天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

百田尚樹著『錨を上げよ』主人公の商業高校を落第したが就職後退社し翌年同志社大学合格の設定に違和感抱く

2012-03-18 21:38:38 | 日記
今日の続編日記は、今読み終わった著書『錨を上げよ(上)(下)』(百田尚樹著 2010年講談社刊)のことです。添付した写真はその著書の表紙です。
私は、この著者百田尚樹氏の作品を読むのは初めてです。1956年2月23日大坂生まれで同志社大学中退の百田尚樹氏は、同じく1956年北海道生まれで北大中退の私が最近ファンになった東直己氏とまったく同世代で同じような経歴の持ち主です。だから、私はちょっと興味が沸いて、この著書『錨を上げよ(上)(下)』を読むことにしました。
この著書は、昭和30年(1955年)早生まれ”作田又三”の出生から30歳に至るまでを描いた彼の自伝的な半生記です。その主人公の生き様を原稿用紙2,400枚に書き上げた著者の力作です。しかし、この主人公の”作田又三”と学年が一年しか違わない1953年生まれの私には、その世相に深く共感できる記述はあっても、彼の中高時代の学力で一浪だけで同志社大学に合格できるとはとても思えませんでした。以下に、この著書に対する私の読書評を書きます。
この著書はフィクションであり、実話では無いことを、私は充分承知しています。しかし、その時代に実際に生きてきた人間には、少し違和感を抱く同意できない設定にはとても承服できません。私は、すべてが承服でない訳ではなく、主人公が語る街頭の傷痍軍人募金の記憶や街頭テレビ、高校での学生運動、浅間山荘事件等のエピソード、私立大学に比べて不当に安い国立大学年間授業料36,000円の理不尽さには、強く共感しました。
しかし、この主人公作田又三は、大学進学コースの普通高校でなく、大阪府立商業高校に進学して、ろくに授業も出ないで一年落第して1974年春中小企業に就職した男です。その彼が会社を辞めて東京大学入学を目指して勉強(予備校に通う訳でなく独学で、記述では猛勉強した様子無し)します。そして、翌年(1975年春)に多くの私立大学を含めて受験して、同志社大学だけは幸運にも合格しています。でも、彼はその合格通知にもあまり満足していないとても強い自信家です。
私の経験談(1972年春大学入学)からいえば、優秀な商業学校卒業者でも有名私立大学に合格するのはとても至難の業です。ましてや、チャランポランな生活をしている”作田又三”が、独学で勉強して合格できる有名私立大学などないです。この著者百田尚樹自身が同志社大学中退ですが、彼も作田又三と同じ経歴(注:彼が大阪のどの高校を卒業したか不明)なら私は彼の並々ならぬ勉学努力に深く敬意を払い、私自身の間違った見解を撤回します。
しかし、この著書の”作田又三”と同世代の私には、とても黙っていられない小説の設定です。
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