今日の日記は、今自宅で読んでいる秦郁彦著『昭和史の謎を追う・上下』(1999年刊・文春文庫版・初単行本1993年3月)第42章・従軍慰安婦の春秋(下巻)で書かれている国賊・朝日新聞の報道ぶりのことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、朝日新聞が最初に発した従軍慰安婦報道は、もう既に”歴史の謎”扱い(1993年に秦郁彦が上梓した同著)になっていたことに、今とても驚いています。そして、その当時から著者は、朝日新聞の報道に警鐘を鳴らしていた事実を知りました。以下に、その記述の一部を引用掲載します。
『1992年7月7日、日本政府は、官憲の職権を発動した「慰安婦狩り」ないし「ひとさらい」的連行を示唆する公式資料は見当らないと発表した。・・7月8日付け朝日新聞社説で「調査は甚だ不十分である。まず、被害者からの聞き取りを欠いている。個人のプライバシーを侵すことになるから、政府はいう。が、韓国側の調査ですでに74人が名乗り出ている。日本で訴訟を提起している人さえもいる。米国の公文書館などにも資料はあろう。強制連行の証拠となる資料が出てこないのは、”関与”は認めても”強制”は認めたくない、という政府の及び腰がありえはしないか。」朝日は政府は証拠を隠していると言わんばかりの「ないものねだり」である。朝日はまた被害者に聞き取りをやれと迫っているが、74人は韓国政府の聞き取りが続行中(7月16日の事点で詳細は未発表)、91年12月に訴訟を提起した9人(半分は匿名)の慰安婦は東京地裁で審理中なのに、政府へどう介入せよというのか。無責任きわまる言いっ放しではないか。』
この著書で訴訟を起こした9人の一人金学順(1923年生まれ、14歳から3年キーセン学校へ、39年養父に連れられ華北ね行き慰安婦に)は、元朝日新聞記者(慰安婦報道の発信元)の義理の母です。その当時、関係者が社内にいるのにそれを隠して、逆に、政府が証拠を隠蔽していると、全くの鉄面皮で従軍慰安婦報道をしていたのです。また、後日、朝日が指摘した”米国”の議会調査でも、その資料は発見できなかった。こんな報道機関には、全く存在価値は無いです。
その報道にも、露ほどの公正も無かった(全くのプロパガンダ・日本を貶める宣伝)ことは、最近の第三者委員会の検証で明らかになっています。さらに、著書で紹介しているように、”朝日新聞の無責任きわまる言いっ放し”がその後長く続き、日本の名誉が著しく毀損されたのは周知の事実です。
だから、この著書が上梓された1993年に、国賊・朝日新聞の悪行を健全なる日本メディアが強く糾弾していれば、悪漢・韓国に付け入る隙を与えなかったと、今私は痛感しています。
私は、朝日新聞が最初に発した従軍慰安婦報道は、もう既に”歴史の謎”扱い(1993年に秦郁彦が上梓した同著)になっていたことに、今とても驚いています。そして、その当時から著者は、朝日新聞の報道に警鐘を鳴らしていた事実を知りました。以下に、その記述の一部を引用掲載します。
『1992年7月7日、日本政府は、官憲の職権を発動した「慰安婦狩り」ないし「ひとさらい」的連行を示唆する公式資料は見当らないと発表した。・・7月8日付け朝日新聞社説で「調査は甚だ不十分である。まず、被害者からの聞き取りを欠いている。個人のプライバシーを侵すことになるから、政府はいう。が、韓国側の調査ですでに74人が名乗り出ている。日本で訴訟を提起している人さえもいる。米国の公文書館などにも資料はあろう。強制連行の証拠となる資料が出てこないのは、”関与”は認めても”強制”は認めたくない、という政府の及び腰がありえはしないか。」朝日は政府は証拠を隠していると言わんばかりの「ないものねだり」である。朝日はまた被害者に聞き取りをやれと迫っているが、74人は韓国政府の聞き取りが続行中(7月16日の事点で詳細は未発表)、91年12月に訴訟を提起した9人(半分は匿名)の慰安婦は東京地裁で審理中なのに、政府へどう介入せよというのか。無責任きわまる言いっ放しではないか。』
この著書で訴訟を起こした9人の一人金学順(1923年生まれ、14歳から3年キーセン学校へ、39年養父に連れられ華北ね行き慰安婦に)は、元朝日新聞記者(慰安婦報道の発信元)の義理の母です。その当時、関係者が社内にいるのにそれを隠して、逆に、政府が証拠を隠蔽していると、全くの鉄面皮で従軍慰安婦報道をしていたのです。また、後日、朝日が指摘した”米国”の議会調査でも、その資料は発見できなかった。こんな報道機関には、全く存在価値は無いです。
その報道にも、露ほどの公正も無かった(全くのプロパガンダ・日本を貶める宣伝)ことは、最近の第三者委員会の検証で明らかになっています。さらに、著書で紹介しているように、”朝日新聞の無責任きわまる言いっ放し”がその後長く続き、日本の名誉が著しく毀損されたのは周知の事実です。
だから、この著書が上梓された1993年に、国賊・朝日新聞の悪行を健全なる日本メディアが強く糾弾していれば、悪漢・韓国に付け入る隙を与えなかったと、今私は痛感しています。