天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

呉善花著『生活者の日本統治時代』強制連行従軍慰安婦問題は事実軽視・イデオロギー重視の韓国人性格が影響

2013-11-23 11:43:54 | 日記
今日の日記は、今読んでいる呉善花著『生活者の日本統治時代―なぜ「よき関係」のあったことを語らないのか』(三交社・2000年刊)で書かれている”日本軍の強制連行韓国人従軍慰安婦”の聞き取り談話のことです。添付した写真は、その著書の見開き表紙です。
私はこの著書に書かれている、その当時現地で生活していた日本人や在住韓国人の聞き取り調査を読んで、そのとても説得力ある話に興味深く強く共感しました。以下に、その著書からその聞き取り談話(氏名等敬称略)の抜粋を引用・掲載します。
(1)阿部元俊(大正6年東京生まれ・医師の父の赴任で3歳の時ソウルへ渡る)
・・・『強制的に連れていかれる娘を見ながら、そのままほっておくような卑劣な朝鮮人がいたとはけっして思えません。田舎であればあるほど、生活者間の連帯意識も強くて、そんな彼らが我慢して黙って見ているわけがありません。彼らの民族愛がいかに強かったかは、私はいろいろな場面で見てきていますし、今でも鮮明に覚えています。そんな世界で女狩りなんかできるはずがないんです。ですから、そんな問題があれば必ず耳に入っているはずです。でも、そんな話も噂も一度も聞いたことがありません。これはね、当時朝鮮に住んでいた日本人の名誉にもかかわることです。もし、あったとすれば、我々もまたそれを黙って見ていたことになるんですから。』
(2)坪井幸生(大正2年大分生まれ・京城帝国大学卒業後朝鮮総督府勤務)
・・・『慰安婦がいたことは事実ですが、強制的に戦地へ連れて行くことなどは絶対にあり得ません。朝鮮も同じ国内でしたから、法治国家として司法の三審制度もあり、無法地帯ではありませんでした。そういう現実の状況をまったく無視して、しかも証拠もなしに、日本の大新聞なんかは巡査が強制的に連れて行ったなどと報道するんですから、ほんとうに無茶というしかありません。』
(3)大師堂経慰(大正6年平壌生まれ・京都大学卒業後終戦まで朝鮮総督府勤務)
・・・『もしも一般の婦女子の強制連行が実際にあったとすれば、間違いなく暴動が起きていたと思います。これを目撃した人が多数いて、この人たちの日本非難が戦後早々から声高に叫ばれて当然であり、戦後47年もの間、韓国政府も韓国国民も、これを問題にしないことなど考えられるでしょうか。』
(4)ミン圭植(京城帝国大学卒業し終戦を迎える)
・・・『何千人の若い娘たちを、トラックに載せて連れて行ったことは疑いのない事実なのに、強制ではないというのはとんでもない発言です。(実際にトラック乗せて連れて行くような場面をご覧になったことがありますか?)★★いえ、私は見ていません。(その当時、そういうふうにして連れて行ったという話を聞いたことがありますか?)★★その当時には、聞いていませんでした。(それならば、なぜ今になってそういう強制的な連行をしたと言われるんでしょうか?)★★そうしたことがだんだんわかってきたからです。そういう話は最近、あちこちで言われているんです。』
また、この著者の呉善花氏(1956年済州島生まれ、1983年来日)は親日家でもないですが、自国の知識人に関して、『儒教的な知識人で、現実的な事象を事細かに語るよりも、抽象的な物事について論じる学問こそが高い次元の学問なのだとし具体的な事実をしっかり押えることがおろそかになる傾向が強い』と、彼らの事実軽視・イデオロギー重視の性格をこの著書で批判しています。
最近、韓国政府や司法当局の全く常軌を逸失した行動にも、この筆者の指摘した韓国人知識人の特性が根強く影響していると、私は今強く得心しました。
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