天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

建築家は舞台特殊照明の日進月歩の技術設計には直接携わらず、電気設備設計や特殊照明業者に委任

2009-11-16 22:07:42 | 日記
私は前の日記「『コンクリートから人へ』は建築遺産を否定し文化を愛でない政治を科学するだけの理系政治家の象徴」の中で、その素材の「コンクリート打放」が生んだ素晴らしい宗教施設の建築物の一例として、『東京カテドラル聖マリア大聖堂』(1964年竣工・丹下健三作)を挙げました。その私の記述に対して建築家丹下さんを中傷する『丹下健三が設計した劇場の使い難さは、舞台関係者の間では有名 特に照明屋にとっては最悪の劇場 身近に照明屋がいる人は聞いてみてね^^まめちしきでした』との反論投稿が、以前悪質ネット掲示板にありました。
その書き込みを見た時は、あまり深く考えなかった私ですが、今回の札幌旅行の宿泊先である老舗ホテルでの過去の私の体験に照らしてみて、この投稿は「まめちしき」でも何でもなく、その現場をまったく知らない設計部外者の悪意のある「世迷言」だと抗議する必要を、私は強く感じました。
私は1978年夏、札幌の老舗ホテルの宴会場や玄関ホワイエ等の改修工事に携わっていました。このホテルは建築家・坂倉準三が基本設計し、実施設計を彼の設計事務所・坂倉建築研究所が行なって1964年7月10日に竣工したとても格調高い名建築物です。竣工してまだ14年しか経っていないのに、移動式舞台ステージもある大宴会場を大規模修繕する改修工事を計画実行した大きな要因は、開業当時の舞台照明や音響設備が陳腐化して、新しい電気設備技術を取り入れた照明や音響設備を導入する必要を運営しているホテル側が痛感したからです。その際に、内装やシャンデリア等の照明も一新しました。そして、その改修工事で、坂倉建築研究所はその設備設計には直接携わっておらず、宴会場の外内装設計にしか関与していませんでした。だから、このネット投稿者が言うように丹下健三の設計した建物が舞台関係者・照明屋にとっては最悪であるならば、その責任は建築家・丹下健三にはまったく存在せず、その設備設計をした関係設計者やその特殊照明を設計施工した専門業者に責任があるのです。また、電気特殊照明や特殊音響効果は日進月歩の技術です。だから、常に更新しなくては、その劇場の設備は陳腐化するものです。さらに、最初の建物の設計者である建築家だけに、何時までもその設備の不具合を責めるのはまったく酷な話で、建築設計の本質を知らない者の戯言です。
私は、そのリニューアルされたホテル大宴会場のこけら落としに実演された『布施明ディナーショー』を新しくなった投光室から直接見ることができました。彼の伸びのある歌声をパワーアップさせる音響効果や舞台をさらにショーアップさせる照明演出を、私はその現場で直接体験できました。だから、この投稿者の見解はまったく間違いであると、私は強く訴えることができます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 昔仕事をしたホテルに宿泊し... | トップ | 歴史音痴小沢幹事長は『ロー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事