インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

高見山(向島)283m

2009-03-07 19:36:05 | 瀬戸内海の島
 先週と同じように、岩子島を散歩すると、先週より砂浜が広くて驚いた。満月(3月11日)に近づいていると、月の引力に左右されるようだが、時間とかの方が大きいのかもしれない→ 全国の潮見表

 

 向島へ戻り、「高見山」があるようなので寄ってみた  

 

 おお、絶景かな!(島だらけじゃ)

 

 さらに地図があって、瀬戸内の島(極一部)が解説してあった。

 

 それにしても、高所から眺めて、久々に足がすくんだが(昔、高知城で眺めたとき以来か)、何か凄い霊気を感じた。

 マヤ人が急勾配の高いピラミッドを作ったのも、最上段に立って、落っこちるか、落っこちないかの所で、楽しみ(?)、 グレイトスピリッツを感じ、宇宙と交信していたのかもしれない。

 リフトの残骸とかあって、昔(車がない時代?)は観光名所だったのかもしれないが、しまなみ海道があるが、こんなにも島々を見渡せる場所は他にはあるまい。

 その代わり自動販売機が一個もなかったわい(太陽光発電の外灯はあったが) 

ヤマギシ会は、インディアン村か?

2009-03-05 20:16:15 | 考えるインディオ
 昔、インディオの小説『蛇の…』を読んで下さった○○書房の方から「ヤマギシ会が髣髴される」と言われたことがある。もう、3年前にはなるだろうか。その時、何だそれ?と調べて、なるほど、インディアンな、自然と調和した村作り目指していた集団だと、驚いたものである(遅い!)。

  幸福会ヤマギシ会

 仲間内やら付近住民などと摩擦を起こしているのだろうが、中にいる人々が幸せなのかどうか、興味がある。

 カルトかもしれないが、ナントカ教の信者と違い、農業なんかを皆でやっている経済集団であるので、現実的であるように思われる。

 もちろん、農業はなかなか儲からないので、厳しい事業と思われる。だが目的は企業の場合と違って、儲けることではないから、集団で楽しんでいれば良いのではないか…(甘いか?)

 「実顕地」というヤマギシの村は、アチコチにあるようだ(三重近辺に多い)。

 思想的にもネイティブ・アメリカンに近いような気もするし、日本版インディアン居住地なのか…。

 多くの日本人が興味を持っているかもしれない。ヤマギシズム特別講習研鑽会へ何万人も行っているようだし、インディオ自身、実際に行ってみたいような衝動に襲われる。

 結構、近代的な設備のような気がします

 案外、普通の大規模に農業をやっているだけの集団だったりして

 それにしても、
 厳しい掟があり、長老もいるような気がする。

 果たしてヤマギシの村はっているのか。

出版社の未来

2009-03-03 22:09:00 | 映画や小説、テレビなど
 講談社が、史上最悪の赤字決算を発表。ついに出版大手にまで「不況再編」の時代が来るのか (編集者の日々の泡)…あの講談社ですら経営難に陥っているようだ。

 これだけネットで情報がいろいろ配信されていれば、もはや情報に現金を出そうと考える人が減っても当然かもしれない。新聞を買わず、新聞社のホームページだけで済ませようと考えるのは、インディオだけではないはずだ。

 本は名前で売るのであるが、その名前すら、昔に比べて価値が落ちたのではないか。社会的背景から、昔より、権威や肩書きなどで、人を判断しなくなったのかもしれない。読者のレベルが、全体的に向上したのである。

