インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

目的は、光を求めること!

2009-03-11 22:26:47 | 聖なる木を創る、地域通貨
 久々に『マネー神の崇拝』を読み返してみたが、まあ、あきれるばかりである。

 「生贄」「血」「苦しみ」とかマイナス系の?言語がてんこ盛り
 緊急保証制度を利用しなければ、給料を払えずに苦しんでいる経営者が多いような現状で、説得力はあるかもしれないが、(マネーなどの)神々を崇拝して踊ったからといって、どうだというのだ。

 闇の世界にどっぷりと浸かっている。

 闇を崇拝するではなく、光を求めるような(プラーナ振動法?)でなくてはなるまい。

 マネー神を崇拝するどろどろとした世界を、サネヤ・ロウマンにおけるオリンの光で包み込まなければならないように、思われる。

 今は亡き?マニ教は、闇と光の二元論宗教で、ゾロアスター教も似ていて、最後は善神である光が勝つとする。

 備忘録:「最後の審判」問題:ゾロアスター教の差異共振光神とキリスト教の同一性主義光神
によると、「キリスト教はゾロアスター教を取り入れている」らしい。

 世界がカオスと化している中、「光(=善)闇(=悪)」というのは、実に分かりやすい。我々はもちろん、光=善を求め、応援すべきなのだが…、現実は善悪も立場によって変るし、混沌としている。

 インディアン世界は単純な二元論ではなくて、全てに神が宿り、太陽や火の神はもちろん、闇の神までも崇拝している

 だから面白いのだけれど、壮絶な生贄の儀式とかもしていた。古代アメリカ世界でも光のパワーを求めていたには違いない。しかし、闇の神の力は強力だった。神々を崇拝する民は、感情に支配され、感情の暴走に任せた。

 感情が強ければ、どうしても憎悪など闇の、マイナス・パワーを吸収しやすい。

 すると光は消えていくわけで、もっと冷静にならなければならないわけだ。

 ということは…、神々を崇拝するというのは、かなり問題を抱えていて、

 光とか、火とか、プラスのパワーを与えてくれる存在を、崇拝すべきなのだろう(当たり前だ)。

 すると、光に対してとか、火を囲んでするべきなのだろう。

 ゾロアスター教の影響を受けて、イスラム教やキリスト教が、光を得た?ように、
 「聖なる木」(マネー神の崇拝を参照)も、オリンから光を得るべきかもしれない。

 
 拝火教ですね(鳥に食べられるのですか)