天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

金子拓著『信長家臣明智光秀』変後面会宮司日記「謀叛雑談」細川藤孝へ手紙「不慮の儀」で大義は無と確信す

2020-10-06 15:20:33 | 日記
今日の日記は、今読んでいる金子拓著『信長家臣明智光秀』(平凡社新書・2019年10月初版)で書かれている本能寺の変以後に光秀が語った残された書状に関する、私も強く共感した著者の考察です。添付した写真は、その著書です。
以下に、その著書から光秀が自らの謀反の理由を、親しい吉田神社宮司と盟友の細川藤孝・忠興父子に語った文献の一部を引用・掲載します。
『吉田兼見「兼見卿記」には、4日後光秀と対面した出来事を「今度謀叛の存分雑談なり」と書いている。光秀の活動を検討し、事件の原因を考え直すと、「雑談」程度と、ひと言で片づける程度の、たいした動機ではなかったのかもしれない。6月9日付で細川藤孝・忠興父子に宛てた有名な三箇条の覚書がある。その中で「今回、不慮の儀を企てたが、これは忠興公を取り立てたいと考えただけで他意はない」とある。以前は、「見る心地」になるようなわかりやすい書状を書く光秀なのに、盟友藤孝を説得する大事な文書としては、あまりに弱々しく、お粗末すぎる。光秀の信長への叛意を文章で説明しようとすると、この程度の言葉でしか表現できなかったように思われる。』
この著者の謀反に対する見解「信長との様々な確執で面目をつぶされた光秀が、大軍を率いている現状に、目前で隙間を見せた主君・信長を討った」に、私は強く共感します。このような発作的な行動だから、親しい宮司にも「雑談」程度の行動にしか見えなかったのです。さらに、盟友の藤孝には、息子・忠興を取り立てたい(全くピント外れ)との不慮の動機まで伝えているのです。
このような主君を討った武将には、「謀反の大義」など全く存在しないのです。今、NHKで放送している大河ドラマ『麒麟がくる』でも、この有名なシーンが登場するはずです。でも、その謀反が「不慮の儀」で「雑談」程度の話なら、聴視者の共感は全く得られないと私は確信しています。
過去のNHKでは、大河ドラマで上杉景勝の家老・直江兼続を主人公した番組がありました。この主人公の兼続は1600年、関ケ原の戦いの発端となった徳川家康の悪行を弾劾する具体的な罪状を記した有名な「直江状」を世に残しています。しかし、不慮の行動を起こした明智光秀は、何も具体的な書状を後世に残していません。だから、死後でも後世の人々から何らの共感を獲得していないのです。
やはり、NHK『麒麟がくる』の製作者は、主役の歴史的人選に大きな間違いをしたと、私は今強く思っています。
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