天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

今年初シンクロNHK『麒麟がくる』保護者求める信長と語る統括TPは著書「司馬遼太郎と城を歩く」熟読を

2021-01-03 09:45:28 | 日記
今日の日記は、私自身周辺に多発する今年最初のシンクロニシティ現象の事です。
昨日スポニチのネット記事【牧元一の孤人焦点】で、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』制作統括・落合将チーフ・プロデューサーの談話が掲載されていました。そして、私は、その彼の過去の大河ドラマに全くリスペクトせず、かつ歴史的事実を無視した番組制作姿勢に強い憤りを持ちました。何故なら、その時中央図書室から借りてきた司馬遼太郎著『司馬遼太郎と城を歩く』(2009年光文社刊・添付した写真はその著書表紙)で、司馬先生が語った戦国武将の生き様と全く相反するからです。
まず、以下に、制作統括・落合将チーフ・プロデューサーの談話の一部を引用・掲載します。
『過去の大河では、信長という圧倒的カリスマがいて、その部下として光秀や秀吉がいるという描き方がされてきた。池端俊策さんは、全く違う描き方をしていて、信長にとって、道三は岳父で大きな存在だ。・・光秀は信長にとって半ば父で、信長はいつも保護者、後ろ盾を求めている。二人が意見対立しその後、信長がやっと笑って仲直りするシーンは、仲の良い兄と弟、仲の良い父と子の関係性を表している。信長は、自身の父親と距離があり、母親には全く愛されなかった。信長は、そういう欠落感を埋めてくれる存在を求めていたからだ。』
この『麒麟がくる』制作者たちが描く織田信長の人物像を、シンクロ現象を通じて私に反論すべし、と司馬先生が命じた『司馬遼太郎と城を歩く』より、該当する反論する記述の一部を引用・掲載します。
『・「国盗り物語」より-甲斐の武田信玄は「天命われにあり」とおもったればこそ、父を追って権力の座についたわけだし、奥州の伊達政宗も、敵に拉致されてゆく父の輝宗を敵とともに撃ち殺したのも、この感情である。事、成就すれば「天にもっとも近い者」であることを人に知らしめるために、天空を劃するような城をつくる。天守と石畳で構成された近世城郭は、織田信長が琵琶湖畔に造営した安土城が祖といわれる。
・「新史太閤記」より-「猿つ」信長は、いきなり平手打ちをくれた。そして、信長は馬腹を蹴って去った。猿は目がくらむほどに痛かった。・・信長の意志表現は、つねに行動でしかない。猿は、あれは自分に口止めをされたつもりだ、と理解した。かれこれと思いめぐらねばならぬ点、信長という大将ほど仕えにくい男はない。』
この脚本家らは、戦国武将のいつも生きるか・死ぬかの壮絶なる性根(司馬さんが言及した武田信玄・伊達政宗)を、全く理解していません。だから、信長が、自身の保護者・後ろ盾を求めていたなどの戯言は、私には全くの笑止千万の世迷言です。何故なら、信長は自己の力だけで「天にもっとも近い者」になり、壮大な安土城を作ったのです。
また、脚本家らは、信長の部下として光秀や秀吉がいるという歴史的事実を完全否定しています。人たらしの名人だった部下の秀吉は、その信長の気質を素早く見抜き、<信長という大将ほど仕えにくい男はない>と心境を吐露しています。
この番組『麒麟がくる』を、私は最初から全く見るつもりはないです。でも、いくら表現の自由があっても歴史的事実を曲解し、過去の大河ドラマの制作関係者に畏敬を持たず、勝手な自己主張だけする今回の番組制作者に、私は強く抗議します。だから、この司馬遼太郎著『司馬遼太郎と城を歩く』を必ず熟読してほしいです。
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