今日の日記は、今読んでいるロベルト・ザッペリ著『さらば、モナ・リザ 世界でもっとも有名な絵の謎を解く』(星野純子訳 2011年鳥影社・ロゴス企画刊)のことです。添付した写真は、この著書の表紙です。
この著書を、私は今年1月の読売新聞の「本よみうり堂」の書評欄で知り、とても興味が沸き読んでみたくなっていました。そして、数日前、某書店で読みたかったこの著書を見つけて、今自宅で読んでいます。
その私が興味を湧き起こした「よみうり書評」(評・岡田温司(西洋美術史家・京都大教授)の一部を以下に、引用・掲載します。
『彼女は実はモナ・リザではなかった。この大胆な仮説を打ち出したのは、わが国でもすでに何冊かの翻訳でおなじみの高名なイタリアの歴史家である。では、いったい誰なのか。ルネサンス最大の芸術保護者として知られるメディチ家の当主ロレンツォ豪華王の息子、ジュリアーノが秘かに愛して非嫡子までもうけた意中の女性だというのだ。・・そもそもモナ・リザ説に確たる証拠はない。レオナルドほどの画家が、ごく平凡なフィレンツェ商人の妻の肖像を請け負ったとは考えにくい。とすれば、時の権力者の愛人の肖像ではないか、そう考えるほうが辻褄の合う点が少なくないのだ。』
この著書は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたパリのルーヴル美術館に所蔵されている有名な肖像画のモデル女性を探求するイタリア歴史家の考察書です。彼は、レオナルド・ダ・ヴィンチから直接聞いたアラゴン枢機卿ルイジ・ダラゴーナの”故ジュリアーノ・デ・メディチの依頼で描かれた、あるフィレンツェの婦人の写生”とのアントニオ・デ・ベアティス(私注:この枢機卿の秘書)が残した日記を歴史的に過小評価していると強く指摘しています。
また、ジョルジョ・ヴァザーリ(私注:「ルネサンス芸術家列伝」を残した16世紀の画家・建築家)の語ったこの絵画モデル”フィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・ゲラルディーニ”のような平凡な女性に、天才画家ダ・ヴィンチが美的霊感をかきたてられることはまったく不可能だったと推測しています。
その結果、このモデル女性は、ダ・ヴィンチに依頼したジュリアーノ・デ・メディチの庶子の亡き母親(依頼した妻帯者ジュリアーノにとっては永遠の愛人)であったと、著者は結論付けています。
だから、ダ・ヴィンチはそのモデル女性と会ったことも無かったから、彼の想像した永遠の理想女性を、思いのまま描くことができたのです。そして、その依頼主が死去した為、その肖像画を渡すことができず、彼が死ぬまで手元に置いていたとも推論しています。
この著者ロベルト・ザッペリの推理に、私は強く共感しました。また、この名画のモデルが誰であったか?を、とても説得力ある歴史的事実の積み重ねだけで考察した筆者の手腕に、私は深く感嘆しました。15世紀後半から16世紀初頭のイタリア都市国家や隣国フランスのことがとてもよく判る、歴史書の名著です。
この著書を、私は今年1月の読売新聞の「本よみうり堂」の書評欄で知り、とても興味が沸き読んでみたくなっていました。そして、数日前、某書店で読みたかったこの著書を見つけて、今自宅で読んでいます。
その私が興味を湧き起こした「よみうり書評」(評・岡田温司(西洋美術史家・京都大教授)の一部を以下に、引用・掲載します。
『彼女は実はモナ・リザではなかった。この大胆な仮説を打ち出したのは、わが国でもすでに何冊かの翻訳でおなじみの高名なイタリアの歴史家である。では、いったい誰なのか。ルネサンス最大の芸術保護者として知られるメディチ家の当主ロレンツォ豪華王の息子、ジュリアーノが秘かに愛して非嫡子までもうけた意中の女性だというのだ。・・そもそもモナ・リザ説に確たる証拠はない。レオナルドほどの画家が、ごく平凡なフィレンツェ商人の妻の肖像を請け負ったとは考えにくい。とすれば、時の権力者の愛人の肖像ではないか、そう考えるほうが辻褄の合う点が少なくないのだ。』
この著書は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたパリのルーヴル美術館に所蔵されている有名な肖像画のモデル女性を探求するイタリア歴史家の考察書です。彼は、レオナルド・ダ・ヴィンチから直接聞いたアラゴン枢機卿ルイジ・ダラゴーナの”故ジュリアーノ・デ・メディチの依頼で描かれた、あるフィレンツェの婦人の写生”とのアントニオ・デ・ベアティス(私注:この枢機卿の秘書)が残した日記を歴史的に過小評価していると強く指摘しています。
また、ジョルジョ・ヴァザーリ(私注:「ルネサンス芸術家列伝」を残した16世紀の画家・建築家)の語ったこの絵画モデル”フィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・ゲラルディーニ”のような平凡な女性に、天才画家ダ・ヴィンチが美的霊感をかきたてられることはまったく不可能だったと推測しています。
その結果、このモデル女性は、ダ・ヴィンチに依頼したジュリアーノ・デ・メディチの庶子の亡き母親(依頼した妻帯者ジュリアーノにとっては永遠の愛人)であったと、著者は結論付けています。
だから、ダ・ヴィンチはそのモデル女性と会ったことも無かったから、彼の想像した永遠の理想女性を、思いのまま描くことができたのです。そして、その依頼主が死去した為、その肖像画を渡すことができず、彼が死ぬまで手元に置いていたとも推論しています。
この著者ロベルト・ザッペリの推理に、私は強く共感しました。また、この名画のモデルが誰であったか?を、とても説得力ある歴史的事実の積み重ねだけで考察した筆者の手腕に、私は深く感嘆しました。15世紀後半から16世紀初頭のイタリア都市国家や隣国フランスのことがとてもよく判る、歴史書の名著です。