュースの打電を受けて、各国のマスメディアが「世紀の大発見」として大々的に報道した時、私は初めてその遺跡の存在を知りました。そして、1987年にユネスコの世界遺産に登録されました。だから、中国ではとても新しい歴史遺跡です。
この兵馬俑の第一発見者は、1974年3月29日に井戸堀りをしていた農民の楊培彦さん(当時の年齢46歳)だそうです。その発見者の楊さんは、今だ御健在(現在81歳)で、この秦始皇兵馬俑博物館の中にあるガイドの王さんに特別に案内された売店で、観光客の相手をされていました。兵馬俑ガイドブック(日本語版も有り)を買うと、その本に彼のサインがもらえると、ガイドの王さんが私たちに説明してくれました。それほど、発見者の楊さんは、中国の有名人になっているようです。
その「世紀の大発見」のくだりのインタビュー記述を『シルクロード第一巻:長安から河西回廊へ』(陳舜臣・NHK取材班著:1980年4月日本放送出版協会刊)から抜粋引用します。
『「あなたが、秦始皇帝兵馬俑坑を発見されたそうですね」
「そうです。しかし、私だけではありません。わが人民公社(私注:当時の中国では、農村部では今だに人民公社が組織されていた)の農民たちが、農業用の井戸を掘っておりました。すると4mくらい掘ったところで、土器の破片のようなものが見つかりました。さらに掘ってみますと、何か妙なものがゴロゴロ大きな塊りとなって出てきます。ここの土壌は黄土層ですから、そんなものが出てくるはずはないのです」
「それでどうしたのですか」
「私たちは、それぞれに”水がめではなかろうか、いや釜だろう”とか勝手に想像しましたが、なかなか埒があきません。まあ、それで学者を呼んで調べてもらったわけですよ」
「それが兵馬俑、世紀の大発見だったというわけですか。さぞ、びっくりされたことでしょう」
「私たち農民は少しも驚きません。びっくりしたのは考古学者ですよ。ハハハハ・・・」
「あれだけの大発見をされて、今は英雄ですね。楊さんは」
「いや私一人ではありませんよ。中国では農民はみな英雄なんです。ハハハハ・・・」』
この著書を帰国後読んで、中国農民の民族性がとてもよく判るインタビュー発言だと、私は思いました。また、私は残念ながら、楊さんのサイン入り兵馬俑ガイドブックをその時買いませんでしたが、その著書はとても内容のあるガイドブックでした。だから、この兵馬俑にとても興味があって秦始皇兵馬俑博物館を訪れたい方に、特別な情報を今日の日記で提供しました。