 有名人といえども、所詮、普通と変らない人間ではないか。

 ブログが普及したことも大きいだろう。無名人でも能力のある人、マニアックなことをしている人、面白い人はゴロゴロいる。活字を書くのは、誰でも出来るのだ。

 インディオは、食うために出版社などにへつらって生きるより、反骨精神でアウトローに混じってたくましく生きている人に、魅力を覚える。

 そもそも印税なんてアテにしているようでは、桁外れのことを堂々と展開することは出来ないのではないか。

 今はストーリーのない時代である。

 だから、まさに常識的な、まともなことを主張しても、受けないのである。

 暗い未来の日本で、何か光りあるストーリーがないのか…、

 この国は温暖で住みやすく、実に豊かな自然に恵まれている。

 もっとメディアが煽れば、大勢の人々が、大自然の霊気から、エネルギーを頂ける気もする。

 暗いニュースなどのコンテンツばかり流していると、みんな、それを望むような?闇の身体になってしまうような気もするのだが… 

 光の出版社? マホロバアートとて、別に大躍進を遂げたわけではないから、

 やはり光と同時に、闇もいっぱい書かないとリアリティに欠け、受け入れられないわけか。

 善良で平和なストーリーは、面白くないからねぇ(主人公は闘え!)

 では、このブログは一体何と闘っているのですか

 分かりませんが、今の所、カオスとの闘いですか(この記事も、ジグソーパズルの1ピースかな)
 

闇のパワーに光を!

2009-03-01 20:17:32 | レイキ、サネヤ・ロウマン
 あれこれネットでUPしたコンテンツ?も、インディオのパズルの一つであろうが、まだまだ、個人的に大量のパズル(=思考結果。妄想かもしれない)を抱えている。

陰鬱になるので、どっさりと資料を携え、田島のビーチで、考えた。

 

 のどかな瀬戸内地方だが、ちょこっと都市部へ行くと、どこも皆、猛烈な価格競争やら、売上競争やらで、潰し合っている。

 例えば、近くのガソリンスタンドで、バッテリー交換しようとしたら1万円かかると言われた。軽(しかも中古)だから自分でやっちゃえ、と量販店へ行ったら3500円で済んだ(店員が親切に手伝ってくれた!)、ということは…。

 利益と道徳は、一致するという人もいるが、実際は疑わしい。お人好しでは稼げないし、上役からもいろいろ叱責されるはずだ。

 ガソリンスタンドで、「バッテリー交換の願いします~」なんてのは、カモみたいに映るのかもしれない。食わなければ、食われる。殺らなければ、殺られる…。

 まさにインディオには、会社組織が、未開部族の争いに見え、実際に『マネー神の崇拝』とかカタカタ書いたわけである。

 実際に、世界同時大不況で、部族がどんどん滅亡し、社員はクビを切られ、社長は生贄に捧げられていく…。マネーの神様は、まるで利益を出せない存在から、代償として血を要求しているようにも思われる。

 最近、レイキやらサネヤ・ロウマンなど本を読んだりして、マネー神の崇拝なんて…、こういう病的な発想は人を幸せにしないように思えてきた。

 光というより、闇のパワーが強い。悪意に悪意を持って対抗する。とにかく勝ちたい(手段を選ばず)、人より物が欲しい、もっと金が欲しい…。身体が闇のパワーで侵されていくのではないか。

 古代アステカ帝国とか、神々のために生贄を大量に捧げたのだが、果たしてどこまで、彼らの思想に光が差していただろうか。「死が救いだ」とは、健康なのに生贄にされる若者には、悪意を通り越し、異常な世界、狂気としか言いようがない。

 もっと光のパワーがあれば、生贄を捧げ合うシステムから、解放されたのではないか。それはスペイン人のもたらしたキリストであり、先祖が予言したケツアルコアトルの再来であっただろう。

 今の日本にも、グローバルで潰しあう経済システムから脱出するための、光のような思想であり、権力集団が必要とされているように思われる。

 とりあえず、自民党ではなく、物欲が少ない政党に政権をとって頂きたい。そしてテレビなどのメディアは、物欲を煽るより、仏教とか、レイキとか、光をもたらす内容を流して欲しい。

 かくいう『インディオ通信』も、闇のインディオから、光のインディオへとシフトしなければならないだろう。

 闇のインディオだったのですか(ついに白状しましたね)