天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

石川さゆりさん紫綬褒章談話「聴く方の隣に寄り添う曲」実体験し名曲『津軽海峡・冬景色』で当時を思い出す

2019-05-21 12:26:57 | 日記
今日の日記は、今年の紫綬褒章に選ばれた演歌歌手石川さゆり(61)さんが語った受賞コメントの”聴く方の隣に寄り添う曲を歌っていきたいです”での、私のまさしく実体験である懐かしい思い出です。以下に、その彼女の喜びの言葉を引用・掲載します。
『あらためてこの褒章の重さを感じます。デビューして47年近く作ってきた音楽、歌ってきたものが、間違ってないぞ、とはんこを押していただいたような感覚。叱咤激励だと受け止めました。新しい時代にこのようなうれしいお知らせをいただいたので、より一層の精進をしていかなければいけないと思っています。歌も、生きていかなければいけないですから。時代の中で皆さんが何を欲しているのか感じながら、聴く方の隣に寄り添う曲を歌っていきたいです。』
私は、石川さゆりさんをデビュー当時(私より4歳下)から知っており、その当時の「花の中三トリオ」の活躍の影に隠れて、歌唱力はあってもあまりヒット曲に恵まれない方でした。私自身は、1976年4月に社会人(建設会社の現場施工管理者)になり、東京本社での3か月間の設計研修を受けました、その際に、講習を受けた講師と私の作品発表の講評で、お互いに口論となり、私が協調性のない人間と会社に烙印を押されてしまいました。
その為、研修が終了した7月1日には、異例の本州の最北端青森地区作業所に配属(添付した写真は、その履歴書の職歴と会社発行の私の職員手帳)になりました。右も左も分からない新入社員を大手建設会社で施工する大規模建築作業所でなく、地元建設会社でも施工できる作業所に懲罰を込めて、私は左遷されたのでした。私の配属挨拶に受けて、青森地区工事長は、「新入社員が配属されるのは珍しい」と、私に語っていました。
その職歴リストの1976年12月「仙台支店蓬田紳装工場」とは、津軽半島の中程にある蓬田村の村営工場(S造・地上1階建・延べ床面積814m2)の新築現場でした。その建設現場は、高台にあり晴れた時には、津軽海峡を望むことが出来ました。まさか、最大手建設会社に入社した者が、その年の暮れを豪雪の中で一人仕事前に雪かきするとは、私自身想像もできない事でした。だから、会社を辞めようと何度も頭に浮かんだものでした。
しかし、その思いを押し止めた歌が、1977年1月1日に彼女が発表した名曲『津軽海峡・冬景色(作詞阿久悠・作曲三木たかし)』でした。何故なら、その歌を現地で聞いて、身勝手に不遇な境遇を嘆いていた私を、「あなただけではないよ!頑張って!」と、私を叱咤激励していると思い始めたからです。だから、この名曲のお蔭で、嫌な事が一杯あった会社を、私は42年間も務め上げる事が出来たのです。その恩人である石川さゆりさんには、これからもさらなる御活躍を、私は大いに期待しています。
今日の朝ドラ『なつぞら』で、広瀬すずが戸田恵子の歌う『ガード下の靴磨き』を聞き、寄り添いながら昔の事を思い出したように、私は、石川さゆりさんの名曲『津軽海峡・冬景色』に寄り添い、当時の懐かしい思い出を今振り返っています。
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