インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

理屈を捨てた?

2009-03-31 21:10:20 | レイキ、サネヤ・ロウマン
最近、ブログが手抜きになったと感じてられているのか、「聖なる木」とかイカレタ催しを提唱して様子見なのか、アクセス数が減ってきた 

 2月頃までかなり力を入れて書いていたので、内容がしおれて?失望を与えてしまったのかもしれない。

 これからという時に失速しましたか

 ただ『癒しの風』にもあるように、「気とは何か」「エネルギーを感じるには」と言葉で説明しても、ある程度知っている閲覧者には、もはや意味がないような気がする。身体で感じるのが全てだからである。

 数学とか経済学のように、基礎から理論を一歩一歩積み上げていくのが、東洋哲学やらレイキの世界とは思えない(…いや、知識的にはそうかもしれない)。

 理屈は単なる手段であり、目的はただ身体にエネルギーが通ること(=癒されること)。沢山の本を集めて解読し、理屈を穿り返すことが目的になっては、意味がない。

 それに、どの本もよく読めば、同じようなことばかり書かれてあるような…。

 やはり自分で経験したことが一番大切で、それを表現すべきなのだ。

 最近、背骨のラインが痛くなりました(無理に捻じ曲げすぎたかも)

 手が暖かくなってきました(熱があるのか)

 頻繁に不思議な夢を見るが、案外、現実と当たっているような気もする。

 それにしても、今年に入って禁酒しているせいか、まともなことしか書けなくなりました(聖なる木が…)

 どうりでバッタバッタ勢いを感じなくなったわけです